団結ひろば 投稿コーナー
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須賀さんの命と健康を守れ
迎賓館・横田爆取裁判元被告 板垣 宏
迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会は1月28日、横浜刑務所在監中の須賀武敏さんの命と健康を守るため当局に対し「刑の執行を直ちに停止し、外部の医療機関・医師の適切な検査と治療を保障せよ」との申し入れ行動を、須賀さんの家族を先頭に、神奈川星野救援会、救援連絡センターの仲間も加えた30人の参加で行いました。
まず、私が申入書を読み上げた後、須賀さんの家族が、「いまだにMRI検査も保存治療もやられていない。なぜできないのか」「法務省に対する『医療情報開示請求』の手続きを私信扱いして発信回数を制限するのは違法だ。やめてほしい」と切実な訴えを行いました。
ところが、横浜刑務所当局(庶務課長補佐・佐藤)は、まだ須賀さんの家族が発言している最中に、「『(手紙の発信回数制限は)法律に従ってやっています。申入書は受け取ったのでこれで終わりにします」と一方的に言って逃亡しました。この間10分足らず。極端に硬直した反動的態度です。参加者から「そんな違法は許さないぞ」「聞く耳は持たないということか」と怒りの声が飛ぶ。たまりかねて再び出てきましたが、「これで終わりにしたい」とすぐに逃亡。この誠意のない対応に参加者は怒りのシュプレヒコールを行って抗議した後、場所を移して街宣・署名活動を行いました。
発信回数の制限という新たな弾圧の拡大を許さず、須賀さんの命と健康を守るための署名活動に取り組み、獄中医療を大きな社会問題にしていきましょう。
沖縄市で起きた「コザ暴動」
東京 黒島善輝
1月27日未明、沖縄市。バイクに乗った高校生に対し、警察官が眼球破裂の重傷を負わせた。右目から胸まで血が流れている姿がネットに出た。警察は交通事故として処理しようとした。高校生はSNSで「あるじゅん(歩いている巡査)にやられた」と発信。
その日の夜、沖縄署前に500人の若者が集まった。やり過ぎないようにと止める若者もいた。大人たちも駆けつけてなだめたが、警察のウソは許せないという怒りが収まらない。実力の抗議行動が28日未明まで続いた。警察は事実を認めず、器物損壊などで事後弾圧を策している。28日朝、ニュースが駆け巡った。何が起きたのか。ちょうど沖縄にいた私は「コザ暴動だ」と感じた。
52年前の1970年12月20日未明、交通事故の処理をめぐって怒りを爆発させた人々が米軍車両を炎上させ、嘉手納基地に突入した、あのコザ暴動だ。沖縄市は昔のコザ市。今でも嘉手納基地の玄関口だ。
沖縄は、米軍基地発のオミクロンが拡大し社会的機能がパンクする寸前まで行ったが、政府は米軍の規制解除を早々に容認した。
この最中、名護の市長選挙が行われた。岸田政権は、新基地建設の物理的暴力、銭ゲバ的暴力、行政による締め付けなどで人民の選択をねじ曲げた。さらに中国侵略戦争に向かっての動きは急ピッチだ。
こうした事態がすごい緊張を生み出しているからこそ起きた事件であり、大きな政治的意味がある。沖縄の局地的事件ではない。全国的に若い人たちを取り巻く状況が事件のベースにある。そこをつかむ感性が問われている。(写真は1月29日付沖縄タイムス)
甲状腺がんの青年らが提訴
東京 北沢隆広
福島第一原発事故による被曝で小児甲状腺がんを発症した青年たちが東京電力を相手に裁判に立ち上がりました。原告は17歳~27歳(事故当時6歳~16歳)で、福島県内や東京、神奈川に住む高校生やアルバイト、会社員の男女6人です。1月27日に東京地裁に提訴。午後4時から衆議院第一議員会館で行われた支援集会に参加しました。
冒頭、弁護団長の井戸謙一弁護士が報告を行いました。「6人のうち2人が甲状腺を半分摘出、4人は再発して全部摘出した。みな再発の不安におびえて生活している。結婚・出産など将来が見えない。福島では『原因が被曝である』と思っていてもバッシングにあうため口に出せない。しかし問題をはっきりさせないと人生の次のステップに進めない。そこで経済的な補償をしてほしい、同じように甲状腺がんで苦しんでいる人を勇気づけたいと裁判を決断した。裁判に勝利するだけでなく、被曝者として、原爆被爆者のように手帳を受け取って、生涯医療費や各種のサポートを受けられる制度につなげたい」
原告たちはメッセージでそれぞれ「今まで甲状腺がんにかかっていたことを誰にも言えずに苦しんできました」「この裁判を通して......甲状腺がんと福島原発事故の因果関係を明確にし」「将来、健康な人と同じように安定した生活ができるように補償してほしい」と語っています。
この裁判は広島の被爆者の「黒い雨」裁判ともつながる、内部被曝を争う歴史的な裁判です。不安を抱えながら立ち上がった青年たちにとって、支援・応援が何よりも力になるとのことです。勇気を奮い起こして立ち上がった青年たちを全力で支援しましょう。
1・23―24沖縄闘争
右翼の妨害はねのけ県庁前街宣
広島大学 太田蒼真
1・23―24の沖縄闘争に参加しました!
