連合打倒し闘う労組を 団結し戦争絶対止める11・6へ
連合打倒し闘う労組を
団結し戦争絶対止める11・6へ
11・6全国労働者総決起集会は2週間後に迫った。全力の組織戦を貫こう。安倍国葬で噴出した労働者人民の怒りは、岸田政権を瀬戸際に追いつめている。だから岸田はさらに凶暴に改憲・戦争に突進し、軍事費倍増を強行して人民の生活を破壊しようとしている。この岸田の最後の支柱が連合だ。連合を打倒し、闘う労組をよみがえらせれば、岸田にとどめを刺して中国侵略戦争を止めることはできる。戦争に絶対反対し、国際連帯を貫く階級的労働運動が力を取り戻す時は今だ。関生弾圧などの戦時下での労組解体攻撃は、労働運動再生の波におびえる敵の反動だ。これと総力で対決することで労働者階級は革命を実現する本来の力を回復する。11・6日比谷に大結集し、団結した労働者の力を全世界に示そう。
国葬出席の芳野は労働者の敵
産報化する連合
連合の芳野友子会長の国葬出席は、連合の産業報国会化を示す事態である。現場から芳野を徹底弾劾し、戦争絶対反対で闘う労働組合を再生させる時だ。
芳野は労働者の敵だ。物価騰貴で労働者が生活苦にあえぐ中、安倍政治を継承し戦争国家化を進める国葬に出席することなどあり得ない。ましてや安倍が労組解体攻撃に全力を挙げ、労働基本権を破壊し総非正規職化をたくらんだことをみれば、なおさらだ。芳野は「出席は苦渋の判断だ」と言う。だがそれは、欠席したら自民党との関係がとぎれてしまうというものである。労働者ではなく自民党に依拠しきっているのだ。
もともと芳野は、私塾の富士政治大学校で戦闘的労組活動家をつぶすための反共教育を受けてきた。それを運営する2代目理事長は統一教会の人物だ。自民党を支えてきた統一教会。芳野もこうした連中と同じだ。芳野は会長に就任すると自民党副総裁・麻生太郎らと会食を重ねてきた。政府の「新しい資本主義実現会議」などにも加わり、軍事最優先の国家改造の旗振り役をかってでた。労働者の怒りを圧殺し、崩壊する岸田政権の救済者として登場している。
これは芳野一人の問題ではない。国葬出席は連合3役である会長代行の自治労、UAゼンセン、事務局長の日教組が承認し、執行部で決定した。この戦時下で、連合は戦争推進の側に立ち、産業報国会化へと決定的に変質したのだ。
かつて日帝は中国侵略戦争を本格化させる中で、労働組合を解散させ挙国一致体制を敷き、1938年に軍需生産の増強を図るための組織として産業報国会をつくった。それは警察主導で各企業内につくられ、労働者を根こそぎ動員した。
今、この歴史を繰り返すのか否かの分岐点に立っている。現場は戦争絶対反対だ。国葬反対決議も続々と上がった。その怒りで岸田もろとも連合・芳野を打倒しよう。日教組本部、自治労本部を許さず、反戦を貫く労組を再生させよう。
井手・深沢を法廷に出せ
1047名闘争は最大の山場
国鉄1047名解雇撤回闘争は最大の決戦を迎えた。解雇撤回を否定した中央労働委員会の反動命令の取り消しを求めて動労総連合が起こした裁判の口頭弁論が10月12日、東京地裁で開かれた。ここで動労総連合は、解雇を首謀し実行した井手正敬、深沢祐二、JR設立委員だった横路孝弘らの証人尋問を求めた。彼らを証人に採用するか否かは、12月23日の次回裁判で決まる。11・6集会を挟み次回に至る過程は、井手や深沢を法廷に引き出せるかどうかの大攻防になった。
井手は国鉄分割・民営化当時は国鉄総裁室長で、動労総連合組合員をJRから排除するための「不採用基準」の策定を、JR設立委員長だった斎藤英四郎(当時、経団連会長)に進言した。これにより当初は記載されていた動労総連合組合員の名前がJR採用候補者名簿から削除され、組合員はJR不採用にされた。
その後、井手はJR西日本の社長・会長として強権的労務支配体制を敷き、パワハラを横行させ、107人の乗員・乗客の命を瞬時に奪った2005年4月の尼崎事故を引き起こした。
深沢は当時、国鉄職員局職員課補佐として、職員局次長だった葛西敬之(後にJR東海社長・会長)の指示のもと、組合員の名前をJR採用候補者名簿から削除する実務を担った。そして今、JR東日本社長として「業務融合化」や鉄道部門4千人削減、鉄路廃止の大攻撃を進めている。
