団結ひろば 投稿コーナー5・14~16沖縄闘争に参加して 5・15式典弾劾行動

発行日:

週刊『前進』04頁(3246号04面03)(2022/05/30)


団結ひろば 投稿コーナー
5・14~16沖縄闘争に参加して

(写真 5・15式典弾劾行動)

大学で反戦闘争まき起こす
 首都圏・学生 山里陽向

 5・15沖縄現地闘争で初めて沖縄に行ってきました。「復帰」記念式典の前日14日には沖縄県平和祈念資料館とアブチラガマを訪れ、本やテレビの世界ではなく実際に自分の足で踏んだ沖縄の地でいかにむごいことが行われたかを学びました。それだけでなく、これから再び沖縄を戦場に戦争が行われようとしているという情勢も確認し、この迫りくる戦争を絶対に阻止しなければならないと強く感じました。
 そういう思いを抱え、記念式典当日には式典弾劾デモと抗議集会を腹から声を出して闘いました。自分が反戦闘争の最前線である沖縄で闘っていることを実感し、充実感を覚えました。車から手を振ってくれる人、窓から我々のデモに注目する人も多数おり、確かな手応えを感じた一日でした。
 16日には辺野古で土砂搬入阻止のための座り込み闘争を行いましたが、ここでは実力阻止まで闘いぬくことができず悔しい思いをしました。ゲート前から撤退後のテントの中で学生の先輩方が話していた内容が印象に残っています。それは「最後まで闘いぬくためには自分たちが責任をもって運動の主体となることができるくらいに組織を強固にしなければならない。この悔しさをそういう方向につなげよう」というものでした。
 この沖縄闘争を通して、私はデモに参加し始めて間もない学生ですが、ゆくゆくは自分の大学で学生運動を巻き起こし、学友たちとともに反戦の闘いに決起しなければならないと決意を新たにしました。

再びの沖縄戦絶対許さない
 首都圏・学生 茅ヶ崎百華

 5・14〜16沖縄闘争に参加しました。
 14日はアブチラガマ、平和祈念資料館を見学しました。戦争が人間をどのようにしていくかを具体的に肌感覚としてたどりました。戦争の後になっても、沖縄に基地と戦争を押し付けている事実がいかに沖縄の人々を踏みにじるものであるか痛感しました。
 その現実を見たうえで、岸田の出席する「復帰」記念式典粉砕実力闘争に臨みました。
 会場前の横断歩道を機動隊は法的根拠なしに封鎖しました。突破しようとする我々に恐怖し、機動隊バス複数台を使って進路を塞ぎました。それは同時に、抗議行動を不可視化するものでした。あの無惨な沖縄戦を絶対に繰り返さない----これを訴える反戦運動を見えなくすることは、あの戦争をもう一度やると宣言しているのと同じことです。今なら、「日本帝国主義は沖縄戦を繰り返そうとしている、これを絶対に止めなければならない」と、確信をもって言うことができます。デモコールにあった「沖縄圧殺」がどれだけ許し難いことか、恥ずかしながらあの場でやっと理解しました。
 本土決戦への時間稼ぎのために行われた沖縄戦を含む第2次世界大戦は、プロレタリア革命への支配階級の恐怖によって幕を閉じました。沖縄の人々の命を軽視し体制維持に固執する支配階級に吐き気がするが、逆に言えば、プロレタリア革命が戦争を止められることをブルジョアジー自らが宣言しているのです。
 沖縄―本土労働者階級の断固とした連帯で革命やって戦争を止めましょう!

国家権力粉砕できると確信
 首都圏・学生 真鍋永遠

 私は今回初めて沖縄に来たのですが、小林よしのり著『沖縄論』や瀬長亀次郎さんの映画で知った程度で、実際の現場の様子をよく知りませんでした。
 初日は平和祈念公園やアブチラガマに行き、戦争の恐ろしさを実感しました。また、二日目に世界一危険な基地と言われる普天間基地周辺の公園からデモ行進した時、こんな住宅街の目の前でも戦争の危機が身近にあることを知りました。
 私はとあるSNSのアプリで社会系の議論サークルに参加しているのですが、そこでは〝ネトウヨ〟や既成左翼が多く、ブルジョア経済学者や体制内の評論家の意見を鵜呑(うの)みにする人が多く、現場で起きている問題に気づけなかったり、民衆の視点で物事を考えられない場合がほとんどです。政治の話はタブーとされる風潮なので、なおさらネットや動画、身近な書店での偏った情報しか得られない者がほとんどでしょう。沖縄は矛盾が文字通りの暴力として最も顕在化されている所だと思います。改めて日帝や戦争の脅威を、主体的にリアリティーを持って捉え直すことができました。この体験をどんどん発信していこうと思います。
 記念式典粉砕のデモや辺野古座り込みで初めて日帝の手先の機動隊と対峙しました。特に辺野古では全国から様々な立場の人が集結し、資材搬入を遅らせることができたので、民衆が決起すれば国家権力を粉砕し本当に革命を成功させることができるという展望が見えてきました。大坂さんや星野さんの意志を受け継ぎ、地域や年齢、職業などの壁を乗り越え、階級として団結し立ち上がる決心がつきました。

