世界戦争・核戦争を絶対許さない 8・6 広島サミット粉砕へ戦闘宣言
世界戦争・核戦争を絶対許さない
8・6 広島サミット粉砕へ戦闘宣言
広島への原爆投下から77周年の8月6日早朝、平和記念式典に出席する首相・岸田を直撃する原爆ドーム前集会とデモが闘われた。午後からは8・6ヒロシマ大集会とデモがかちとられた。前日にはNAZEN集会と各産別集会、青年・学生集会も行われた(記事2、3面)。米下院議長ペロシの台湾訪問をはじめ米日による中国侵略戦争・核戦争が狙われる中で、8・6ヒロシマ大行動はこれを迎え撃って大高揚した。
式典会場の岸田を直撃
規制うち破り実力集会・デモ
米日の中国侵略戦争阻止を誓う
8・6ヒロシマ大行動実行委員会の呼びかけに応え全国の労働者・学生・市民330人が6日午前6時に原爆ドーム前に結集し、集会とデモを闘い取った。
今年の8・6闘争はウクライナ戦争が始まり中国侵略戦争・核戦争が現実に迫る中での決定的な闘いだ。軍事費2倍化や中距離核ミサイル配備をはじめ改憲・戦争攻撃を進める岸田の平和記念式典出席を全参加者が弾劾するとともに、新自由主義と核共有・核武装を進めてきた安倍の国葬と、来年5月の広島での主要7カ国首脳会議(G7サミット)=核戦争会議に対し怒りを爆発させた。被爆者を先頭に「二度と戦争を許さない」「ヒロシマ・ナガサキ・オキナワ・フクシマを繰り返さない」の声をとどろかせ、動労千葉の新・戦争協力拒否宣言を軸とした階級的労働運動と国際連帯にこそ戦争を阻止する力があることをはっきりさせる集会を実力で打ちぬいた。
昨年は「厳粛かつ静謐(せいひつ)な式典を」などと主張し拡声器規制条例、平和推進基本条例の制定を進めていた右翼は、大行動の戦争絶対反対の闘いに消耗し今年は集会場からは逃亡。在特会系右翼は拡声器で集会妨害をたくらみ、松井一實広島市長は「見せる警備」と称して警察権力や市当局を大量動員して集会を潰そうとした。だが参加者はスクラムを組んで集会を防衛しぬき、「岸田は帰れ」「核戦争阻止」「安倍の国葬反対」とシュプレヒコールをあげた。ヒロシマの怒りを圧殺しようとする岸田の狙いは粉々に打ち砕かれた。
「安倍の国葬を許さない」と決意
集会冒頭、8・6ヒロシマ大行動事務局長で広島連帯ユニオン委員長の宮原亮さんが、「ウクライナで戦争が始まり、日米両政府が中国に対して侵略戦争・核戦争をやろうとしている。改憲・戦争を進めてきた安倍の国葬を強行しようとしている岸田が記念式典に出席することなど断じて許さない。二度と戦争を許さないという被爆者の思いを体現して岸田弾劾のデモをやろう」と訴えた。
続いて赤嶺知晃・全学連委員長が「式典にはロシアとベラルーシの外相は呼んでいない。『ロシアの核はよくないけれど日米の核共有はいい』という形でヒロシマをゆがめようとしている。またペロシの台湾訪問で軍事的緊張が一気に高まり、沖縄にいつミサイルが落ちてきてもおかしくない状況になった。そして来年のG7広島サミットで広島から核戦争の準備を始めようとしている。今まで以上に戦争反対・核反対を訴えよう」とアピール。さらに全国の学生や青年が次々と発言し、実力で戦争を阻止する熱い決意が語られた。
被爆2世の中島健さんは「岸田政権は戦争反対・核戦争反対の被爆者に核容認を迫ろうとしています。アメリカの核を批判しない『核廃絶』(岸田の核不拡散条約〔NPT〕会議での発言)など粉砕しないといけません」と訴えた。
同じく被爆2世で広島連帯ユニオンの壹貫田康博さんは「戦争の危機が進んでいる中で、連合傘下の労働組合や世界中の労働組合から8・6ヒロシマ大行動への賛同やメッセージが寄せられています。動労千葉が新・戦争協力拒否宣言を出したように、岸田が進める戦争と対決しひっくり返す労働組合をつくろう」と檄を飛ばした。
続いて長崎の被爆者・城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんのメッセージが紹介された。77年前の広島・長崎への原爆投下にあらためて怒りを表明するとともに、日本全土へのミサイル配備や核共有を進める岸田の式典出席を弾劾した。
沖縄コールセンター労組書記長の仲宗根光洋さんは「第2次世界大戦で亡くなった方のご冥福を祈るとともに、私たちが誓わなくてはいけないのは絶対に二度と戦争を起こさせないということです。戦争をやることで生き延びようとする資本家を倒して、基地も核もない労働者の社会をつくろう」と訴えた。さらに日教組香川三観地区教組、自治労倉敷、医療介護労働者、星野全国再審連絡会議の星野暁子さん、婦人民主クラブ全国協広島支部の仲間から戦争阻止・岸田打倒の決意が表明された。
集会の最後に8・6ヒロシマアピールが広島の仲間から読み上げられた。
8時15分に黙とうを行ったのち、デモに出発。「岸田の式典出席弾劾」「核戦争会議=G7広島サミット反対」と書かれた横断幕を先頭に、中国電力前までデモ行進した。式典会場内にもデモ隊のコールがこだまし、岸田政権を打倒する橋頭堡(きょうとうほ)を築く闘いとなった。