団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3252号04面04)(2022/07/11)


団結ひろば 投稿コーナー

大坂さん無実訴え署名活動
 四国・星野救援会 S・K

 6月に、星野救援会が署名集めをした。6・26東京拘置所包囲デモへの連鎖行動でもある。
 街には、ウクライナ戦争が、第3次世界戦争、核戦争になるのではという危機感がある。米欧日の富豪のための戦争で、ウクライナの子どもと、ロシアの青年が殺されている。みな我慢ならない。そのなかで、星野文昭さん、大坂正明さんらの渋谷暴動事件を訴えることほど労働者側の連帯を感じるものはない。
 50年前、ベトナム戦争の最前線・沖縄で基地の青年労働者が反乱を起こした。一時の個々の暴動ではなく労組という組織として、基地撤去=自らの職場の撤去で立ち上がった。そこに支配する側の恐怖がある。
 その反乱が、首都・渋谷に飛び火した。50年後の、今、同じことが私たちの目の前で始まっている。今度は、世界的規模で。
 さて、星野救援会の仲間は、獄中同志と、街ゆく人々を取り結ぶミツバチのようだ。高い獄壁も飛び越えて、無視されても、振り払われても次々に、誠実にトライする。70歳にして、はじめてビラまきをした救援会会員は、手製のプラカードを持参した。そしてこの事件がよくわからないという女性に、落ち着いて語りかけた。「大丈夫ですよ。私も1カ月前までは大坂さんのことを知りませんでしたから。それでも、今日こうやってビラをまき、署名を訴えていますから」
 勝利に向って走り出したこの流れは、もう誰にも止めることはできない。

賃金減らし防衛費増やすな
 日教組香川三観地区教職員組合執行委員長 片山元久

 6月21日、私たちは、仲間と共に香川県人事委員会と香川県教育委員会に申し入れを行いました。
 まず、人事委では「物価高により実質賃金が引き下げられている。賃上げを勧告すること」「教員のタダ働きの実態を調査し、改善のための措置を直ちにすること」などを訴えました。
 次に、県教委では「現場教員の休憩時間の確保」を訴えました。この休憩時間については、4月21日の申し入れの際に対応した県教委幹部が「自分も昼の休憩時間なしで働いている」(だから問題にもならない)と自ら、県教育長の労働基準法違反の実態を暴露してしまったのです。今回、再度、私たちがこの件をただすと、「今はちゃんと昼の休憩時間が取れている」と発言。私から「だったら、その状態を学校現場に広めてもらいたい」と求めましたが、幹部からは何の返答もなし。
 また、仲間からの労働条件の改善要求には、その幹部は「脅迫ではないか」とまで言いだしました。私たちの至極当たり前の「申し入れ」が「脅迫」に置き換えられました。これは、関西生コン支部弾圧と同じことを狙っているということです。絶対に許しません。
 ウクライナ戦争を利用して、政府は「台湾海峡有事」をあおり、南西諸島のミサイル基地建設を強行しています。県教委は私たちの賃金を減らし、その浮かした金を政府に貢ぎ、防衛費につぎ込もうとしています。まさしく「戦争は職場からやって来る」のです。戦争という巨大な悪に対しては、私たちが団結して阻止するしか方法はありません。組合で団結し「戦争反対」と「勤務条件の向上」を勝ち取ります!

ミャンマー人民と連帯誓い
 茨城 H

 6月19日に茨城県つくば市で開催された講演会・討論会「在日ビルマ市民労働組合・ミンスイ会長の訴え」に参加しました。
 ミンスイ会長の口からは、ミャンマー人技能実習生が置かれているあまりにもひどい状況が語られました。賃金未払いは言うまでもありませんが、自分がどこにいるのかもわからないような状況での生活を強いられたり、パスポートと在留カードを取り上げられたりということも現実に行われているそうです。彼ら・彼女らは人間として扱われていません。外国人技能実習制度はまさに「現代の奴隷制」です。
 また、政府がこのような極悪の資本と一体のものであることも明らかにされました。日本政府はロシアへの経済制裁を強める一方で、ロシアと関係を深めているミャンマー国軍に対する支援を続けていることをミンスイ会長は指摘しました。このダブルスタンダードは人間の命や尊厳を一顧だにしない日帝権力の腐りきった性格を自ら暴露するものにほかなりません。
 一方で、ミンスイ会長らの闘いによって処遇を改善させた事例も多数紹介され、闘うことには力があると改めて感じました。
 在日ミャンマー人労働者と日本政府による国軍支援の問題について学び、資本・政府に対する徹底的な闘争によってミャンマー人民と全労働者が人間らしく生きることのできる社会を絶対に実現せねばならないと感じました。今回初参加の学生もいて、団結は広がっています。この機運の高まりの中で地区における闘いをますます高揚させるべく力を注ごうと思います。

眞喜志康彦同志を追悼する
 革命的共産主義者同盟沖縄県委員会



 私たちは眞喜志康彦同志というかけがえのない存在を失いました。眞喜志同志は昨年10月に肺がんが見つかり入院生活を余儀なくされ、闘いへの復帰を求めて懸命の闘病生活を続けるもかなわず、1月26日に71歳の生涯を閉じました。11月10日の沖縄全島ゼネスト50周年集会への参加が彼の最後の闘いとなりました。
 眞喜志同志は1970年安保・沖縄闘争の激動の渦中で革共同に結集して、沖縄闘争と労働運動の先頭で闘ってきました。その姿は革共同沖縄県委員会の労働者指導部として多くの仲間から信頼を得てきました。
 沖縄を戦場とする中国侵略戦争の危機が差し迫るなか、これと対決する沖縄の労働者階級と党の力が本当に問われる過程に入っています。彼の力がこれから本当に必要とされていました。眞喜志同志の遺志を引き継ぎ、米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕の闘いを沖縄の労働者階級と共につくりだし、「革命の火薬庫」=沖縄からプロレタリア革命の勝利に向かってばく進していきます。
 去る6月4日に「眞喜志康彦さんを偲ぶ会」を兄妹4人を始め運動の仲間・職場の同僚・友人など50人近い参加で開催しました。参加者の4人に1人は沖縄の電通関係者でした。司会を「偲ぶ会」実行委員会会長の金城幸男さんが行い、主催者あいさつを水島満久さんが行いました、ご家族からお兄さんが眞喜志さんとの思い出を語られました。
 眞喜志さんと同年である広島のNTT・OBの植野定雄さんと、沖縄のNTTで同僚であった下地寛信さんから、それぞれ眞喜志さんの遺志を受け継いでプロレタリア革命の勝利まで闘う決意が述べられました。
 三線の演奏が行われ、彼が生前好んで歌った民謡が流れる中で参加者の交流が行われ、閉会あいさつを宮城盛光さんが行いました。

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