京大新歓集会に参加して
 京都大学 和田琥珀

 「自由の学風」----京都大学を象徴する言葉であろう。しかし、私の見た光景は、その言葉とはかけ離れたものであった。
 4月22日、全学処分対策委員会が呼びかける新歓集会が吉田南キャンパス総人広場で行われた。広場でスピーチをする学生。そしてそれを取り囲む警察官や大学職員。まったく異様な雰囲気であった。私は運動家ではなく、集会に参加するのも初めてであったが、その状況に疑問を抱かざるをえなかった。
 まず、スピーチをしている学生は決して武器を手に取っているわけではない。論点も大学の商業化や反戦など真っ当なものである。にもかかわらず、場合によっては顔を隠し、威圧的な視線に晒(さら)されながらスピーチをしなければならないのだ。警察や職員も自らの持つ権力性を自覚していないはずがあるまい。その視線は不都合なものから目を背けたいがための無言の圧力なのである。
 一方で、私は悲嘆に暮れているわけではない。広場で集会に耳を傾ける学生たちを見て、むしろ安心さえした。4月の集会ということで、緊張感を漂わせる異様な空間を初めて目にした学生も多かったことだろう。それでも、興味を持ち足を止める学生、運営と意見を交わす学生は少なくなかった。また、彼らの中にも私と同じく、この状況に疑問を呈(てい)する学生がいたようだ。
 前には出ずとも、思想を同じくし、それぞれのやり方で闘う人々が存在する。集会は、そんな人々と運動家の邂逅(かいこう)の場であり、連帯を実現させる場である。そう強く感じた一日であった。

戦争と混乱の時代に愛の花
 中国人留学生 N

 皆様と一緒に5・15沖縄デモに参加する機会をいただき、誠に感謝します。初めて話を聞いたのはおそらく4月です。正直言ってその時、「面白そう」という気持ちでした。参加した後、私は「愛」を発見しました。
 今回のデモで、私にとって一番ショッキングだったのは、皆さんの活気、バイタリティーです。表象的な「バイタリティー」 において、「自分愛」と「他人愛」の閃光(せんこう)を見つけました。自分を愛したら自立性を奪われたくない。もし他人の自利的な利益のための工具「手段」になったら、自分の精神と命が他者の「手段」になります。沖縄で進んでいる米帝の戦争準備は、言うまでもなく沖縄の人民、日本の人民のためではない。帝国主義者は、人民を「食べ物」として扱っている。それを防ぐための「愛」を見つけました。
 「他人愛」とは、簡単に言えば自分の家族と友達を愛してるという気持ちである。しかし動物的な感情ではなくて、人間の道徳と責任に基づき他人と共感できる感情である。共感とは、団結の第一歩だ。そういう「他人愛」と共感があれば、世界の学生たちが団結して、戦争を絶やすことの希望とみんなを団結させる「愛」を見つけられます。
 私は「愛」によって全ての問題を解決できるとは思わないけれども、人民同士の戦い(分断)もあり、右翼も強くなっている資本主義の時代で、そういう精神は星のようにキラキラしていて花のように美しいです。皆様の闘う姿を見たら、誰でも永遠平和の未来を信じるようになるでしょう。
 これからも皆様と一緒に戦争に反対して、永遠平和のために、デモや他の活動も参加したいと思います。革命の時代は来ました。

