長谷川英憲同志を偲ぶ 革命的労働者党の建設へ闘いぬいた「民衆の代表」 革命的共産主義者同盟
長谷川英憲同志を偲ぶ
革命的労働者党の建設へ闘いぬいた「民衆の代表」
革命的共産主義者同盟
5月8日、長谷川英憲同志が84歳で逝去されました。革命的共産主義者として60年にわたり闘い続け、全党の同志、東京西部地区、杉並はじめ大勢の支持者から敬愛されてきた長谷川英憲同志に、心から哀悼の意を表します。
長谷川同志は、60年安保闘争を国公労働者の労組青年部役員として闘い、3全総路線を確立した革共同に加盟、東京西部地区党の先頭でベトナム反戦・70年決戦の先頭に立ちました。
革共同は70年決戦の中で社・共に代わる労働者党建設を推し進めるべく、長谷川同志を杉並区議候補として革命的議会主義の闘いを開始しました。長谷川同志は2期目の71年選挙では1万票に迫る圧倒的支持でトップ当選し、日帝国家権力と全既成政党を震撼(しんかん)させました。長谷川同志は、国家権力と反革命カクマルの弾圧と憎悪を一身に受けながら、杉並の労働者人民、全党の同志と団結してこれを打ち破り、80年代まで5期連続で当選。89年には都議選に勝利し、天皇代替わりの反革命に対して議会内外で内乱的な激突をつくり出して闘いぬきました。
90年代以降の新自由主義攻撃の全面化に対して、国鉄決戦、三里塚闘争を闘い、「日の丸・君が代」強制による教労つぶしのファシスト石原都政と対決。2000年の衆院選では、介護保険制度廃止を掲げ、民営化と戦争に反対して闘いぬきました。
長谷川同志の人柄は誰もが知るとおり、誠実で温かく柔軟で包容力があり、同志と労働者人民に対しては極めて穏やかで優しく、しかし国家権力・反革命とは非妥協で、運動において革命的原則を貫くことにおいては実に厳しく、一切の妥協を許さない人でした。
反戦政治闘争、カクマル反革命との闘いの中で現役区議時代に4回も不当逮捕されても一切屈せず完全黙秘・非転向で闘い、「懲罰」策動も粉砕し続けました。常に大衆運動の先頭に立つ革命的共産主義者、労働者階級の革命家として生涯を全うしました。
06〜07年、革命的議会主義の闘いを歪め、革命的原則を破壊して脱落した結柴・新城(今日反動田中区政の与党と化した)に対して長谷川同志は、非妥協的に対決しぬきました。それは革共同全体を労働者階級の党、マルクス主義の党として再生させた党の革命において決定的でした。
その後、16年秋に闘争現場で倒れ心肺停止となるも奇跡的に回復し、今年3月末に入院するまで反弾圧・救援運動をはじめ全力で活動を続けました。
今我々は戦争か革命かが問われる世界史的な分岐点を迎えています。革共同は第8回全国大会を開催し、ウクライナから始まった世界戦争の危機、米日帝国主義の中国侵略戦争を反帝国主義・反スターリン主義世界革命に転化するために闘いぬくことを断固として確認しました。この8回大会の成功を長谷川同志がとても喜んでいたことを心に刻んで闘いぬきます。
革共同は、長谷川同志の闘いを引き継ぎ、世界戦争情勢下の「第2インターナショナル崩壊」的な総翼賛情勢と対決して闘う洞口朋子杉並区議、多くの同志・労働者人民とともに8回大会路線を実践して、プロレタリア革命勝利に向かって闘うことを誓います。来年区議選の勝利を必ず勝ちとります。長谷川同志の終生の志を最後の勝利の日まで共にします。
長谷川同志! 見ていてください!
長谷川英憲同志
1938年長野県生まれ。57年会計検査院に就職し、労組青年部役員として60年安保闘争参加。63年早稲田大学第二政経学部卒業。65年都政刷新杉並委員会に加わる。
67年、29歳で杉並区議初当選。以後5期連続当選。71年には9971票でトップ当選。89年都議会議員に。消費税廃止運動、臨海部再開発反対、「日の丸・君が代」強制反対、介護保険に反対して介護と福祉を要求する運動を起こし2000年に衆議院選挙に挑戦し2万2799票獲得。06~07年、党の革命を先頭で推進。終生、都政を革新する会の代表。
長谷川同志の闘いは今日、地域の運動、洞口区議の闘いに引き継がれている。
------------------------------------------------------------
お別れ会を開く
「闘い引き継ぐ」
洞口区議が決意
5月18日、急性白血病で亡くなった長谷川英憲同志のお別れ会が、都政を革新する会のもと杉並区内で開かれ、150人を超える人々が参列した。
北島邦彦事務局長が司会を務め、冒頭に洞口朋子区議が「長谷川さんは最後まで仲間と共に生きぬかれた。もっと共に闘いたかった。必ず長谷川さんの60年に及ぶ闘いを引き継ぎます」とあいさつした。
長年の同志である藤原慶久さんをはじめ、動労千葉・中村仁副委員長、三里塚反対同盟・萩原富夫さん、秋月丈志革共同書記長、星野暁子さん、東京労働組合交流センター、産直運動、地域の星野運動、東京西部ユニオンから追悼の言葉が送られた。
終生を労働者階級として闘いの先頭に立ち続けた長谷川同志、その生き方を党と労働者人民が引き継ぐ決意を固める会となった。