団結ひろば 投稿コーナー
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核や戦争なくす希望を見た
関西学生 A
私は純粋に反戦・反核の気持ちから参加していたわけではなく、誘われたから、事前学習会で平和記念式典について考えたから、政治のカオスを体感しどうするべきか考えようという話を聞き興味をもったからなどの理由で広島現地闘争に参加した。しかし原爆資料館を見学して原爆の非人道性を再認識し、こんな、この世に地獄を呼び出すような兵器を許してなるものかと、そして人間同士の大虐殺である戦争などあってはならないと反戦・反核への思いを新たにした。
集会では各地で反戦・反核の活動をしている学生や労働者の報告・意志を聞いた。私は戦争や核についてどうやってもなくなりはしないと諦めている節があったので、少し解決への希望を見たように感じた。
デモに参加したのは初めてだった。「声を上げる」ことは自分にとっては普通のことではなかったのだと改めて感じた。実際に参加し、声を上げることで自分の気持ちを確固たるものにできたと思う。本当に私事にはなるが他大学の学生と交流したり、各地の労組の話を聞いたり、実際の行動に参加したりして得られたものは多く、今回のヒロシマ大行動に参加して良かったと思っている。
初めてのデモで団結を実感
首都圏学生 B
今回初めて全学連の活動に参加しました。朝早い時間からの集会でしたが数多くの労働者と学生が集い、原爆の脅威や現政権への憤りを語ってくれました。それらの主張を通して、軍事費2倍化や改憲を強行しようとする自民党・岸田政権への怒りを今までよりも、そして何よりも自分のものとして強く感じました。また同時に被爆地広島で「平和記念式典」などと言いながら核兵器禁止条約には一切触れずに核のない世界を「理想」として軍拡を進め、「平和」を大義名分に広島を利用する権力への怒りも感じました。
デモ行進の参加も初めてで、最初は式典の裏でこんなすごいことが起こっていたのかという驚きから始まりました。しかし「静かに」のプラカードを持つ団体や突っかかってくる極右を尻目に声を上げ続けているうちに、自分たちは戦争を止め、権力に反対していかなければならないし、またそうしたことを成し得るだけの力が我々学生や労働者にはあるのだと実感しました。これは自分の中にあったある種の諦めや大衆蔑視的な視点を深く反省するきっかけにもなりました。
全国の闘う学生の皆さんとお会いでき、話しができたことを本当にうれしく思います。学生が団結して闘う姿を目にできたことは今後の自分の活動の指針になっていくに違いありません。自分が行動するときは団結してほしいし、また今後も共に闘っていきたいです。参加させていただきありがとうございました。
日中の右翼に言いたいこと
中国人留学生 C
デモの現場には、騒々しい右翼たちが並んでいた。彼らは、「今日は慰霊の日であり、死者を慰めるためには静かにする必要がある、君たちの騒音は無礼だ」と主張していたのだ。右翼はいつも「左翼の騒音は死者に失礼だ」と言うが、もっと騒々しい行進は、死者の眠る場所を「イデオロギーのコロシアム」、核戦争のための分娩(ぶんべん)台にするのと同じことである。死者を悼む話をしながら、死者を増やすというほど、人間にとって滑稽なことはないのではないか? 死者には気を遣うが、生きている者の主張は嘲笑する。この点で、世界中の右翼は驚くべき「インターナショナル」に到達している。彼らは戦争が得策でないことは認めるが、それを呪うことはない。彼らは戦争に行きたくないことは認めるが、戦争に行きたくない他人に同情することはない。彼らは自分のことを考えるが、他人のことを考えることはない。当然、虐殺の対象となった他国の民間人のことも、幸福を切望する同胞のことも、自分のことさえも気にしていない。
彼らは、自分と同胞の血と肉をジュースにして絞り出し、支配階級を養い、資本主義を養い、帝国主義を太らせ、そして他国の民間人を虐殺しているのである。彼らは概して、自らを最も残酷な動物に矮小(わいしょう)化し、他人のために進んで家畜となり、その苦しみと死に喜びを感じ、非論理的な憎悪を糧としているのである。
革命的な戦争が必要な時代が来たと思う。このような獣が、沈黙で犠牲者を慰めろと言うなら、私はあえてそうしない。魯迅(ろじん)は言った。「この世に本当に生きたいと思う人がいるならば、まずあえて語り、笑い、泣き、怒り、呪い、戦い、この忌まわしい場所で忌まわしい時代をはねのけるべきだ!」。
無実の死者の叫びは私たちを沈黙させる。しかし、この沈黙から新しい生命が生まれるわけでもなく、沈黙の中で滅びるわけでもない。死者は悼みつつも、今を生きる人たち、未来のための行動が必要です。
日帝植民地下で闘った女性
広沢こう志