星野文昭さんと共に闘った
 東京東部星野文昭さんを取り戻す会 小泉純子

 1987年沖縄国体闘争以来、35年ぶりに5・15沖縄闘争に参加するために沖縄に向かった。
 5・15式典弾劾・岸田打倒のデモに結集するため、デモ出発地点の宜野湾市の上大謝名さくら公園まで乗車したタクシーの運転手が、普天間基地が見えた時に静かに語りだした。「この基地が戻っても10年は使えない。沖縄の土地の下には何万もの不発弾がある。学校の建て替えでも危険ですぐに工事はできない。汚染された物質も除去して整地するためには10年はかかる。不発弾を全部取り除いて安全な土地にするためには100年かかる。沖縄戦では海が見えないほどの軍艦で砲弾を撃ち込まれたんだから」と。
 式典粉砕、戦争反対、岸田打倒、沖縄を再び戦場にするなと訴え行進するデモに対して、道行く人々、マンションの窓から多くの人が手を振る。式典会場前では、機動隊の制圧を跳ね返して弾劾する学生、労働者の闘いが、抗議行動をしていた沖縄の人々と一体となった。
 私は星野さんの旗を高く掲げともに闘った。旗が急に軽くなったと思ったら、後ろにいた高校生が旗を支えてくれていた。地元の高校生が見に来て、一緒にこぶしを上げていた。
 国際通りデモ、式典反対デモ、辺野古現地闘争に星野さんの旗を掲げ星野さんとともに闘い抜いた。国家権力による星野さん虐殺を絶対に許さず、国賠勝利、再審勝利の闘いをやり抜き、戦争に向かう日米帝国主義打倒、「人間が人間らしく生きられる社会」を実現していく決意を固める闘いとなった。

辺野古基地警備員に訴える
 合同労組組合員 高山一成

 茨城県から5・14~16沖縄闘争に参加した。
 最終日の正午過ぎ、辺野古ゲート前で当日二度目となるトラックの搬入が行われようとしている時だった。座り込み行動の主催者の方からその場に並んだ警備員らに関してある説明がなされた。警備員は全員、不織布マスクではなく透明なフェイスシールドを着用していたが、それは警備会社の方針によって強制されたものであるという。考えてみても合理的な理由など何一つなく不可解極まるが、本来我々と同じ労働者である警備員らが資本によって安全・健康度外視の環境に置かれている。これが揺るぎないただ一つの事実だ。
 二度目の抗議行動の締めくくりに基地の方を向いてシュプレヒコールが行われた際、一人の警備員と正面から向き合う形になった。先ほどの話で、私には彼が同じ階級の労働者なのだという思いが強くこみ上げていた。その思いを込め、私はシュプレヒコールの間中、真正面から彼の目をしっかりと見据え続けた。彼は最初一瞥(いちべつ)したきりで、再びこちらに目を向けることはなかった。
 あの時、あなたはなぜ私に目を合わせることができなかったのか。あなたが自分の仕事に誇りを持てていないからではないのか。基地は断じて労働者人民を守るために造られるものなどではない。その逆だ。沖縄戦を思い返せば明白ではないか。あなたがたった一歩踏み出し、我々ではなく基地の方を向くだけですべてが一転するのに、それを阻むものは何なのか。それはあなたの敵ではないのか。
 我々から自由と誇りを奪うものに抗して立ち上がろう。労働組合に入って団結して闘おう。

沖縄人民50年の思い共にし
 千葉 山中 久

 沖縄闘争は梅雨との闘争だったが、5月14日のデモ開始時を狙ったように雨雲は霧散した。空が晴れて、デモの沿道に人々が顔を出せるようになった。
 闘争全体を通して見えてきたのは、沖縄の反基地闘争は人々の関心が違うということだ。住民が学校で、広場で、バーガー屋で、軍事拠点たる基地の話をしている。千葉の習志野や木更津にそんな光景は無い。
 沿道でも、人々の関心は明確に高かった。国際通りも人がまばらだったが、おのおのに我々を見つめる。それは15日のデモでも同じであり、式典会場前にいた他の抗議勢力も同じであった。
 15日夜の青年集会で、沖縄の闘う青年労働者も話していたが、日本政府の掲げた沖縄雇用促進の内実は、非正規雇用を増やし、組合組織率を下げることにあった。非正規雇用が増えれば組合組織率も下がる時代が長期間存在した。連合系労組など、非正規雇用労働者たちを蔑(ないがし)ろにし続ける組合はザラにある。その意味でも、やはり沖縄解放への道は、青年労働者を始めとした人々の決起が不可欠だ。
 16日の辺野古現地闘争は大雨に打たれながら行った。降り注いだ雨が、自分には、沖縄人民のこの50年余りで蓄積された、悲しい涙にすら思えてきた。
 沖縄闘争はまだ続いている。全ての人間が人間らしく生きられる社会となるまで、我々の闘いに終わりは無い。

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