団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3307号04面03)(2023/08/21)


団結ひろば 投稿コーナー

広島闘争を闘って

広島市民の信頼得たと確信
 広島大学1年生 清澄 陸

 8・6―8・9闘争を闘いぬく過程で、私は民衆の信頼を得ている実感をつかむことができました。
 私たちは5月、広島G7サミットを戦争会議だと訴え、その粉砕に向けて連日デモを行いました。その結果、サミット以前とはうって変わって、多くの被爆者団体が怒りの声を上げることができたのだと思います。また、8・6―8・9過程のデモでは市民から多くの注目を浴び、私たちに声をかけてくる若者もいました。市内で街宣をすると、広島ビジョン反対の署名もたくさん集まりました。8・6当日のデモ中には飛び入り参加もあり、以前、街宣の時にビラを受け取った人たちの沿道からのたくさんの声援がありました。これはわれわれが断固としてサミットに反対し、反戦・反核を訴え続けて、多くの民衆の信頼・支持を勝ち取ることができたことの何よりの証拠です。
 平和記念式典の中で、岸田首相は被爆者の方々に寄り添い援護施策を推進すると言っています。しかし、現状は全く真逆の状態です。黒い雨訴訟の問題でわかるように、これまで国は多くの人を被爆者として認めてきませんでした。今でも被爆者健康手帳をもらうことができていない被爆者の方々が多くいます。これのどこが被爆者に寄り添っていると言えるのでしょうか? 全く許せません。
 今、日本では軍事費2倍化など戦争への準備が急速に進んでいます。それを止められるのは、労働者人民の力のみです。11月19日の労働者集会に集まり、全国の労働者・学生は一層団結して闘いぬきましょう!

実力闘争で右翼蹴散らした
 首都圏・学生 福田薫

 被爆78年の8・6ヒロシマ大行動に決起した。6日早朝、昨年の5・22日米首脳会談・クアッド粉砕闘争以来うち鍛えてきたスクラム部隊が、集会妨害のために結集していた日本会議系の団体「静かな8月6日を願う広島市民の会」を瞬く間に蹴散らし、平和公園の一角を制圧・解放した。これまでにない仕方で自分たちが登場したことに、闘いの前進を感じた。
 彼らは8月6日は慰霊の日だと言って、「静かに」などと書かれたプラカードを掲げた。しかし、核抑止を正当化し、再び核を民衆の頭上に落とそうとしている岸田が出席する式典を黙って見ていることが「慰霊」なのか。そもそも、この日が慰霊の日として位置付けられるようになったのも、被爆者らが米軍と日本政府による激しい被爆者抹殺攻撃を実力で突破して築いた反戦反核の闘いがあったからだ。私たちのなすべきことは、「広島ビジョン」で核を正当化する岸田と一緒に「静かに」祈ることでは断じてない。被爆者の怒りと闘いを引き継いでヒロシマとナガサキを絶対に繰り返させない反戦闘争を断固闘いぬくことこそ、私たちの使命だ。
 デモ中に沿道やバスの中から手を振ってくれる人々や、「(5年前に闘いはじめて以来)青春を取り戻している」と語る被爆者の決起に非常に勇気づけられた。戦争を止める力は私たちにこそある。このことに確信をもって闘いぬこう。

被爆者の怒りを共にし闘う
 奈良 野々宮重松

 私は、派遣労働者として工場で働いています。今回初めて8・6ヒロシマ大集会に参加しました。
 実は、私は何年も前から8・6ヒロシマの行動は知っていましたが、参加できていませんでした。これまで「日本はアジア侵略してきた加害者であって、ヒロシマは被害者として扱われている」という思いがあり、躊躇(ちゅうちょ)してきました。しかし、5月G7広島サミット粉砕闘争を通して転換しました。戦争反対、被爆者の闘いに、国家権力が恐れていることを確信したのです。
 集会では、被爆者の土井さんの発言や韓国の全教組の方の発言が心に残りました。自治労広島の住廣さんの発言は、奈良市従と一緒で、戦争に賛成か反対かの分岐点と思いました。また、宮原さんの基調提起に感動しました。被爆者、被爆2世・3世という重い責任を背負って、人生をかけて闘っている皆さんの姿に、怒りや悔しさがものすごく伝わりました。
 デモをしながら、78年前の原爆で燃え尽きるヒロシマを想像しました。「ヒロシマ・ナガサキを繰り返すな!」「被爆者と共に闘おう!」というコールを思い切り叫びました。沿道から外国人観光客も含めて手を振る人が多くいて、国境を越えて皆が戦争反対で決起することをつかみました。
 広島ビジョンを弾劾し、中国侵略戦争を阻止するために9・23デモと11・19集会に攻め上りましょう!

