団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3308号04面03)(2023/08/28)


団結ひろば 投稿コーナー

「はだしのゲン」継承し闘う
 東海・青年労働者 S

 8月5〜6日、8・6ヒロシマ大行動実行委員会の行動に参加しました。
 5日、広島に到着して早々、教育労働者が呼びかけるデモに飛び入り参加しました。「『教え子を戦場に送らない』は、日教組の綱領だった」にもかかわらず、今の日教組本部が戦争遂行勢力に転落し、現場労働者の権利を売り渡していることが暴露されました。
 続く8・5総決起集会では、日本会議による「はだしのゲン」抹殺運動や、8・6における反戦反核の声を圧殺するための様々な暗躍が暴露されました。まさに、「8・6は静かに祈る日」という考えは核戦争の道に絡めとられていくということ、全国の労働者に求められているのは「はだしのゲン」作者の中沢啓治氏の精神を継承し、反戦反核の声を上げ実践するということ、これこそが犠牲者へのレクイエムになるのだとつかみ取りました。
 6日は朝6時に原爆ドーム前に行くと、すでに集会参加者のスクラムと、それに罵詈(ばり)雑言をあびせる右翼との一触即発状態でした。「静かに祈る日」とは何だったのか!?
 そして8時15分、黙祷(もくとう)。戦争と核兵器に対する怒りの中で亡くなった犠牲者や、中沢啓治氏の魂が体に入り込む感覚があり、気が付いたらデモの解散地点にいました。
 その後、全国青年労働者集会、8・6ヒロシマ大集会、第2弾のデモにも参加。本通アーケードの労働者市民の反応が、予想以上に良かったです。
 この熱気を、組合の青年部建設へとコンバートし、11・19労働者集会に決起していきます☆

リバタリアンと反戦・反核
 京都大学 友花優香

 私はリバタリアンだ。自己所有権とそこから演繹(えんえき)される個人の自由を絶対視する。なぜ、リバタリアンが反戦・反核デモに参加したか。それは、リバタリアンの思想と伝統だからだ。
 リバタリアン思想家のマレー・ロスバードは、20世紀アメリカにおいて、反ベトナム戦争、親ゲイ・リベレーションを志向した。国家の存在と行為が自己所有権を侵害するために、止める必要があったからだ。
 また、アメリカのリバタリアン党は8月7日のツイートで、ヒロシマ・ナガサキに対する従来的な原爆言説に反対し、二度と同じことがあってはならないと述べた。第2次世界大戦の核攻撃は人命(特にアメリカ人)の損失を抑える人道的なものとする言説がささやかれていた。しかしリバタリアン党は、それに抗い、核攻撃の「道徳性」に反対し核攻撃は米国政府による大量虐殺だと述べたのだ。
 このように、私は、リバタリアンの思想と伝統、私自身の自由意志の下で、反帝・反スタの士とデモを共にしたのだ。国家のおぞましい増長と、それによって引き起こされる戦禍を許してはならない。度重なる規制と増税を放置することはできない。直接行動によって対抗する他ない。
 すべての政府は粉砕されなければならず、政府という独占的暴力装置によって不当な利益を得る大資本家を野放しにするのはもう終わりだ! 粉砕!

「ヒロシマ魂」で団結拡大へ
 日教組香川三観地区教職員組合執行委員長 片山元久

 被爆者の怒りを自分のものとし、G7広島サミットでヒロシマを蹂躙(じゅうりん)するような暴虐の限りを尽くした岸田を打倒・粉砕するぞ! 階級情勢をつくりかえる出発点にするために、今年の8・5〜6ヒロシマ闘争には可能な限りの準備をして臨むことを仲間と議論して取り組んだ。その結果、多くの仲間が結集してくれた。
 当日に向けて、①5・19広島サミット粉砕決戦以降8月4日まで、県下9カ所で「はだしのゲン」上映会を行い、近隣の教育労働者をはじめ地域住民の方の参加も得られた。②7月の毎週土曜・日曜に「戦争絶対許すな!」の街宣を行った。とりわけ「前進」号外の受け取りがよかった。③各メンバーの職場での組合員獲得をめざして、「広島ビジョン反対署名」集めを実施し、多くの協力が得られた。
 8・5原爆ドーム前全国教育労働者集会・市内デモでは、教育労働者こそが最先頭で政府の戦争政策に反対することを訴えた。「教え子を再び戦場に送るな!」の実践そのものだ。
 今、組合の定期大会の準備中。この11月は「8・6ヒロシマ」で闘った魂で団結を拡大させ、11・19日比谷に向けて職場闘争から始める決意をしている。

