強制執行阻止!決戦の三里塚へ 戦争のための農地強奪許すな

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週刊『前進』04頁(3271号03面01)(2022/11/28)


強制執行阻止!決戦の三里塚へ
 戦争のための農地強奪許すな

(写真 市東さんの天神峰農地と物件すべてが強制執行の対象になる!【太線枠内】)




 岸田政権と成田空港会社(NAA)は、三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの農地を奪う最後的手続きについに踏み出した。田村明比古社長は強制執行を「円滑かつ確実に実施する」と言い放ち、年内に強行する意思を表した。強奪・破壊の対象とされるのは、市東さん宅前の天神峰農地全部、南台農地の一部、そして天神峰農地に建つ作業場、農機具置き場、ビニールハウス、離れ、トイレなど、さらに反対同盟の監視やぐら、看板だ。営農に必要な一切のものを市東さんから暴力的に奪い取ろうとしている。反対同盟の呼びかけに応えて三里塚現地に結集し、農地収奪・農民殺しの暴挙を絶対に実力で粉砕しよう。

国家暴力で農地を奪う不当判決
 市東さんと共に総決起を

 反対同盟は全員が「農地死守」の決意で総決起している。現地闘争本部の同志たちも監視、座り込み、情宣、援農、出荷などで連日必死で奮闘している。
 「裁判で明け渡し判決が確定したなら、それに従うしかないのでは?」と少しでも思う人は、ぜひ次の事実を知ってほしい。
 市東さんの農地は、祖父の代から100年間も耕し続けられてきたもので、市東さんにはゆるぎない耕作権がある。だが、空港公団(NAAの前身)は1988年に底地を、直接耕作者である市東家には無断・秘密で旧地主から買収した。そして十数年もたってから登記して「NAAが地主だ」と名乗り出て、2007年に市東さんに立ち退きを求める裁判を起こした。
 こんな法も道理も踏みにじる詐欺師の手法が、まかり通っていいのか!
 長い裁判闘争の中でさらに、NAAが農地強奪のためにありとあらゆる卑劣な違法・脱法に手を染めてきたことが、明るみに出された。だが千葉地裁、東京高裁、最高裁は押しなべてNAAの違法の数々を不問に付し、強制執行で農地を取り上げてよいとする反動判決を下したのだ。〝空港の建設・拡張は国策だから、一介の農民は土地を明け渡して出ていけ〟と。
 法や裁判は常に権力側に都合よくねじ曲げられるものだが、何よりも今回の反動判決と農地強奪は、世界戦争が始まった中での、戦時下の国家暴力の発動だ。だからこそ、それと不屈に闘う三里塚の大義に、多くの人が共感している。
 市東さんは今日も農業に汗を流している。農薬や化学肥料を一切使わずに精魂込めて有機野菜を年間で50種以上栽培している。強制執行の巨大な重圧のもとにありながら、この地で農業を続け、農民の権利を守り、戦争に反対し、闘う労働者・学生・人民との連帯を貫く生き方への確信はいささかも揺らいでいない。
 かたや、空港の拡張や滑走路の延長計画には、胸を張って語るべきものは何もない。残されるものは、地域破壊、殺人的騒音、落下物被害と、侵略戦争のための軍事空港だ。三里塚闘争の勝利には、私たち労働者・農民・学生・人民の未来がかかっている。権力の暴挙を絶対に許さず、市東さんの農地を守り抜こう。

強制執行と闘った大木よねさん
 体張って国家暴力と対決

 
(写真 ㊧自宅の庭で。「闘争が一番楽しい」と【1971年8月】㊤強制代執行で機動隊の暴行に屈せず闘うよねさん【9月20日】)