自国政府打倒の反戦闘争を
 京都 真木龍次

 8・6ヒロシマ大行動は、「外交努力や相互理解などという上辺をなぞるだけの反戦闘争は通用しない。戦争推進する自国政府の打倒を掲げる反戦闘争だけが闘える」(集会発言)ことをはっきりさせた。9・11、リーマンショック、3・11、アフガン戦争アメリカ敗退、コロナ禍、ウクライナ戦争......人生の大半が世界的危機とともにあった若者ほど、このことを本能的に感じ取っている。
 しかし自民党政府と支配階級は、ファシストやカルト団体を動員し、あるいは借金による縛りや雇用を人質に取ることで、排外主義を蔓延(まんえん)させ戦争へと駆り立てている。また、戦後民主主義や反米意識に依拠していた左翼や平和活動家は、ウクライナ戦争で民族主義者の本質をむき出しにした。彼らは米中戦争=第3次世界大戦が切迫すればするほど、祖国防衛主義者としての正体をあらわにし民衆に戦争参加を迫る突撃隊になるだろう。
 このような二重三重の物理的精神的障壁を打ち破るものとして、8・6ヒロシマ大行動はあった。階級的労働運動と、「反戦闘争としての反戦闘争」に根ざした団結があれば、あらゆる困難や弾圧を打ち破れる。日本会議を蹴散らした朝集会や、岸田式典出席弾劾デモはその証明だ。地底より響く被爆者の怒りの叫びに共鳴する反戦運動が、唯一民衆の意識を戦争の無い世界へと跳躍させる。我々は8・6ヒロシマ大行動を通じて、この真理をよみがえらせ広めたのである。

団結の力でドーム前を解放
 東京 藤林達也

 8月6日、平和記念公園にて、私は早朝から多くの労働者の働く姿を見ました。平和記念式典に参加する家族も取材クルーも、祈祷(きとう)師も会場設営する人も、みんなこの日が特別な日だと知っていて、この日のために準備してきたのです。この場所は、被爆者の怒りと闘いによってつくり出されたのです。
 岸田首相が核容認の広島ビジョンをもって式典に出席することは、その被爆者の思いを蹂躙(じゅうりん)するものです。どうして怒りを抑えられるでしょうか。被爆者の怒りの決起が、被爆をなきものにしようとする米日帝の思惑をうち破ったように、たとえ反動の矢面に立ってでも声を上げることです。それが被爆者と共に闘うということです。
 この日、広島を訪れた青年にはどうか知ってほしいです。岸田の代弁者である極右をあっという間に制圧し原爆ドーム前で圧倒的な反戦・反核集会を貫徹したことを。団結の力とはまさにこのことだと。本当に戦争を止めるなら!
 何度も広島に足を運ぶうちに、新しい顔触れが増えたような気がします。デモ行進は解放的に打ちぬくことができました。この日のために準備をしてきた8・6ヒロシマ大行動実行委員会のみなさまには心から敬意を表します。

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原発汚染水を海に流すな!
 動労総連合水戸書記長 石井真一

 7月30日、福島県いわき市で「汚染水を海に流すな!いわき行動」を開催しました。私は茨城に住んでいますが、「処理水」などとごまかして海に流すことは絶対に許せません。汚染水のことを話すと「もう流れているよ」などと冷めた言葉で言う人がいますが、なぜ反対の声を上げないのか。わかったふりをして、岸田に忖度(そんたく)するなと言いたいのです。
 汚染水に含まれる放射性物質はトリチウムだけではないし、トリチウムも猛毒です。汚染水投棄で大切な海が奪われようとしています。岸田政権は中国との戦争に向け、核兵器を使用するために全面的に原発を再稼働しようとしています。
 いわき集会に向けて7月27日に福島市で記者会見をしましたが、記者からの質問は「処理した後も汚染水と言うのか」というものだけでした。「トリチウムだけだから、薄めるから大丈夫」と思っているのでしょうか? 薄めても汚染物質の量は同じです。そして、何年も何十年も流されるのです。真実を語り、「汚染水は汚染水だ」と言い続けなければなりません。
 福島の地で福島の人が声を上げることに意味があります。広島・長崎の人々はG7広島サミットで出された「広島ビジョン」に怒りの声を上げました。その声が福島―広島―長崎とつながることが大事です。汚染水の投棄を止めましょう。

