反戦闘争の先頭で星野国賠闘う 星野国賠訴訟原告星野暁子さん
週刊『前進』04頁(3276号04面03)(2023/01/09)
反戦闘争の先頭で星野国賠闘う
星野国賠訴訟原告星野暁子さん
(写真 星野文昭さんの遺影の前で決意を語る暁子さん)
戦時下の2023年の幕が開けた。友人が、軍備のための増税に激しい怒りの声を上げた。「あの人たちに政治を任せておくことはできない」と。岸田政権が防衛費が必要だといくら騒いでも防衛力強化のための増税反対は、世論調査で64・9%。「軍隊は住民を守らない」。沖縄戦の体験を労働者民衆が教訓化する時だ。
星野文昭が殺されてから3年8カ月が過ぎようとしている。革命と愛、そして無実を訴えて獄中44年を生きた文昭の記憶が、多くの労働者民衆の中に刻まれ、鼓舞し続けることを私は願っている。「僕らの仕事は、みんなを励ますことだ」、文昭はそう言っていた。文昭がどんな人間だったかを振り返ってみたい。
★無類の優しさを持った人だった。文昭と生きることを選んだ私をこれ以上ないほど大切にしてくれた。受刑仲間から「ホッシ」と呼ばれ、腰痛体操を教えたり、人生相談にも応じて喜ばれていた。
★自己批判を徹底して行った人だった。文昭が行った自己批判は、二人がまた一緒に生きられる内容をつくりだしたものだった。
★正しいと思ったことは、一人だろうと率先して行動する人だった。監査官申し立てを毎年行い、受刑者全員の毛布の2枚支給を実現した。
そんな文昭が、権力に殺されたという事実を絶対にあいまいにすることはできない。巨大な肝臓がんになるまで検査をせず放置した徳島刑務所、そして術後出血に対する対応を全く行わず、血圧低下の原因を探り再開腹して止血すれば助かったにもかかわらず放置し、生命を奪った東日本成人矯正医療センターの責任をはっきりさせなくてはならない。
原告の医師の意見書提出から1年遅れて昨年12月に被告・国の医師の意見書が出された。被告・国の医師は、第三者の外科医ではなく、内科医で高松刑務所医療第4課長の池田正行だった。徳島刑務所のことも、医療センターのことも池田一人が書いている。池田以外に意見書を書いてくれる医師がいなかったということだ。
池田は、文昭が手術当日の18時50分の段階で、DIC(血小板が減少して血液が止まらなくなる状態)になっていたと言い、再開腹止血術を実施していれば、この時に死んでいたなどと言っている。カルテに全く記載のない病名をあげての根拠ない反論を医師の名前でするのか。恥を知れと言いたい。
大坂裁判と一体で闘い、弁護団・医師の力を軸に医師・学者を巻き込んだ運動の力、労働者民衆の力で、今年は原告勝利を確かなものにしたい。
70年沖縄・三里塚を先頭で闘った星野文昭は、今三里塚の市東孝雄さんの農地に分骨され、ここに生き続けている。文昭の墓を強制執行することは許せない。文昭は「星野を武器に闘え!」と言っている。
2023年岸田政権の中国侵略戦争阻止の道は開ける。頑張ろう!
(星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議共同代表)