国鉄解雇撤回裁判 井手・深澤を証人に出せ 尋問拒む裁判官を忌避
週刊『前進』04頁(3291号02面01)(2023/04/24)
国鉄解雇撤回裁判
井手・深澤を証人に出せ
尋問拒む裁判官を忌避
(写真 裁判に先立ち東京地裁に向けてこぶしを突き上げた【4月14日】)
国鉄1047名の解雇撤回を否定した中央労働委員会の反動命令の撤回を求めて動労総連合が起こした裁判の第13回口頭弁論が、4月14日、東京地裁民事第11部(須賀康太郎裁判長)で開かれた。この日は、動労総連合の田中康宏委員長と原告の中村仁・動労千葉副委員長、小玉忠憲・動労総連合1047協議会代表への尋問が行われた。
原告側が法廷圧し
原告代理人弁護団の質問に答えて、田中委員長は国鉄分割・民営化を「戦後最大の労働運動解体攻撃」と弾劾した。その象徴が動労総連合の組合員らをJRから排除するために作られた不採用基準だ。不採用基準の策定が不当労働行為になることは、動労千葉が旧国鉄を訴えた裁判の最高裁決定で確定している。その不採用基準の策定経過を、田中委員長は詳細に語った。ねじ込まれた解雇
1987年4月の分割・民営化を前にした同年1月末、本州と四国ではJRへの採用希望者数が閣議決定された各社の定員を下回ることが判明した。激しい労組破壊攻撃で職場が荒廃し、多くの労働者がJRへの就職を拒んだからだ。だがそれは、分割・民営化に反対した動労千葉や国労の組合員が、本州や四国では採用される見通しになったことを意味していた。分割・民営化を率先推進した動労本部や御用組合の鉄道労組などで構成された国鉄改革労組協議会(改革労協)は、これに危機感を募らせた。彼らは1月22日の幹部の会議で、「分割・民営化に反対する労組の組合員はJRに採用するな」と国鉄当局に求めることを決めた。1月29日の国鉄幹部との協議でも、「動労千葉、国労は解雇しろ」と当局を反動的に突き上げた。労働組合が労働者の解雇を要求する、とんでもない暴挙だった。国鉄当局も、さすがにそれは受け入れなかった。閣議決定されたJRの定員を無視するわけにはいかないからだ。そこで国鉄当局は「動労千葉や国労の組合員は、採用はするが配属で区別する」と改革労協をなだめにかかった。だが改革労協はそれにも反発し、国鉄当局との蜜月関係は一変して対立に転じた。
2月2日、改革労協は各単組を解散して鉄道労連(現JR総連)に統合するための大会を開いた。杉浦喬也国鉄総裁はこの大会への出席を見合わせ、同日の記者会見で「本州、四国では希望者を全員採用」と発表した。だが、この方針はその日のうちに覆る。
同日、国鉄総裁室長の井手正敬(後にJR西日本社長・会長)と国鉄職員局次長の葛西敬之(後にJR東海社長・会長)がJR設立委員長の斎藤英四郎(当時、経団連会長)を訪れ、動労千葉や国労の活動家をJRから排除するための選別基準の策定を進言した。斎藤もそれを了承して2人に基準の策定を命じた。その経緯を、井手自身がのちに回顧録で語っている。
こうして事態はさらに転じ、同日夕方の鉄道労連結成レセプションには杉浦総裁が出席し、「皆さんの努力に応える」と表明した。
この結果、6カ月以上の停職処分または2回以上の停職処分を受けた者はJR採用候補者名簿から削除するという不採用基準が作られ、動労総連合の組合員はJRへの採用を拒まれた。
不採用にされた組合員の名前は、当初作成された採用候補者名簿には載っていたが、葛西の指示で削られた。この事実は、動労千葉が旧国鉄を訴えた裁判で伊藤嘉道・元国鉄職員局職員課補佐が証言して明らかになった。名簿を作り直す実務を担った伊藤元補佐は、深澤祐二・JR東日本現社長も彼の同僚として同じ作業に携わったと証言した。
これらの事実を述べた田中委員長は、弁護団の質問に答えて、井手と深澤の証人尋問は絶対に必要だと声を強めた。これまでJRは「JRと国鉄は別法人」「国鉄が作った採用候補者名簿をそのまま受け入れただけだからJRに責任はない」「JR職員の採用は新規採用だから誰を採用するかはJRの自由」とうそぶいて責任を逃れてきた。だが、組合員を解雇するための不採用基準は、JRそのものと異ならないJR設立委員会の指示で作られた。解雇の首謀者はJRだ。
田中委員長は「組合員を解雇した当事者が真実を隠し続けてきた。時効でこれがまかり通っていいはずがない」「貧困と格差拡大の出発点になった国鉄分割・民営化の真実を明らかにしなければ、働く者の権利回復はない」と力説し、深澤らの尋問を強く求めた。
スト決行への報復
中村さんは85年11月と86年2月の分割・民営化反対のストライキを指導したとして停職6カ月の処分を2回受け、不採用基準で解雇された経過を話した。また、組合員や全国の仲間の支援に応え必ず解雇を撤回させると表明し、ストへの報復処分がさらに解雇の理由にされた不当労働行為を解明するため、深澤らを尋問せよと裁判長に迫った。小玉さんは秋田鉄道管理局管内でただ一人、解雇された事実を語った。当時、国労の分会書記長だった小玉さんは、国労脱退を強いる管理者への抗議を「暴言」とされ、2回の停職処分を受けた。小玉さんも解雇撤回の意志を示した。
3人のこうした訴えに全く耳を貸さず、裁判長は井手と深澤の証人尋問は必要ないと言い放った。法廷は抗議の怒号に包まれ、原告代理人はすかさず裁判官への忌避をたたきつけた。裁判官は結審も宣告できず、逃げるように退席した。
国鉄解雇撤回闘争は戦時下で「勝利まであと一歩」の最終盤の攻防に入った。反動は激烈だが、これを実力で打ち破れば階級的労働運動は必ずよみがえる。国鉄闘争全国運動が呼びかける6月18日の集会に集まり国鉄決戦に勝利しよう。