団結ひろば 投稿コーナー
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舞鶴で放出反対の街頭宣伝
京都・自治体労働者 樋口 直
8月24日、東電は福島第一原発汚染水の海洋放出を強行しました。地元漁民との合意もほごにし、反対の声を無視して強行しました。京都府職労舞鶴支部をはじめ反原発・反戦を闘う舞鶴の仲間たちは、直ちに放出反対の街頭宣伝を行いました。
老朽原発の関西電力高浜1、2号機の再稼働と併せて岸田政権は原発推進政策を進めています。
使用済み核燃料プールの保管量が82%と逼迫(ひっぱく)している関電は中国電力と共に上関町(山口県)の中間貯蔵施設の建設を画策しています。「核のゴミ捨て場」と汚染水放出の今回の攻撃は一体です。その狙いは岸田政権が労働者人民の声を無視・圧殺して原発推進と核武装化を進めるためです。
舞鶴は海上自衛隊の基地が存在し、原発群も近接しています。昨年の「安保関連3文書」の閣議決定以来、岸田政権は全国の民間港湾施設の無制限の軍事使用も考えています。私たちは反原発と反戦・反核の拠点として、舞鶴での闘いを地元住民と団結して推し進め、戦争を止める覚悟です。
汚染水放出弾劾の街頭宣伝では、地元で企画されていた9月2日の「はだしのゲン」上映会の案内も行いました。上映会の当日は岸田の戦争政策に危機感を感じる住民をはじめ30人を超える参加者がありました。この力で原発と戦争を止めよう!
西武ストの支援での出会い
東京北部 渡邉 智
8月31日、西武池袋本店のストライキ支持行動に参加しました。開店時間間際までシャッター前に陣取り、「今日はわれわれが主役ではなく、支援です」というコンビニ関連ユニオンの河野正史委員長はカメラの放列に囲まれ、十分に「目立って」いました。
当該労組の約300人のデモは圧巻でした。「ストライキは労働者の権利だ」と当たり前に語られる、意義深い一日でした。
思わぬ出会いもありました。デモに続き歩道を歩いていたら、「全労協」の腕章を着けた労働者がいました。11・19労働者集会のビラを渡すと、「動労千葉、知ってますよ」と。元国労千葉の運転士で、退職後も労働運動を続けているのだそうです。スト破りを拒否し国労から動労千葉に移った組合員など「今も動労千葉の人たちとは交流があります」とのこと。
僕が「中野洋委員長の時から動労千葉にお世話になっています」と言うと、「中野さんは頭のいい人でしたね。当日勤務の運転士をデモの両端につけて、弾圧されないようにしたんです」。1972年の船橋事故闘争の話です。逮捕された高石運転士の裁判闘争で組合員を大動員した千葉地裁包囲デモの時、中野書記長(当時)は警察に「もし手を出したら、電車が全部止まっちゃうぞ」と言って、ジグザグデモをしても一人も逮捕させなかったのです。動労千葉の路線と団結の要となった「反合・運転保安闘争」がこんなふうに伝わっているのです。
「今日のストは、日本の労働運動が変わるきっかけになるかもしれないですね」と言うと、「僕もそう思います」。思いを共有できた気がします。11・19へオルグを続けたいと思います。
教育労働者は反戦の先頭に
日教組香川三観地区教組副委員長 須藤角一
8月29日、日教組香川 三観地区教職員組合の定期大会を開催した。議案と、「戦争絶対反対」の特別決議を全員一致で可決した。
片山元久執行委員長から職場と街頭で「教え子を再び戦場に送らない」闘いをさらに進めること、戦費調達のための「定額働かせ放題」をやめさせること、の2点を柱にして提案がなされた。「戦争絶対反対!」「人間らしく生きていける労働条件にしろ!」との提起は、いまの私の心にぴったりと刺さる!
戦時下でこそ、「教え子を再び戦場に送らない」という日教組のスローガンを愚直に実践する時なのだ。今こそあの戦争の教訓を現代に蘇(よみがえ)らせ、教育労働者が戦争絶対反対を闘うことの歴史的・決定的役割を自覚する時である! 闘いの最先頭で体を張り、人生をかけて闘うことだ。
連合は戦争遂行勢力に転落し、崩壊の道を進んでいる。日教組本部も現場労働者の闘いを売り渡し産業報国会化してしまっている。連合を打倒し、今こそ、闘う日教組を蘇らせる時だ!
討論では、「戦争に行かされるのは労働者、戦争が労働者の生活を破壊する。教育労働者こそ戦争反対で闘おう!」「まず自分の職場から、おかしいことをおかしいと言うことが大切。戦争を『正しい』と教育することほどおかしいことはない。職場から声を上げよう!」との訴えがあった。
この定期大会こそ、秋の闘いの出発点だ! 星野絵画展、9~11月の毎月1回のデモ、9・23反戦闘争への組合動員を決定し実践あるのみだ。その集大成として、11・19労働者集会で岸田と資本家どもに対し、戦争しようと「企てる者」が噴火寸前の活火山の頂上にいることを、教育労働者として教えてやる!
