ウクライナ戦争ただちにやめろ 反戦反核の階級的総決起を 追いつめられたプーチンとバイデンの核使用を許すな
ウクライナ戦争ただちにやめろ
反戦反核の階級的総決起を
追いつめられたプーチンとバイデンの核使用を許すな
はじめに
ロシアのウクライナ侵攻が2月に開始されてから8カ月の間に、世界は激変した。今やウクライナ戦争は、米ロの全面戦争=核戦争へと発展しつつある。
帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制は決定的に行き詰まり、これまでのような「相互依存」という形態でやっていくことができなくなった。そこからアメリカ帝国主義は、自ら大国化させた残存スターリン主義・中国に対して、基軸帝国主義としての存亡をかけて本格的な侵略戦争=世界戦争に乗り出した。それが今、ウクライナでの米ロの戦争となり、核戦争の瀬戸際に世界を引き込んでいるのである。
超無責任な言動をまき散らしつつ、世界を破局に引き込みつつある米帝バイデンの戦争政策に対して、帝国主義打倒の闘いを巻き起こさなければならない。核戦争を引き起こそうとしている根源は帝国主義である。さらに、米帝に追いつめられ、存亡のふちに立って核使用の威嚇を前面に出している旧スターリン主義=ロシア・プーチン政権を革命的に打倒しなければならない。核戦争という形でその根源的矛盾を爆発させつつある帝国主義とスターリン主義の現代世界に、根本的な終止符を打つために今こそ立ち上がろう!
全面戦争にのめり込む米ロ
今まさに、ウクライナ戦争は全面的世界戦争―核戦争に向かって突き進む重大局面にある。まずもってそこをはっきり見据えよう。
9月21日、プーチンは、「領土が侵されることがあればあらゆる手段を駆使する。これはブラフではない。核兵器で脅迫しようとする者は立場が逆転する恐れを知るべきだ」と述べた。ウクライナ4州での「住民投票」実施およびロシアでの部分動員令の発動とセットで、この発言がなされた。これ以上の軍事的後退は絶対に認めないという意味である。
プーチンはギリギリのところに追い込まれている。ウクライナでの軍事的敗北と全面潰走(かいそう)の危機は、同時にロシア国内における体制崩壊の危機である。プーチンの「あらゆる手段を駆使する」という発言はそこから出てきている。したがって、これを単なる「駆け引き」だと片付けることはできない。これに対して、ゼレンスキーは「関係各国はロシアに対する核による先制攻撃」を決断すべきだと述べ、同時に北大西洋条約機構(NATO)への加盟申請の手続きに入ると発言した。
9月26日には、サリバン米大統領補佐官が「(ロシアが)核兵器使用に踏み切れば破滅的結果をもたらす、と高いレベルで警告した」とABCテレビのインタビューで述べた。「破滅的結果」とは米帝側からの核兵器による攻撃を意味する。またバイデンは10月6日、民主党支持者を集めた会合で「核兵器や生物・化学兵器の使用の可能性について、プーチンは冗談を言っているのではない」「この道を進めばキューバ危機以来、初めて核兵器の脅威に直面する」「人類はアルマゲドン(世界最終戦争)に直面している」「プーチンはどこに逃げ道を見いだすのか」などと語った。アメリカは「アルマゲドンを恐れない」と言っているのである。
重要なことは、言葉のやり取りや単なる駆け引きを超えて、実際に核の撃ち合いに至るプロセスが始動しているということだ。バイデンもプーチンも破滅的結果を真に見通すことなどできず、引くに引けない状態に入っているのである。
「プーチンは核使用に踏み切るかどうか」「バイデンはどうするのか」というような評論と憶測に終始しているブルジョア世界のメディアや論壇は、この瞬間、あたかも核戦争待望論のような様相を呈している。プーチンが追いつめられて核使用に踏み切ることを期待し、それに対する米帝・NATOの核攻撃がロシアを破壊する(ウクライナを巻き込んで!)ことを願望するような、転倒した心理状況が作り出されている。帝国主義は今まさに、このような形で世界を核戦争の「破滅的結果」に向けて誘導しているのだ。
この状況そのものをひっくり返さなければならない。受動的な態度で、現実に核を撃ち合う世界に引きずり込まれていくことを絶対に拒否しよう。何としても帝国主義とスターリン主義の世界支配に終止符を打たなければならない。世界を地獄に投げ込んでも自分たちだけが生き残ろうとする支配階級への怒りを爆発させ、帝国主義の世界戦争、ウクライナ戦争、中国侵略戦争に立ち向かうこと、まさにそれが全世界においてまた日本において、労働者階級人民に求められている。
対ロ戦争準備してきた米帝
ウクライナ戦争とは何か。なぜこの戦争は核戦争にまで発展しようとしているのか。
ウクライナ戦争は、米帝が積極的に引き起こした戦争である。米帝は一貫して、ソ連崩壊後の旧スターリン主義・ロシア、特にプーチン体制下のロシアを、米欧の資本主義に同化できない、旧ソ連の核兵器を引き継ぐ異質の体制=敵対的存在と見なしてきた。とりわけ2008年以後、米帝はプーチンのロシアと対立を深めた。その最大の焦点はウクライナにあった。
