無実の大坂正明同志奪還を 10・19デモ-26公判に集まろう
週刊『前進』04頁(3315号04面01)(2023/10/16)
無実の大坂正明同志奪還を
10・19デモ-26公判に集まろう
大坂正明同志の裁判は、10月19日の検察による論告求刑、同26日の最終弁論と大坂同志の最終意見陳述を残すのみとなった。裁判を通じて大坂同志の無実は完全に明らかとなった。これ以上、一日たりとも大坂同志を勾留し続けることは許されない。裁判傍聴と19日の裁判所包囲デモを全力で闘い、大坂同志を絶対に奪還しよう。
大坂同志は無実である。大坂同志は、1971年11・14沖縄返還協定批准阻止・渋谷暴動闘争を命懸けで闘った。デモ隊は機動隊の阻止線を突破し、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の闘いを圧倒的に切り開いた。この闘争過程で機動隊員1人が死亡した。
これに恐れをなした国家権力が、星野文昭同志、奥深山幸男同志、大坂同志を「殺人の実行犯」にでっち上げたのだ。星野同志は「無期懲役」という反動判決を受けながら獄中44年、非転向を貫き不屈に闘い抜いた(2019年獄死)。奥深山同志は長期勾留によって病気になっても、45年間非転向を貫いた(17年逝去)。大坂同志は2人の闘いを引き継ぎ、46年間に及ぶ指名手配と闘い、不当逮捕・起訴後も6年に及ぶ裁判闘争で国家権力のでっち上げ攻撃と全力で闘ってきた。
今や、全公判を通して大坂同志の無実は完全に明らかになった。東京地裁刑事4部(高橋康明裁判長)は、直ちに大坂同志を解放し、無罪判決を出せ!
要望書受け取りを刑事4部が拒否!
10月5日、大坂正明さん救援会は東京地裁前で保釈を求める署名を集めた。各所で討論の場ができた。「裁判所はひどい。すぐに解放すべき」「無実の人を6年も獄中に入れるなんて、戦争国家よね」「裁判所が人権を守らないのなら、人民は反乱しかないじゃないか」と、国家権力への怒りが次々に表明され、署名が集まった。その後、救援会は東京地裁への申し入れ行動に移った。刑事訟廷管理官なる人物が対応。「大坂さんは無実。沖縄闘争の爆発を恐れた警察や検察による意図的なでっち上げ事件だ。直ちに大坂さんを獄から解放しろ」「警視庁公安部は、大川原化工機事件でも証拠を捏造(ねつぞう)した。戦争の時代は、正義や真実や人権がふみにじられる」と、怒りの発言があいついだ。管理官は無言で発言者をにらむばかりだった。
救援会は保釈要望書322通(累計1216通)を示し、「刑事4部の裁判官に渡すように」と要求した。しかし管理官はこれまでと違い、「お預かりします」と言うだけで、「刑事4部に渡す」とは言わない。救援会は刑事4部の書記官室に直接持っていくことにしたが、ここでも刑事訟廷係の人物が現れ、長時間待たせた末に「ここでは受け取れない」と宣告してきた。裁判で大坂同志の無実が暴かれ、追い詰められた裁判所は、労働者民衆の怒りや解放を求める声を恐れ、不当にも保釈要望書の受け取りを拒否したのだ。
大坂同志の奪還をめぐって、国家権力との激しい攻防に入った。10月19日、検察官の論告求刑を許さず、東京地裁包囲デモを圧倒的にうちぬこう。26日の最終弁論と最終意見陳述の裁判に大結集しよう。その力で大坂同志を絶対に奪還しよう。