投稿 海の人間から見た知床事故 北海道 漁業 沢口達也

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週刊『前進』04頁(3246号04面02)(2022/05/30)


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 海の人間から見た知床事故
 北海道 漁業 沢口達也


 この事故の原因は、桂田社長が、海を知る周りの人達が止めるのも聞かず、遊覧船カズワンを出航させたことにつきる。
 「シケたら帰ってくることになっていた」だと? シケたら小さな船は走ること自体が大変なのだ。後ろからくる追い波も、横からの横波も危険極まりなく、波にあわせてジグザグにゆっくり走るしかない。風と波に船首を向ければ安全だが、それではカズワンは港から離れるばかりだ。
 また、小さい船ほど船首の浮力を大きくとってある。それなのにカズワンは船首から沈んだようだ。考えられることは二つ。追い波で船首を波の底に突っ込んだか、船首の傷から浸水したかのどちらかである。つまりシケの海を知らない素人船長の腕が悪かったか、船首の亀裂を放置したことで浸水したかだ。いずれにしても桂田の犯罪である。
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 この事故は、資本の強欲を国家の規制や労働者の反抗という社会の強制から解き放った時、考えられないような惨事が起こることを改めて明らかにした。それは海における尼崎事故の再現に他ならない。
 一つ違ったのは、周りに海で働く人たちが数多くいたことである。海で働く者は誰であれ、常に天気を気にして、いつも天気予報ばかり見ているものなのだ。この事故では、安全などそっちのけのブルジョアと、自分たちの海の仕事を自分たちの判断で働く人たちがあざやかに対比された。だから桂田の犯罪性もすぐ明らかになったのである。
 そもそも海の仕事は危険と隣りあわせであり、黙って経営者に従うだけでは成り立たないのである。このことは大なり小なりどんな仕事にもいえることであり、単に程度の違いでしかない。
 桂田をみればわかるように、ブルジョアは事業が大きくなるほど、カネもうけしか頭になくなり、仕事の素人になっていく。むしろ現場で働く人の方がずっと仕事に精通しているものなのだ。
 こういうことは、日刊動労千葉でJR幹部を圧倒する団交記録を読んだことのある人はよく知っていると思う。動労千葉には「いつでもお前たちに代わってやるぞ」という自信があふれているではないか。
 再び三たび、こういう惨事をくり返さないためにも、一刻も早く「ブルジョアどもに代わって」現場を担う労働者によって仕事と世の中を回す社会をつくり出さなければならない。
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