ジョージアと並んでウクライナをもNATOに加盟させようとする米帝の動きに対して、プーチンは「大国ロシア」の国家的存亡をかけて必死で対抗し、ウクライナをロシアの圏内にとどめようとした。この対立は、ウクライナ内部における親欧米派と親ロシア派との分断・抗争をも非和解的に激化させた。14年2月には、米帝が深々と関与する形で引き起こされたクーデターで、「親ロシア的」とみなされたヤヌコビッチ政権(当時)が転覆された。
これに対抗してロシアが同年3月にクリミアを併合すると、米帝は他のヨーロッパ諸国とは違ってロシア--ウクライナ関係を「解決」するために少しも動こうとせず、むしろこの危機を本格的な戦争に発展させるために動いた。独仏が仲介した15年2月の「ミンスク合意」で、ドンバスの2州(現在、親ロシア系住民が「共和国」と主張しているルガンスクとドネツク)に対する高度な自治権の保証をウクライナに求めたことに対しても、米帝は無関心を決め込み、ウクライナへの軍事的な支援によって東部での内戦を拡大させた。その過程でウクライナは事実上、対ロシアの戦争状態に引き込まれていった。「東部問題の平和的解決」を掲げて19年に成立したゼレンスキー政権下でも、ウクライナ軍による東部への空爆や米欧諸国との軍事演習は減らないばかりか、ますます拡大した。
こうした中で、ウクライナのNATO加盟が認められることを恐れたプーチンは、21年に発足した米バイデン政権に対して、ウクライナの「NATO非加盟の保証」と東欧へ配備した米・NATOの戦略的兵器・部隊の撤退を要求した。バイデンはそれを無視し、対中国の世界戦争の一環として、ロシア・プーチン体制に対する対決を強めた。プーチンの要求は21年12月に最終的に拒否された。バイデンはむしろ12月から今年の1月にかけて、プーチンをウクライナに誘い込むような挑発的態度をとった。プーチンはそれに応じるような形で、「特別軍事作戦」と称してウクライナへの軍事侵攻に突入したのである。
2月24日に開始されたこの作戦は、練り上げて計画的に準備されたものに見えたが、実際にはずさんなものだった。プーチンは、一気に首都キエフ(キーウ)を攻略してゼレンスキー政権を屈服させ、その既成事実を米帝をはじめNATO諸国に認めさせようとしたが、それは通用しなかった。待ち構えていた米英がゼレンスキーを支え、この作戦を破綻に追い込んだのである。
米欧の軍事支援で戦局転換
開戦以降、ウクライナを支援する形で、この戦争を実際に推進し激化・拡大させてきた最大の張本人は米帝にほかならない。
「特別軍事作戦」が破綻したプーチンは、キエフ攻略をあきらめ、3月末には東部へと軍を「転進」させた。そして、南部全域からオデッサ(オデーサ)にまで攻撃を拡大した。ロシア軍が予想以上に弱体であることを見てとった米帝は、ウクライナ軍を本格的に帝国主義の兵器で武装し、プーチンの戦略的「立て直し」を許さず、東部から南部にかけての激突でロシアを追い詰めようとした。
プーチンは、ウクライナの南東部(黒海沿岸地方の全体)はロシアの歴史的領土であるという主張を押し出し、大ロシア民族主義=大祖国戦争的な形をとって、破綻した「特別軍事作戦」をあくまで推進しようとした。ロシア軍は無差別的攻撃をも辞さずマリウポリ、ザポロジエ、ヘルソンなどの制圧を追求した。
そして東部の激戦を経て、プーチンは7月3日、ルガンスク州全域の制圧を宣言した。東部2州の完全制圧の立場からは、これは一つの区切りだった。だがこの過程でのロシア軍の犠牲は予想を超える規模となった。この期間のロシア兵の戦死者数は、旧ソ連のアフガニスタン侵略戦争(1979~89年)10年間の死者数の2倍にも膨れ上がったと言われている。
米帝は、ウクライナへの軍事支援を質量ともに拡大し、6月のNATO首脳会議以後はプーチン体制の弱体化・打倒を帝国主義全体の共通目標としながら、ウクライナ軍の武装強化と装備の高度化を図った。戦術面でも踏み込んだ「作戦共有」の形をとって戦争をエスカレートさせた。高機動ロケット砲システム「ハイマース」や155㍉りゅう弾砲などを投入し、訓練を拡大し、戦場に配置し始めた。また仏や独もハイレベルの兵器を投入した。それらは特に8月以降、次第に威力を発揮しだした。
対戦車ミサイル・ジャベリンの供給がもてはやされていた初期の支援から言えば、それは質的な転換であり、戦争がもはや米帝の戦争となったと言っても過言でない状況に進んだのである。兵器の供与にとどまらず、「作戦をも共有する」ような関係になっていることが重要である。ウクライナ軍はそれによって、ロシアを上回る高度な兵器で武装した70万人を超える軍隊として前線でロシア軍を「圧倒」し始めた。
それがはっきりと表面に出てきたのが、8月の南部とクリミアでの「陽動作戦」と言われるものを経て、9月冒頭に行われたハリコフ(ハリキウ)急襲とイジューム奪還作戦だった。米帝とウクライナはロシアの意表を突く形でこの作戦を準備し敢行した。ロシア側は9月10日に「部隊の戦略的転進」を発表して敗北を事実上認め、ウクライナ国防省も11日にイジュームの勝利を発表した。ロシア軍は戦車などを捨てて潰走したと言われる。多大な犠牲を出しながら確保したドンバスの要衝を取り返され、ハリコフ全域を数日で失うことになったのである。さらに30日にはドネツク州の要衝リマンが陥落。ロシア軍はここでも戦車などを置いたまま潰走した。この9月以降のロシア軍の相次ぐ敗走は、誰が見ても戦略的大敗北であり、侵攻を開始して以後2度目の戦略的大破綻である。
反帝・反スタ世界革命へ!
