動労水戸損賠訴訟 JR弾劾し組合員が証言 団結にかけた誇り示す
週刊『前進』04頁(3251号02面04)(2022/07/04)
動労水戸損賠訴訟
JR弾劾し組合員が証言
団結にかけた誇り示す
JR東日本の不当労働行為を追及する動労水戸の裁判が6月3日と24日に水戸地裁民事第一部(阿部雅彦裁判長)で開かれた。
動労水戸の組合員13人は国鉄時代に運転士の免許を取得したが、JR東日本により運転士への登用を拒まれた。動労水戸はこれを不当労働行為として労働委員会に申し立て、「組合員を運転士に発令せよ」という労働委員会命令は2008年12月の最高裁決定で確定した。だがJRは「命令履行」と称して組織破壊を行った。これに対し動労水戸は11年に損害賠償請求訴訟を起こし、昇進差別についても裁判で追及してきた。
3日の裁判では木村郁夫委員長ら運転士登用差別を受けた組合員4人が証言。24日の裁判では登用差別当該の4人の組合員とその家族が、昇進差別については2人の組合員が証言した。
証言した組合員のほとんどは、JR発足時にはそば屋や売店などに配属されていた。組合員は鉄道業務から徹底的に排除された。
ある組合員は86年11月の動労水戸結成直後、職場のトップの水戸機関区長が自宅に来て、父親に「組合にかかわったら当局ににらまれる」と告げた経験を語った。別の組合員は、国鉄時代に運転士免許を取得した同期生のうち、動労水戸だけが排除されていることへの義憤に駆られ、動労水戸に加入したと証言した。
最高裁決定後もJRは卑劣な攻撃を繰り返した。ディーゼルの免許を取得していた組合員に対しては、水郡線での仕事しかないとして、居住地などの生活実態を無視して大子町にある水郡線営業所への配属を強いようとした。体調を考慮して構内運転を希望した組合員の意思をJRは踏みにじり、「それなら運転士は希望しないと誓約書に書け」と迫った。運転適性検査や医学適性検査で不合格とされ、運転士になれなかった組合員もいる。運転士に発令された組合員も、ハンドルを初めて握ったのは40歳代後半から50歳代。体調を管理しつつ仕事に習熟するための労苦は多大だった。
証言に立った組合員は、不当労働行為を認定されても謝罪もせず、新たな攻撃をかけてきたJRに怒りを示し、どんな攻撃にも屈せず動労水戸に団結してきたことへの誇りを語った。
昇進差別を受け続け、50歳代でようやく昇進試験に合格した組合員は、不公正な試験を徹底弾劾した。
被曝労働拒否闘争に共感して動労水戸に加入した照沼靖功さんは、動労水戸にかけた思いを語った。11年3・11福島第一原発事故以降、福島県広野駅に放置され放射能に汚染された車両「K544編成」をJR東日本は同年10月に勝田車両センターに搬入し、検査・修繕作業を行わせようとした。これに対し動労水戸は搬入当日の10月9日、門前で抗議集会を開いた。当時、JR東労組の分会執行委員だった照沼さんは、東労組も闘うべきだと考え、この集会に参加して発言した。東労組の現場組合員にも不安と怒りは渦巻いていたが、東労組執行部は闘おうとしなかった。そのため照沼さんは10月14日、動労水戸への結集を決断した。
それはJRの不当労働行為との攻防の始まりだった。照沼さんは「毎年、昇進試験を受けているが一度も合格したことがない。私は安全で快適な車両を提供したいと日々仕事をし、同期に負けたくないと努力し学習もしてきた。だが、昇進試験の合否の基準は所属組合で変わる。この制度は社員の士気を下げ、安全も脅かしている」と弾劾し、「安全を守れるのは労働組合」と確信も固く語った。
各自の闘争史を刻印する証言はJRを圧倒した。