ミャンマー人民と連帯を 日本政府は虐殺に加担するな ODA・軍事協力今すぐやめろ

週刊『前進』04頁(3228号03面01)(2022/01/24)


ミャンマー人民と連帯を
 日本政府は虐殺に加担するな
 ODA・軍事協力今すぐやめろ

(写真 昨年12月1日、東京・千代田区の日本ミャンマー協会に抗議行動)


 昨年の11・7全国労働者集会には、国軍によるクーデター・人民虐殺と闘う在日ミャンマー人が大挙結集し、国軍を支援する日本政府を弾劾した。この集会で可決されたミャンマー連帯決議は、「クーデターを容認し、さらなる経済侵略をもくろむ日本政府、岸田政権を弾劾し、打倒するまで闘いぬくことを宣言します」「団結した労働者の力で日本政府のミャンマー国軍への資金を断ち切りましょう!」と、参加者の名において確認した。12月1日の日本ミャンマー協会・首相官邸前抗議行動では労組交流センターや全学連が在日ミャンマー人とともに声を上げた。国際連帯をさらに発展させ、国軍―日本帝国主義打倒へ闘おう。

「春の革命」掲げ闘い続く

 昨年2月1日のクーデター以来、ミャンマー国軍は少なくとも1484人(1月19日時点)の命を奪った。逮捕者は延べ1万人を超え、8千人以上が今も拘束されている。しかし、労働組合がリードする市民不服従運動(CDM)を柱に武装闘争も含めた不屈の闘いが全土で続いている。これは国軍への抵抗闘争にとどまらず、労働者民衆の力で社会のあり方そのものを根底から変革する革命を掲げて闘われている。
 日本各地でも、在日ビルマ市民労働組合をはじめ、難民、技能実習生、飲食や介護現場などの労働者、留学生をはじめとするミャンマー人たちが日本の入管体制と闘いながら街頭に出て国軍打倒・革命勝利を叫び続けている。1988年の民主化運動を闘って亡命した在日ミャンマー人も青年とともに声を上げている。さらに、日本政府から国軍への資金の流れを断つよう求める市民団体の官邸前行動や関係各省庁への申し入れ行動も継続されている。
 「軍へのお金の流れを止められたら、私たちを撃つ銃弾も止められる」というミャンマー人青年の言葉に私たちはどう応えるべきか? ミャンマー人民の闘いが突き出したものは、クーデターと大量虐殺を肯定し、革命を圧殺して今後も国軍との「独自の関係」「太いパイプ」を維持しようと狙う日本帝国主義の腐りきった姿にほかならない。ミャンマーと日本の労働者階級の敵は一つだ。

現在も続くODA巨大プロジェクト

 今や、日本政府の政府開発援助(ODA)をはじめとする巨額の資金がミャンマー国軍に渡ってきたことは周知の事実だ。しかし日本政府は新規案件を中止しただけで即時停止を求める声には応えず、クーデター前に開始したプロジェクトは今も継続されている。
 なかでも、外務省所管の国際協力機構(JICA)が深く関与するティラワ経済特別区(後述)、財務省所管の国際協力銀行(JBIC)と国土交通省所管の海外交通・都市開発事業支援機構(JOIN)が出資・保証するヤンゴン市内都市開発(Yコンプレックス)、経済産業省が権益をもつイェタグンガス田などが国軍に多大な利益をもたらすと指摘され怒りの的となっている。みな国家ぐるみの巨大プロジェクトだ。
 ODA事業の実態は、「日本の企業が自社の利益のために事業計画を作り、相手国の政府を通じて日本政府に資金供与を求める」というものだ。ミャンマーで展開する企業の目的は「収益拡大」(JBIC)であり、巨額の融資でこれを支える政府の目的も「日本の産業の国際競争力の維持・向上」(同)に尽きる。それは、日本によるODA総額のほとんどを円借款という名の貸付金が占めることからも明らかだ。