地元から絶対反対の声上げ
 茨城県地域連帯労組 辻川あつ子

 福島県いわき市での福島第一原発の汚染水海洋投棄に反対する集会とデモで、戦争と原発推進の岸田に怒りをたたきつけました。
 集会に向けてチラシ入れなども行い、私はいわき市内を担当しました。避難して来て商店を営む方は、「汚染水を置く場所がないからと聞いています。他に方法あればよいのだが」と話していました。いわき駅前での反原発金曜行動では、いわきの方々の「トリチウムだけでなく他の核種も含まれている。外国では汚染水による健康被害の報告がある」とのアピールを聞きました。チラシを拒絶する人もいましたが、大阪から出張で来たという女性から「地元で反対の声を上げている方々がいるのですね。会えてよかった。私の周囲は皆、反対です。頑張ってください」とあいさつされました。「福島に暮らし続ける私たちはどうしたらよいのか」という深刻な問いもありました。
 当日の集会では、原発労働者の「海に捨てるなんてやっちゃいけない。ダメなものはダメ」の発言や漁民のビデオメッセージが地元の怒りを体現し、広島からの「核兵器を認める岸田の式典参加弾劾」の訴えが8・6広島への号砲になりました。遠方から駆け付けてくれた仲間と共に意気高く炎天下のデモを闘い、福島と茨城の仲間の団結を深める闘争になりました。

人間も地球も壊す海洋投棄
 東京中部ユニオン 伊塚晴留

 汚染水海洋投棄を絶対に許せない。汚染水は核の毒だ。放射線は免疫力を低下させ、あらゆる病気にかかりやすくなる。特に若者や赤ちゃん、胎児への影響は大きい。福島では子ども甲状腺がんの患者が300人を超えた。これは起きている事態の氷山の一角だ。
 汚染水を海に投棄したら、物言えぬあらゆる生き物も被曝を強いられる。プランクトン、小魚、大きな魚と蓄積し、やがて人間も被曝する。海はつながっている。放射性物質を含む海水は水蒸気になり雨となり山や川にも降り注ぎ、地球を汚染する。
 福島第一原発事故を引き起こした日本は、世界に対して対応を迫られている。福島の原発10基で作られ、福島では使われていない電気を享受してきた関東・首都圏には責任がある。福島の怒りと一体となり、一番の犯罪者である国と東電に責任をとらせるべきだ。
 とはいえ戦争・核武装に突き進む国が原発を簡単にやめるわけがない。5月に行われたG7広島サミットは戦争会議だ。汚染水海洋投棄もその一環だ。絶対に許してはならない。7・30いわき―8・6広島―8・9長崎の闘いを引き継ぎ、全ての核の廃絶へ!

会田同志の意志を引き継ぐ
 前進社労対部

 革命的共産主義者同盟の同志として共に闘ってきた会田正毅さんが病に倒れ、3月21日に急逝されました。享年66。突然のお別れとなり、本当に残念でなりません。7月1日、学生時代から共に闘ってきた同志、全国労働組合交流センター事務局、郵政委員会の同志らが集い、偲(しの)ぶ会を開催しました。
 会田同志は1975年に東北大学文学部に入学。学生寮を拠点に激しい党派闘争に勝ち抜き、東北大学における革命的共産主義運動の発展の土台を切り開きました。その後、機関紙「前進」編集局、都政を革新する会通信「新コスモス」の編集に携わり、後に前進社労対部として全国労働組合交流センター事務局を務め階級的労働運動の発展に全力を尽くしました。特に郵政労働者、金属労働者の組織化に取り組みました。
 ある郵政労働者は「管理職に嫌がらせされたときに会田さんが一緒に闘ってくれた。負けずに働き続けられたのは会田さんのおかげ」と偲ぶ会で語りました。会田同志は郵政民営化絶対反対の激闘を貫き、2011年の郵政非正規ユニオン結成とその組織化に全力を挙げました。相談に来る郵政非正規の青年を励ましながらオルグしていた同志の姿が思い出されます。
 会田同志! 私たちはあなたが革命家として人生をかけて切り開いた闘いを受け継ぎ、勝利の日まで闘います。11・19労働者集会を大成功させ、帝国主義戦争を内乱に転化する階級的労働運動の本格的発展をつくり出すことを誓います。

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