横路は北海道知事としてJR北海道の設立委員になり、1987年2月の第3回設立委員会会合で「不採用基準」を決議した。
彼らを法廷に引き出せば、解雇撤回の展望は必ず切り開かれる。
彼らが強行した国鉄分割・民営化は戦後最大の首切りだった。改憲のために労働組合を破壊することが、その狙いだった。ここから始まった新自由主義の攻撃は、労働者の3分の1を非正規職に突き落とした。権利は奪われ、低賃金と貧困が労働者にのしかかった。
国鉄闘争は階級的労働運動再生の軸
この国鉄分割・民営化と対決し、国鉄労働者の解雇撤回を求める闘いは、階級的労働運動再生に向けた結集軸になってきた。11月労働者集会を呼びかける全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械労組港合同、動労千葉の3労組も、国鉄闘争によって結びついた。1998年5月、東京地裁は「国鉄労働者の解雇にJRは責任を負わない」という反動判決を出した。これへの怒りと危機感から、3労組による11月集会が始まった。
今年の11月集会は25回目の節目に当たる。ウクライナ戦争が泥沼化し、米日帝国主義が中国侵略戦争に突進する中で、11月集会は労働者自身の力で戦争を阻む大決戦になった。同時に国鉄闘争も、11月集会の原点に返る大攻防を迎えた。
労働運動再生の結集軸だからこそ、国鉄闘争にはその圧殺を狙う攻撃が絶えず襲いかかった。内部からこれに呼応する国労本部などとの激しい攻防も避けられなかった。2010年4月には国家的不当労働行為を一切不問に付し、解雇撤回がないまま闘争を終結させる政治和解が国労本部などによって強行された。だが、動労千葉・動労総連合は「国鉄闘争の灯を消すな」を合言葉に国鉄闘争全国運動を立ち上げ、闘争を継続した。
最高裁に不当労働行為を認定させた
その闘いは、動労総連合組合員をJRから排除するために作られた「不採用基準」を不当労働行為と最高裁に認定させる勝利を切り開いた。15年6月のこの最高裁決定をもぎり取ったのは、全国の労働組合・労働者から寄せられた10万筆の署名の力だった。
「不採用基準」は井手や葛西と謀議した斎藤JR設立委員長の指示で作られ、設立委員会会合で決議された。動労千葉・動労総連合はついにその事実をつかんだ。従来の裁判では、JR採用候補者名簿を作ったのは国鉄だから、そこに組合員排除の不当労働行為があったとしても、責任を負うのは国鉄でJRではないとされてきた。だが、JR設立委員長が「不採用基準」の策定を命じ、それにより組合員が解雇された以上、その責任はJRに及ぶ。
この事実に基づき動労総連合は18年5月、解雇撤回の新たな申し立てを千葉県労働委員会に行った。だが県労委も中労委も「三十数年前の解雇は労働委員会の審査の対象ではない」と事実にふたをし、中労委は裁判でも同様に言い張ってJRを擁護している。その言い分は「時効」で一切を切り捨てることに尽きる。
解雇撤回させる力は11・6大結集に
だが、この反動は証人尋問が始まれば突き崩せる。井手や深沢自身に解雇の真相を語らせれば、解雇撤回の歴史的勝利は実現できる。今この時が決戦だ。
国家やJRによって徹底的に隠されてきた解雇の真相を暴くのに三十数年の時間を要した。だが、これほど長期にわたる闘いが今も続いていること自身、労働者の階級的底力が生み出した歴史的な地平だ。
この闘いは改憲のたくらみも阻み続けてきた。中国侵略戦争を構える岸田政権は今、どんなに破綻しても改憲に突進しつつある。軍事費を倍増し、戦争のための国家改造を強行している。その最先端にJRによる鉄路廃止の攻撃がある。だがそれは、国鉄分割・民営化が大破産した末に出されてきたものでもある。
これとの攻防が火を噴く中、解雇撤回闘争も再度の決戦を迎えた。井手や深沢を何としても法廷に引き出そう。そのためには力が必要だ。11・6日比谷1万人結集で、労働者の怒りと力を国家とJR資本に突きつけよう。勝負の時だ。