このまま冬に向かって戦局を膠着(こうちゃく)させることを狙っていたプーチンは、完全に追いつめられた。そこから出てきたのが、①「住民投票」の強行と4州のロシアへの併合、②部分動員令の発動、そして③あらためてロシア領土の不可分性の強調と結びつけた核使用の威嚇という、3点セットの戦略的エスカレーションである。
プーチンは、9月23~27日に行われた住民投票の「結果」にもとづくものとして、4州のロシア領への編入手続きをとり、30日に正式に併合宣言を行った。それによって、これ以上の攻撃はロシア領土に対する攻撃となるからロシアは核使用で対抗する権利が生じたというのである。だが、ドンバスでも南部ヘルソンでも攻撃(攻防)は続いている。さらに、クリミア大橋の爆破とこれに対するロシア軍の報復としてウクライナへのミサイル攻撃が行われる超重大事態となっている。
部分動員令は、直接的にはロシア軍の「崩壊」的危機を立て直すために出された。このままでは持ちこたえることができないギリギリのところにプーチンは立たされている。30万人の限定動員ではなく、100万人の動員体制をとったとも言われている。動員令発動によって、「ウクライナ戦争=特別軍事作戦」はロシアによる対帝国主義の全面戦争に転換することになる。その意味で、核戦争=世界戦争への転化となるのである。このような結果を、まさに米帝はウクライナにおいてロシアをたたき、追いつめることによってつくり出してきた。
米経済誌フォーブスは、動員令発令から2週間で70万人がロシアを出国したと報じている。追いつめられたプーチンは、国内の抵抗や反乱、また国外逃避がどんな規模になろうとも、戦時総動員と弾圧を強めてこの戦争を対米(欧)戦争としてどこまでも戦うしかない。このようなウクライナ戦争の展開は、中国侵略戦争=世界戦争情勢をさらに激化し、深刻化させていく。
中国侵略戦争へ攻勢強める米帝
冒頭でも確認したように、米帝はこうした戦争の局面で核の使用や核の撃ち合いをためらわない。そもそも米帝とは、核兵器と核戦争で世界を支配してきた帝国主義なのである。ウクライナ戦争を導火線として、米帝は世界戦争=核戦争へと突き進みつつある。今まさにそうした危機の中にわれわれは立っている。すでに対ロシアの全面戦争となったウクライナ戦争が、米帝の中国侵略戦争の本格的展開を促進し、スターリン主義打倒(中ロ連合打倒)の全面的な世界戦争をさらにエスカレートさせていく。この夏、米下院議長ペロシによる台湾訪問の挑発(8月2日)や上院外交委員会での「台湾政策法案」の可決(9月16日)などが、ウクライナでロシアを追いつめる軍事攻勢と同時的に強行されたことを見れば、それははっきり分かる。
このような米帝の戦争拡大政策、世界戦争への突進こそが「破滅的結果」を引き寄せつつあるのである。根底にあるのは、帝国主義とスターリン主義の現代世界の矛盾そのものだ。それを転覆する力、その矛盾が核戦争となって爆発することを阻止する力は、反帝・反スターリン主義戦略のもと、帝国主義とスターリン主義を打倒する労働者階級人民の闘いの中にこそある。座して核戦争を受け入れるのか、帝国主義の体制破綻がもたらす「破滅的結果」を拒否して立ち上がるのか。このことが帝国主義国の階級闘争に、リアルに待ったなしで突きつけられている。そして実際、労働者階級人民は全世界で立ち上がっている。
米帝をはじめ帝国主義は、すでに旧スターリン主義・ロシアと残存スターリン主義・中国を相手とする世界戦争に突入した。この帝国主義に対する反戦闘争、核戦争を許さない闘い、祖国防衛主義を打ち破って自国政府を打倒する階級的闘いの本格的発展こそが、ロシア内からの闘い(また中国における闘い)のプロレタリア第二革命への革命的発展を促すのである。この反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命に向かって闘うことこそ、今日の恐るべき世界戦争情勢を革命的内乱へと転化する唯一の道である。