東海第二原発の現地で行動
東京 吉増 圭
8月26日、東海第二原発再稼働反対バスツアーに参加しました。午前中は関連施設などを見て回り、午後は集会でした。東海第二原発はGX脱炭素束ね法で最長73年も運転できることになりましたが、かつて何回も事故、故障を起こしているひどい老朽原発です。水戸地裁では避難計画が全くできていないとして運転差し止めの判決が出ています。しかし、この日本一危険な原発も24年の秋には再稼働するとしています。
次に通ったのはかつての「東海核燃料サイクル施設」で、今は「核燃料サイクル工学研究所」になっています。「ふげん」から来た使用済み核燃料の膨大なプルトニウムがあり、研究が行われているとのことです。六ケ所村の再処理工場の運転も24年に始めようとしています。ここから排出される放射能は1京8千兆ベクレルと言われ、想像を絶するものです。汚染水海洋放出は「トリチウムは薄めてあるから大丈夫」とうそを言い、世界中の反対を押し切って行われました。原発事故をなかったことにするため、核戦争に向かうためです。絶対反対です。
その後、1999年に死者2人、被曝667人を出したJCO臨界大事故の建物に行きました。事故を起こした工場は町工場のように小さく、なんと残っているのです。核燃料はそうやすやすと運び出すことができません。そのたった80㍍隣に、被曝した被害者の中でただ2人、被曝による下痢、うつ病に苦しみながら、損害賠償請求訴訟を起こし闘った大泉夫妻の工場も残っていました。
すべての原発を今すぐなくそう。中国侵略戦争に突き進む岸田を打倒して「戦争を内乱へ」をともに闘いましょう。
朝鮮人虐殺した「藤岡事件」
群馬 A
1923年9月1日、関東大震災が発生し、未曽有の大災害になった。9月2日に戒厳令が出された。天皇制支配権力は階級情勢の激動化に恐怖し、民衆の不満や怒りを労働者階級と日朝人民間の分裂に向けさせるため、大震災を利用して「朝鮮人が井戸に毒をまいた。家に火をつけた。社会主義者と組んで暴動を起こす」などの流言蜚語(ひご)を故意に流した。それは地方にまで広まった。
9月5日、未明に群馬県の藤岡警察署に多野郡新町の鹿島組傘下で働く朝鮮人12人と行商人3人、昼ごろに1人、そして自ら保護を求めてきた朝鮮人1人、合わせて17人の朝鮮人が夕方までに藤岡署の留置場に開鍵状態で保護された。
同日午後8時頃、2千人の民衆や自警団が藤岡署になだれ込み、竹やりやこん棒、日本刀や猟銃で17人に襲いかかり、うち16人の朝鮮人が署内で虐殺された。幸い1人は留置場の屋根を剥がし難を逃れた。翌6日には1人の朝鮮人が多野郡日野村から消防手によって警察署に連れて来られ、その夜のうちに自警団に虐殺された。警察署も破壊され書類に火がつけられた。
これは、国家権力が組織した流言蜚語がもとで民衆、自警団が藤岡警察署を襲い、17人の朝鮮人が罪なく虐殺された事件だ。しかし、100年経っても国は謝罪はおろか反省すらしていない。本来、親からもらった命は自らの責任で全うするもの。他人の手や国家の手(=殺人、虐殺、戦争)によって命を絶たれるのは言語道断であり、絶対に許される行為ではない。差別、排外主義、戦争には絶対反対である。
右翼の妨害粉砕し高崎デモ
群馬 清水彰二
9月3日に高崎市で「関東大震災100年・朝鮮人犠牲者慰霊/群馬の森追悼碑撤去反対」を掲げて、第11回宗教者平和行進が取り組まれました。改憲・戦争阻止!大行進・群馬も参加しました。これに対し右翼が関東一円から12台の街宣車を連ねて「群馬の森朝鮮人追悼碑を撤去せよ」などと、あらん限りのヘイトを繰り返し、集会中の公園の中にまで入り込んで襲撃を試みました。
関東大震災の朝鮮人虐殺を繰り返すのか、侵略戦争を繰り返すのか、平和は断固として闘う中でしか実現できないことをしっかりと確認して集会とデモを打ち抜きました。
この意味は大きく、希望につながりました。こういう右翼の襲撃や妨害・嫌がらせはこれからもひどくなるでしょう。これでおじけづいてしまうと戦争に真っ逆さま。逆にこういう騒ぎや衝突は運動や団結を強固にします。今の段階でこういう激突を繰り返し、味方の力を強くする。右翼は衝突で強くなりません。中身も根性もないから見掛け倒しです。今のうちに粉砕してしまいましょう。