23日には沖縄県庁前で街宣をしました。感染拡大もあり国際通りは昨年5月、11月以上に閑散としていましたが、大音量の街宣右翼が妨害してくるなかでも多くの沖縄人民がビラを受け取り署名に応えてくれたことに感動しました。
24日はキャンプ・ハンセンでの抗議行動、勝連分屯地や沖縄防衛局への申し入れ行動を行いました。基地被害や昨年の汚染水流出、そして現在進行形の感染拡大をよそに基地は稼働しています。米軍と日帝・岸田政権が生き残りをかけて中国への侵略戦争を準備しているからこそ、住民のことなどどうでもいいと稼働しているのです。まさに「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓が目の前で展開されていることに激しい怒りを感じました。申し入れ行動では、「軍服を着た労働者である自衛隊員はアジア侵略の銃を握るな、それを向けるべきは米帝・バイデンであり、日帝・岸田だ」と訴えました。
いま準備されている改憲・戦争を阻止し、日米安保を粉砕し、全ての基地を撤去することが、感染拡大を止め基地被害をなくすことにもつながります。広島、山口でも岩国基地が侵略戦争準備のために稼働し続けているからこそ感染が広がっています。今こそ改憲・戦争阻止、全基地撤去の闘いを、沖縄人民のみならず全労働者階級の課題として位置づけて闘いぬいていきましょう!
INF反対闘争の重要性つかむ
広島大学 森田寛隆
今回の沖縄闘争は、沖縄での反基地闘争が決定的な位置をもっているという確信とともに、今広島から呼びかけているINF(中距離核ミサイル)反対の闘いが重要な闘いであることをつかむものになりました。
「沖縄に迫る戦争の危機」と題して行われた琉球新報・新垣毅さんの講演がとりわけ決定的でした。新垣さんは冒頭から「オール沖縄VS自公政権という捉え方ではいかない」と訴え、INF全廃条約の失効から急速に進んでいる南西諸島への中距離ミサイル配備は核戦争の危機だと展開しました。だからこそ、中距離ミサイル配備に反対することが核戦争阻止の核心だということです。
実際にかつての冷戦構造はINF配備によって強まりましたが、その配備先であったヨーロッパを中心に巨大な反核闘争が爆発し、この闘いが冷戦構造ごと打ち破るものになりました。そして、今回新たにその配備先になっている沖縄は「基地撤去・核基地化反対」を掲げて反基地反核闘争が闘われてきました。現在の沖縄闘争は、これまでの核戦争危機とそれへの闘いを上回る、歴史的決戦になることをつかみました。
EABO(遠征前方基地作戦)や軍事演習への民間動員、この間の米軍基地からのコロナ拡大は、この戦争危機が沖縄にとどまらず、日本全土を戦争体制にしていることを直感させるものです。反戦闘争をキャンパスで闘い、沖縄闘争をさらに闘っていきます。
全国の反戦闘争で核戦争阻もう
8・6ヒロシマ大行動 事務局 伊豆ハルミ
沖縄現地の闘いに参加して本当に良かったと思います。沖縄が中国侵略戦争の最前線基地、戦場につくりかえられていることを実感しました。
23日の講演で印象深かったのは、講師の新垣毅さん(琉球新報報道本部長)が、「沖縄の状況は、『オール沖縄』では対応出来ないような事態が起こっている」として「自衛隊南西シフトとミサイル配備問題」の話を始めたことです。
「オール沖縄」は、辺野古新基地反対で一致する保守も含めた陣形なので、安保や自衛隊基地については意見がバラバラで一致した反対運動は取り組めない。よって、今、対中国シフトとして進行している琉球弧への自衛隊基地建設、ミサイル配備、それを米軍が共同使用するという事態に対して闘えないということだと理解しました。日米安保が、日米で中国侵略戦争をやるものに変わっている! 日米安保との闘いの重要性を強く感じました。
あと一つ、講演を聞いて琉球弧で進行する自衛隊基地へのミサイル配備は、米のINF配備構想の第一弾であるということが鮮明になりました。そして、岸田政権が言う「敵基地攻撃能力」の実態そのものです。講師は、沖縄の現実から「核戦争の危機」を強く訴えていました。
広島で始めたINF反対署名は安保・沖縄闘争につながる重要な運動だと捉えることができました。全国での署名の取り組み、よろしくお願いします。