 成田空港建設では、1966年の一方的な閣議決定以来、用地取得から空港建設、暫定開港から今日に至るまで、理不尽な国家暴力が吹き荒れてきた。農民と労働者・学生・人民はこれと対決して、半世紀を超えて、一歩も引かずに闘って来た。まさに三里塚闘争は「農地死守・実力闘争」を原則とする三里塚反対同盟を先頭に、〝反戦の砦(とりで)〟として世界にとどろいている。
 安保・沖縄闘争が高揚していた1971年、三里塚は1期工事(A滑走路建設)をめぐる強制収用との決戦を迎えた。2月の第1次代執行、7月の仮処分に続いて9月16日には数千人の機動隊と強制執行の部隊が天浪砦などを襲撃。滑走路予定地の北端にそびえる駒井野砦では、高さ15㍍の鉄塔が11人の死守隊戦士を乗せたまま引き倒された。反対同盟青年行動隊と支援の学生を先頭に、激しい実力闘争が展開された。
 さらに9月20日、三里塚農民の大木よねさん宅に対する強制執行が行われた。成田市取香(とっこう)馬洗702の敷地734平方㍍、住宅1棟、団結小屋6棟、立木21本、看板など工作物8件を対象に、三里塚では民家への初の強制執行だった。
 前日19日にはよねさんの田んぼに数千人が集まり総決起集会を行った。よねさんの家の前の看板には、よねさんの「せんとうせんげん」が掲げられた。
 「ここでがんばらにゃ、ひこうきがとんじゃってしまうだから。おら、ななつのときにこもりだされて、なにやるったって、むがむちゅうだった。おもしろいこと、ほがらかにくらしたってのはなかったね。だから、とうそうがいちばんたのしかっただ。もう、おらのみはおらのみのようであって、おらのみでねぇだから、おら、はんたいどうめいさ、みあずけてあるだから、ろくねんかんも、どうめいやしえんのひとたちと、はんたいとうそうやってきただから、だれがなんといっても、こぎつけるまでがんばります」(抜粋)
 千葉県は20日早朝、「今日の代執行は中止する」と記者会見。部隊が引き揚げ、現地に残った約200人も援農などに入った。
 ところが、午前11時40分ころ、突然、公団や県の職員が機動隊に守られて農道に現れた。だまし討ちだった! よねさんは、くそ袋を投げつけ、脱穀機にしがみついて不屈に闘った。機動隊の暴行で前歯を折られ、顔面血だらけでよねさんは放り出された。
 よねさんは、空港公団が用意した住居を拒否し、東峰で亡くなるまで闘い続けた。生前の闘いぶりを知る支援者は、よねさんは「仁王様」だったと語る。
 その後、1993年に空港公団は強制執行を謝罪し、「今後は強制手段はとらない」と表明した。だが、市東さんの農地法裁判の一審判決で千葉地裁・多見谷寿郎裁判長は、「話し合いが頓挫した場合まで、強制手段をとらないと約束していない」と主張した。
 「戦時徴用」さながらの農地強奪に怒りが沸騰! 三里塚の底力を示す時だ。

労農連帯のとりで=三里塚
 動労千葉が連帯の中軸に

(写真 動員された助役機関士の線見訓練阻止を闘う動労千葉【1978年3月】)

 三里塚闘争は労農連帯の砦だ。その勝利は、階級的労働運動にとっても死活的に重要だ。市東孝雄さんは11・6全国労働者集会で三里塚決戦情勢と労農連帯を訴え、全参加者に大きな感銘を与えた。
 多くの労働者が三里塚に駆けつけて農民と共に闘い、三里塚で学んだことを職場に持ち帰って、資本・権力と闘う力にしてきた。半世紀以上にわたる三里塚闘争は、日本労働者階級の戦闘的闘いを深部において支えてきたのである。
 動労千葉は一貫して労農連帯の中軸となって闘ってきた。11・13緊急現地闘争で中村仁副委員長は、「動労千葉はジェット燃料輸送阻止闘争で解雇者を出しながら、反対同盟と連帯して闘ってきた。この戦争情勢に傍観者であってはいけない」と決意を語った。
 1978年春の成田空港開港攻撃に対して、動労千葉はジェット燃料貨車輸送阻止闘争を、組合の総力を挙げて闘った。
 闘いは77年秋に始まった。政府・空港公団がジェット燃料を貨車で輸送する方針を打ち出してきた。当時、千葉県内の国鉄の貨物輸送部門の機関士は、すべて分離・独立前の動労千葉地本の組合員であった。
 三里塚農民の「空港絶対反対・農地死守」の必死の闘いに、労働組合はどう応えるのか----動労千葉は徹底的に討論した。そして、断固闘う方針を決定した。
 執行部は、「労働組合はゼニカネがかかっていなくても、闘わなければならないことがある」と組合員に訴えた。当時の総評労働運動の限界をのりこえて、この時代に求められている労働運動を示す闘いなのだと訴えた。「お天道様の下を胸を張って歩きたいから、この闘いをやる」という一組合員の言葉が、全組合員の気持ちを代表している。
 動労千葉はストライキと強力な順法闘争を展開し、政府と当局に大打撃を与えた。時の法務大臣が「順法闘争に刑事罰を」と叫ぶほどだった。77~81年の闘いで5人の組合員が不当解雇されたが、反対同盟と動労千葉の団結、そして動労千葉の組合員の団結は一層強固に打ち固められた。

