大坂裁判傍聴記

週刊『前進』04頁(3268号04面01)(2022/11/07)


大坂裁判傍聴記

(写真 大坂正明同志の裁判が開かれた東京地裁429号法廷。初公判には300人超が並んだが傍聴席はわずか23席)

51年ぶりの再会!
 東海合同労組委員長 坂野康男

 私は、10月25日に東京地裁で開かれた、大坂正明君の初公判をワクワクしながら傍聴した。
 なぜなら、大坂君とは帯広市にあった双葉幼稚園の同級生であり、小中高は学校こそ違ったが共通の友人を介して遊んだ親友だったからだ。
 午前10時に大坂君が入廷。私は、大坂君とアイコンタクトを取ることで、51年ぶりの再会を果たそうと考えた。大坂君は、書面に目を落としているためにほとんど傍聴席を見なかった。10時20分、ついに大坂君が傍聴席に目を向けた。私は右手の指を耳あたりで動かしてアイコンタクトを取り、大坂君は気が付いてアイコンタクトで返してくれた。10時45分、再びアイコンタクトに成功。ついに51年ぶりの再会を果たした瞬間だった。
 午後の公判では、同郷出身の4人、「帯広カルテット」の前川さんと小泉さんと私が並んで座った。なぜなら、大坂君に帯広カルテットの面々を認識してもらうためだ。大坂君は、午前と違って何度も傍聴席に目を向けてくれた。そのたびに私は、両腕を前川さんと小泉さんの肩に持って行ったりした。大坂君は帯広カルテットであると認識した顔をした。成功だ。
 私は、開始された裁判闘争に勝利して、大坂君と獄外で生きて再会する約束を果たす決意である。

意見陳述に胸熱く
 沖縄労組交流センター 前川利克

 10月25日、私も大坂正明さんの裁判に沖縄から駆けつけました。大坂さんとは直接の面識はありませんが、同郷出身の4人、「帯広カルテット」のひとりとして公判の場で対面することができたことは、大きな感動でした。
 大坂さんの意見陳述では、70年闘争から今日に至るまで、沖縄の労働者階級の闘いの中に身を置いて闘いを貫こうとしている大坂さんの姿に胸が熱くなりました。これは私だけではないと思います。
 大坂さんの意見陳述とは対照的な、ひとかけらの正義も説得力もない検察側の冒頭陳述の中に、この裁判の〈破綻性〉を見ることができます。客観的物証もない50年前の事件が、そもそも裁判として成立しないことは明らかです。デタラメな政治裁判です。
 大坂さん、星野さんが命がけで闘った渋谷闘争は沖縄の全島ゼネストに応えるものとして闘われました。沖縄―本土の労働者階級と共に、帝国主義と日米安保に対して真正面から立ち向かった闘いでした。
 でも、この闘いはまだ決着はついていません。中国侵略戦争と〈新たな沖縄戦〉が差し迫るなか、帝国主義と帝国主義戦争を本当に打ち倒すような闘いをここで実現しなければなりません。本当にそう思います。大坂さんを1日でも早く取り戻しましょう。共にスクラムを組んで闘いたいと思います。

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