「手紙」が紡いだ35年の日々
 東京 大空 茜

 『あの坂をのぼって』を読みました。文昭さんと暁子さんが出会ってから35年間。どれほどの長い年月だったでしょうか。お二人が「手紙」を通じて愛し合い、気遣い、本音をぶつけ合って闘ってこられたことを(ほんの一部ですが)垣間見させて頂いた気持ちになりました。そして文昭さんが手術前に書かれた最後の手紙は読む前から涙があふれてきました。
 2019年5月29日の夜、「危篤」の報を受けた私たちは会議を中断して医療センターに駆けつけました。「暁子さんを文昭さんのそばにいさせろ」と何度抗議しても聞き入れない看守に対して、岩井信弁護士が実力で立ち向かい中に入ることを認めさせました。
 文昭さんは意識がもうろうとする中、暁子さんの手をギュッと握り、そのぬくもりと強さと最期まで全力で生き抜く姿を暁子さんに遺(のこ)してくださいました。文昭さんは今も私たちのすぐそばにいます。
 暁子さんの毎日便を「あの坂をのぼって」届け続けてくれた郵便労働者にも感謝します。
 文昭さんの命を奪った国家権力は絶対に許せません。その怒りや悔しさを、国賠勝利として晴らしたい。そして大坂さんを即時奪還し、一緒に共産主義社会を実現していきたいと思いました。
 私は「手紙」を書くことが苦手です。でも「手紙」が紡いだ35年の日々に触れ、私も初めて大坂さんに手紙を書きました。これからも不定期ですが送ります。

横田でPFAS学習講演会
 改憲・戦争阻止!大行進三多摩実行委員会 五十嵐小路

 8月13日、国分寺市内で、「改憲・戦争阻止!大行進三多摩実行委員会」が主催する学習講演会「横田基地とPFAS汚染」が行われ、約40人の労働者市民が集まりました。
 まず、国分寺本町クリニックの杉井吉彦院長が「PFAS汚染の現状と横田基地」と題して講演。「PFAS」とは人工的につくられた有機フッ素化合物の総称で、製造・使用・輸入の禁止が進んでいます。アメリカでは健康被害の発生により、「飲料水濃度規制」が強化されています。
 そうした中、長年PFASを含んだ泡消火剤を貯蔵・使用してきた沖縄県の米軍基地周辺の河川や地下水などから国の目標値を超える値が検出され、周辺市町村の住民の血液検査でも指針を超える血中濃度が検出されました。横田基地のある東京の多摩地域でも、2022〜23年、住民650人を対象に血液検査が行われ、非常に高い数値が検出されました。
 杉井さんは、「汚染源として横田基地が怪しいのは間違いない。周辺地下のボーリング調査、住民への無料での血液検査、健康被害把握、公的な機関と補助で検査の体制を早急につくることが医療の原則」だと力説されました。
 主催者からは「国や東京都、米軍にPFAS汚染拡大の責任を認めさせ、汚染被害への責任をとらせるためにも、現実の世界戦争、岸田政権と対決し、打倒する労働者民衆の反戦闘争・反基地闘争を巻き起こすことが必要」との問題提起がなされました。質疑応答では活発な質問・意見が出され、危機感と関心の広がりを強く感じました。

多田道夫同志の逝去を悼む
 関東障害者解放員会 K

 関東障害者解放委員会を長年担い、革共同東京東部地区・細胞で闘いぬいた多田道夫同志が5月22日、肺ガンからの脳内転移・脳出血で75歳で亡くなった。彼は一昨年の11月集会参加以来、肺ガン治療(当初は肺炎の疑い)や脊柱管狭窄(きょうさく)症などで自宅リハビリを続けてきたが、今年3月下旬に自宅アパートで突然倒れ、妻の介抱でかかりつけの精神科病院に救急車搬送されるも回復せず、4月半ばに意識混濁のまま都立松沢病院に転送され、息を引き取った。
 多田同志は1970年闘争の渦中で法政大に入学しバリスト闘争に触れる中、「14歳から統合失調症発病と入退院、50回に及ぶ転職を繰り返す」と話す自らの体験を基に精神病者解放を一貫してテーマに掲げてきた。同じ病者運動の中で妻とも出会い、保安処分反対闘争、精神衛生法撤廃、山谷地区でも活動した。とりわけ赤堀政夫さんの奪還をめざす赤堀闘争では「八王子赤堀さんと共に闘う会」を結成し地域の労組・障害者と共に89年無罪奪還まで闘った。この過程で革共同に結集し「障害者解放・日帝打倒」の最前線に立った。95年から共同作業所運動を三多摩地区党と共に切り開き、医療観察法反対、佐野雄介闘争、「脳死・臓器移植」反対闘争などで常に仲間を鼓舞激励した。
 2007年には血債主義で分裂に走った塩川派と対決し東京東部地区に移籍して闘い、21年パラリンピック反対闘争では次世代を担う青年障害者と共に日本パラ協会への中止の申し入れを都内各地ユニオンの仲間と共に行い、往年の迫力あるアジテーションで魅了した。常に見せる多田同志の労働者解放=障害者解放への揺るぎない確信に満ちたその笑顔を胸に世界革命まで共に闘いたい。

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