天神峰カフェ 闘いはいよいよ本番だ 強制執行阻止の決意新たに
天神峰カフェ
闘いはいよいよ本番だ
強制執行阻止の決意新たに
農地強奪攻撃との対決が続く天神峰の市東孝雄さん宅中庭で1月15日、「天神峰カフェ」が開かれた。
東京高裁第2民事部(渡部勇次裁判長)は、市東さんの天神峰農地に建つ建物(離れ、ビニールハウス、作業場など)収去の授権決定への執行抗告に対し、1月11日付で反動的棄却決定を下した。また、反対同盟所有のやぐら・看板についても東京高裁第4民事部(鹿子木康裁判長)が10日付で棄却決定を下した。
そして、旧小見川県道をはさんで対峙する機動隊宿舎の敷地では今、強制執行に向けての準備工事が進められている。空港内から機動隊宿舎内に工事車両などを直接搬入できる新ゲートが設置された。また東峰開拓組合道路へと人員が出入りできる「ドア」がフェンスに作られた。(17日)
三里塚芝山連合空港反対同盟が「強制執行との闘いはいよいよ本番」と呼びかける緊迫した状況のもとで、現地の支援連、全学連、東京西部ユニオンの労働者などが参加して今回のカフェがもたれた。
寒風が吹く中、熱いコーヒーでひとしきり歓談しながら、この間の座り込み、泊まり込み、深夜・未明の周辺監視、巡回活動の報告を受けた。
決戦本部長の太郎良陽一さんは、反対同盟が1990年2月に発行したパンフ「現闘本部だましうち封鎖を弾劾する」のコピーをこの日の学習資料として参加者に配った。
同年1月15~16日、政府・運輸省は天神峰に建つ反対同盟の現地闘争本部の封鎖を強行した。その手口は、前日の午後2時に「家宅捜索」と称して機動隊が突入して反対同盟員を排除して占拠し、翌朝に運輸省に引き渡して封鎖するという悪らつな手口だった。当時反対同盟は、「逮捕覚悟で全員籠城(ろうじょう)」の決意を固めていたが、不意を打たれ「権力の卑劣さをもう一歩よみきれず、急襲と封鎖を許してしまった」(パンフより)。
この一冊の中に、当時の怒りと悔しさ、さらに強固な団結と勝利への確信が同盟員一人ひとりの生の声で載っている。これを読み合わせして、機動隊との実力闘争を具体的にイメージしながら、来たる決戦について参加者が語り合った。
婦人行動隊の木内敦子さんは、当時幼かった長男も現闘本部内にいて機動隊に強制排除されたことを語った。太郎良さんは、この時の闘いの記憶が、決戦本部を立ち上げる動機となったことを語った。ちょうど33年前のこの日、雪が降りしきる中を徹夜で抗議した20時間の闘争を追体験し、参加者はあらためて「農地死守」の決意を共有した。
市東孝雄さんが農作業の合間にカフェを訪れ、「衣(きぬ)かつぎ」(蒸かしたてのヤツガシラの小芋)を差し入れた。この時ばかりは全員が討論をやめてほお張り、大地の恵みのうまさを堪能した。
いったんカフェを閉じた上で参加者は旧小見川県道を渡り、機動隊の宿舎周辺の踏査を行った。格子がかかる窓は閉ざされて中の様子はうかがい知れないが、まさにこの場所から強制執行の実動部隊が繰り出してくることは明白だ。一同は怒りを新たにし、さらに仲間を増やして再会することを約束しあった。