この地で大根を作り続ける
 市東孝雄さんの生活と闘い

(写真 畑で農作業に励む市東さん)

 市東孝雄さんは1950年、成田市天神峰で父・市東東市さん、母・ときさんの間に生まれた。青年時代は家を出て千葉県内の飲食店で働いた。82年、店に空港公団用地部が訪れ、「お父さんの説得を」と切り崩しを図ったが、孝雄さんはこれを撃退した。
 反対同盟の先頭で闘ってきた父・東市さんが99年1月に逝去し、孝雄さんは天神峰に帰還した。3・28追悼集会で登壇し「市東東市の遺志は長男の私が継ぐ。『空港反対』ならびに家族、農地を守る」と発言。
 営農は当初は苦労の連続だったが、東峰の萩原家、芝山町菱田の鈴木家と協力し、完全無農薬の産直農業が次第に軌道に乗り自信を深めていった。
 ところがNAAは2003年、唐突に市東家の天神峰と南台の農地の底地を旧地主から買収し登記したことを発表し、賃貸借契約の解除を迫り、さらに南台農地の一部について「NAA所有地を不法に耕作している」との汚名を着せ、土地明け渡しを迫る民事裁判を07年に起こした。(耕作権裁判は千葉地裁で継続中)
 長期裁判の「被告」にされながら、孝雄さんは日々農業にいそしみ、常に前向きに闘っている。10年には、団結街道廃止攻撃で不当逮捕の弾圧を受けた。
 NAAは離作補償として1億8千万円を提示したが、孝雄さんは「そんなお金より、ここで1本100円の大根を作り続けることの方が大事」と一蹴した。

現地に常駐して闘う
 全学連の決意表明(11・13緊急闘争)

(写真 決意表明する全学連の代表) 市東さんの農地を奪う攻撃は、日本が再び中国侵略戦争をするためにほかなりません。反対運動をつぶし軍事空港を完成させるためです。戦争遂行のために農民に犠牲を強いる資本主義のあり方がここに現れています。絶対にこれを止めなければなりません。
 三里塚闘争は、労働者・学生・農民が実力で国策と闘い、戦争政策を止めてきた闘いです。だからこそ中国侵略戦争に突き進む日本政府は、三里塚闘争を解体しようと必死になっています。
 全学連は国葬粉砕闘争の過程で多くの青年・学生との結合をかちとりました。闘いの中でつかみ取ったことは、労働者・学生・農民が連帯し実力で闘うことによってこそ未来をかちとれるということです。全学連は現地常駐体制を強化して闘います。私自身も、市東さんの農地を守り抜くために体を張って闘います。ともに闘いましょう。

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耕作権裁判・千葉地裁包囲デモ
 11月28日 (月)
 午前9時 千葉市葭川公園集合→市内デモ
 午前10時30分開廷 千葉地裁 

天神峰カフェ
 12月4日 (日) 正午 市東さん宅離れ集合

天神峰現地闘争&団結芋煮会
 12月11日 (日) 午後0時30分 市東さんの南台
 農地集合→デモ→市東さん宅中庭で芋煮会

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