大坂さんは無実 大坂裁判第5・6回公判 「殴打目撃」のうそ暴く 破綻した検察側最重要証人

週刊『前進』04頁(3272号04面02)(2022/12/05)


大坂さんは無実 大坂裁判第5・6回公判
 「殴打目撃」のうそ暴く
 破綻した検察側最重要証人


 東京地裁刑事第4部(高橋康明裁判長)で行われている大坂正明同志の裁判は、11月15日と25日に第5回、第6回公判が開かれた。「機動隊を殴打している大坂さんを見た」とでっち上げ証言をするARへの主尋問と反対尋問が、それぞれ1日かけて行われた。弁護人の反対尋問によって、AR証言のでたらめを全面的に暴く大きな勝利をかちとった。
 大坂同志は元気に出廷し、ARと真っ向から対決した。傍聴人は全国から100人近く結集した。九州から千葉工業大学で大坂同志と共に活動した仲間2人がかけつけ、法廷で大坂同志と熱く交流した。傍聴できない仲間は裁判所前で街宣を繰り広げ、大坂同志と連帯して闘った。
 AR証人は1971年11・14渋谷闘争当時、群馬工業高等専門学校(群馬高専)に通う16歳の少年だった。事件の翌年逮捕されたARは当初黙秘していたが、警視庁本部の地下取調室で、警察官や検察官の目の前で父親から殴られ、それを転機に供述を始めた。警察・検察に全面的に迎合し、星野文昭同志、奥深山幸男同志、大坂同志を「殺人罪」にでっち上げる中心になったのだ。
 大坂同志とARは全く面識がない。検察官は主尋問で、大坂同志をでっち上げるために、以下のようなストーリーを描こうと試みた。
 ①渋谷闘争の2日前に、東京都新宿区の工学院大学で大坂さんを見かけた。
 ②渋谷闘争当日、機動隊とデモ隊が衝突した神山交番前で、ARの横から飛び出し逃げ遅れた機動隊員を殴打した者がいた。それが「工学院大学にいた男だった」。
 ③その先の機動隊が死亡した現場で2、3人の男が機動隊員を囲んで殴っていた。それは大坂、奥深山、AOだった、というものである。
 第6回公判で弁護人が反対尋問を行い、AR証言のでたらめを満天下に暴いた。
 大坂同志は工学院大学に行っていない。ARは「大坂さんが人と話しているのを見た」と言うが、何ら具体性がない上、「大坂さんを見た」ということ以外の事実関係は忘れているというのだ。誰と何時ごろ工学院へ行ったのか、大坂さんがいたという部屋の状況も他に誰がいたのかも分からないという。大坂さんを見たというAR証言が虚偽であることは明らかだ。
 さらに、ARは「神山交番前で逃げ遅れた機動隊を大坂さんが正面から殴った」というこれまでの供述を、今回突然「右に回り込んで殴った」と変えた。弁護人は「そうしないと顔が見えないからではないか」と追及した。ARは全く答えられなかった。
 また、殴打現場に大坂さんがいたという証言についても、大坂さんの服装が何色であったか、マスクをしていたかどうか、など肝心なことについて全くでたらめであることを暴いた。
 また、ARはこれまでの供述を変更し、51年たった今、全く新たなことを証言し始めた。これまでは「大坂さんを見たのは、後ろから近づいた時」と言っていたのを、「殴打現場を通過して前まで進み、戻って来た時に大坂さんの横顔を見た」と証言を変えたのだ。大坂さんを目撃したと言うためには、顔を見たとするほかないからだ。
 物証がない上、51年も前のでっち上げ事件であることによって、検察官とARが一体で、でっち上げに都合のいい証言を繰り返すことなど、断じて許すことはできない。
 さらに弁護人は、ARが過去の星野同志の裁判の控訴審で5点にわたって供述を訂正しており、その際「取り調べが厳しく記憶にないことを言った」「訂正するつもりで出廷した」と証言していることについて尋問した。例えば、供述調書で「大坂が『殺せ殺せ』と異様な声で叫んでいた」とあるのを、公判で「誰の声か分かりませんでした」と訂正していたのだ。この追及に対しても、ARは卑劣にも「覚えていない」と言って逃げた。
 弁護人は、AR証言のでたらめ極まる変遷を全面的に暴き出し、その矛盾を突き、検察側立証を破綻させた。
 12月2日の第7回公判は、高崎経済大学の学生だったAO証人への主尋問・反対尋問。AOも11・14渋谷闘争に参加し「殺人罪」をでっち上げられた当該だ。
 AR証人に続き、警察・検察が捏造(ねつぞう)した供述調書のうそを暴いていこう。大坂同志は無実だ。傍聴闘争に結集し、大坂同志とともに闘おう。
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