『滞空女 屋根の上のモダンガール』(三一書房2020年/萩原恵美訳)という小説を読みました。1931年、日帝植民地下の平壌(ピョンヤン)で、朝鮮労働運動史上初めて高所ろう城を闘った姜周龍(カン・ジュリョン)の物語です。周龍はゴム工場の賃下げ撤回を求めてストを闘った末、平壌の観光名所・乙密台(ウルミルテ)の屋根にろう城した女性労働者です。
著者のパク・ソリョンさんは、2011年に韓進(ハンジン)重工業のキム・ジンスクさんによって闘われたクレーン占拠闘争の際に姜周龍の存在を知り、その生涯にひきつけられ、小説にしようと決意したそうです。
感じたのは、現在の様々な闘争現場を取材したであろう作家が、その筆力と、女性としての視点、作家自身の思想的な高さによって、生きた存在として周龍を描いているということです。職場での労組づくりを巡る苦闘、同僚との関係、男性やインテリ主導の運動のあり方への疑問、闘争現場の光景等々、その描写はリアルで、周龍の心のひっかかりなども、省くことなく丁寧に描かれています。
ひときわ胸に迫ったのは、平壌労働総同盟のゼネスト大会の中で、周龍が「国際歌」(インターナショナル)と、平壌っ子なら誰でも知っている「ゴム工場のあの子」を歌う場面の「涙」の出方の移り変わりです。国際的存在としての感激、労働への誇りが、一つのものとして見事に描かれていると思いました。
国葬の本質を暴きだす一冊
東京東部地域合同労組東部ユニオン委員長 小泉義秀
『国葬の成立 明治国家と「功臣」の死』(勉誠出版/宮間純一著)を読んだ。国葬に関しての反対の論者で、新聞やテレビに出てくる第一人者が宮間純一・中央大教授である。国葬についての研究書も稀有(けう)であり、本書はその分野での代表的著作だ。
「国葬が成立し、完成していく過程とはすなわち、天皇の名のもとに政府が『功臣』の死を装飾し、演出していく軌跡である。国葬が、天皇から『賜る』『恵賜』という形式を採用している以上、この点も欠くことのできない論点となる」(同10㌻)という国葬の本質を体系的、実証的に著したのが本書である。法的には1926年(大正15年)10月21日に公布された国葬令が47年に失効し、国を挙げての公葬に関する法律は存在しない。
しかしながら、戦後唯一吉田茂の国葬が67年に行われた。10月8日に佐藤栄作首相が東南アジア訪問に出発した。戦火の真っただ中にある南ベトナムへの公式訪問が含まれていた。これは日本が名実ともに「ベトナム参戦国」として登場することを世界に宣言するものであった。これに対する闘いが10・8羽田(弁天橋)の闘いである。吉田茂はこの佐藤の東南アジア歴訪中に死亡し、佐藤は帰国後直ちに吉田茂の国葬を強行した。なぜ、安倍の国葬を岸田が即断したのか? 中国侵略戦争に米帝と共に参戦していくためである。
「政府の手によって、天皇の名の下に一人の『功臣』の死が『私』から『公』へと変遷する中で、その死と生前の『功績』は国家全体で共有されようとし、その結果成立した国葬は『国民』としての一過性の一体感を生むための一大イベントとなった。この性質は、戦中期に行われた山本五十六の葬儀、さらには戦後の吉田茂まで継承されており、今なお日本社会に残存する公葬制度に引き継がれているのである」(同267㌻)
国葬の成立過程を執拗(しつよう)に追及し、その本質を暴き出しているのが本書である。安倍の国葬の本質を暴き出し、粉砕していくのは我々の任務だ。
自国政府が敗北する運動を
農民 黒田 勇
沖縄「返還」の日が5月15日。それから1カ月が経ったころから、だんだん私の近辺でも戦争に向かっている事柄が増しつつある。オスプレイが訓練しつつ、空港を経由して北から南へ移動するという。都市上空で訓練する、こんな危険なことはない。こんな中で、奈良で安倍銃撃事件が起きた。それ以前には、台湾への距離110㌔メートル・那覇へ530㌔メートルの日本の最西端、沖縄県与那国島にも自衛隊の配備が進められている。
事が起きた時、住民を守るのは誰なのかと問うと、国民保護法があるので、自衛隊が守るという。だが、武器使用状態になった時には、戦いの方に重点を置くので、避難行動などは自治体において行うことになるという。
つまり、自助・共助、そして公助(地方自治体)となり、国は高い所にいて見ているだけということ。77年前の沖縄戦当時と、同じ状況が起こってくる。まさに、資本家政府は自分たちの行き詰まり、それを我々労働者・農民を踏み台にして乗り越えようとしている。
鉄道の貨物輸送を自衛隊優先にしようとしている。軍事体系を進めようとしている。このような状況にならないよう、皆で反対しよう。東アジアへNATOが連携の手を伸ばし、中国・ロシアをけん制し軍事力のせめぎ合いになって、戦争拡大の方向に向かっている。世界戦争へ突き進んでいる。天地が荒れれば人またしかり。自国政府を敗北させるような運動を、自分を含め、働くみんなで進めていこう。