国策としてインフラ輸出

 新自由主義の崩壊のなかで、日帝・資本は自らの延命をかけた「アジア最後のフロンティア」としてミャンマーを位置づけてきた。2011年の「民政移管」を受け、ミャンマーの豊富な天然資源と安価な労働力に財界はすぐさま飛びついた。同年12月には元郵政相でミャンマー国軍との太いパイプをもつ渡邉秀央を会長に日本ミャンマー協会(コラム参照)が設立され、政治家や日本を代表する大企業が次々と加入。翌12年に開かれた経済団体の賀詞交歓会では「もうミャンマーへ行った?」という言葉が飛び交ったという。
 日本政府にODAを強く求めたのは、現地での企業展開のためにインフラ整備を必要とする日本の財界だった。政界を巻き込んだ渡邉の働きかけで政府は総額約5千億円もの債務を帳消しにし、1988年以降は事実上凍結されていたODAを2013年から本格的に再開。日本企業が次々と経済侵略を開始した。
 これと並行し、日帝は「インフラシステム輸出」に乗り出した。13年、当時の安倍政権が「経協(経済協力)インフラ戦略会議」を設置。内閣官房長官・菅義偉のもとに副総理兼財務相の麻生太郎や外務相の岸田文雄らが首をそろえた。
 最大のターゲットとされたのがミャンマーだ。「ミャンマー支援」を議題として開かれた第1回会合では官民合同タスクフォースが設置され、ここに政府関連機関や日本ミャンマー協会、軍政下の1970年代から「人道支援」を続けてきた日本財団が参加して「オールジャパン」の経済侵略体制が完成した。
 2013年の「インフラシステム輸出戦略」は、国際競争に勝ち抜くために「日本政府としてもあらゆる施策を総動員して民間企業の取り組みを支援し、官民一体となった海外展開の推進を図る」としている。しかし、「成長戦略」の目玉として安倍の肝いりで推進された原発輸出は、日本の三大メーカーが手掛けた案件がいずれも頓挫。鉄道輸出でも惨敗するなかで、日本政府と企業にとってのミャンマーの重要性はいっそう増していった。

官民一体で進めるティラワ経済特区

 JICAが「日本政府によるインフラシステム輸出戦略を具現化するものであり、日本企業の海外展開推進に向けた官民一体の取組みに貢献するもの」と押し出すモデルケースが、ヤンゴン近郊のティラワで今も進む経済特別区の開発だ。
 日本政府が主導し、渡邉秀央を会長とするミャンマーと日本の共同事業体にミャンマー側(政府、民間)が51%、日本側(JICAと三菱商事、丸紅、住友商事など)が49%出資している。JICAは早期から政策や法体制整備のアドバイザーを派遣し、「輸出入・税関・物流管理体制の確立」までも担う。元ミャンマー事務所長が「ソフトもハードも、ここまで関与したプロジェクトは例がない」と語っているほどだ。

国軍将校の育成にも協力

 もう一つ、今日の情勢下で極めて重要な点がある。それは、アメリカ帝国主義とともに中国侵略戦争を構える日帝がこの10年間、ミャンマー国軍との軍事的な関係を急速に強めてきたことだ。これは再びの戦争国家化と自衛隊の侵略軍隊化に向けた動きの一環だ。
 13年には、海上自衛隊の練習艦・護衛艦が戦後初めてヤンゴン港に寄港。14年の防衛副大臣に続いて16年には防衛相もミャンマーを訪問し、今回クーデターを起こした国軍総司令官ミンアウンフラインとの間で両国の防衛協力・交流のさらなる推進を確認している。
 また14年にはミンアウンフラインが来日し、防衛省の協力のもと日本財団とともに「日本・ミャンマー将官級交流プログラム」が始まった。日本財団によれば「民主主義国家の軍(=自衛隊!)の在り方について紹介する」ことが目的であり、同年には10人が来日した。以後19年までの6年間、総額約1億円をつぎ込んで自衛隊の基地や演習見学、日本からミャンマーへの武術指導員の派遣などが行われてきた。
 また、防衛大学校は15年から国軍の士官候補生を「留学生」として受け入れ、戦闘や武器使用などの軍事訓練を含めたカリキュラムを提供してきた。受け入れはクーデター後も続いており、21年12月10日の段階で8人が在籍。うち2人はなんと、クーデター後に新たに受け入れたという。
 日帝は国軍に資金を供与するだけでなく、直接軍人らにミャンマー人民を殺す訓練を施しているのだ。絶対に許してはならない。

武器輸出も視野に軍事協力を強める

 安倍政権は14年6月に「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。現在、これに基づいて三菱重工は護衛艦をインドネシアに輸出しようとしており、過去にはミャンマー国軍への輸出構想もあったという。
 そして16年に安倍が「自由で開かれたインド太平洋」を提唱すると、日帝にとって国軍とのパイプの重要性は一層高まった。同年、日経新聞社の英字メディアである日経アジアに、ミャンマーにおける軍事問題の専門家で、国軍に非常に近いとされるミョーマウンアウンという人物が次のように書いている。
 「ミャンマーにとって、日本とのより強い軍事関係は、中国への依存を減らし、武器の購入先を多様化するための努力の一環である」「武器輸出の制限が解除されれば、日本がミャンマーに軍事装備を販売することも可能になる」
 筆者は新潟にある私立大学・国際大学で国際関係学研究科長を務め、日本財団の依頼を受けてミャンマー政府職員などの研修プログラム作成にかかわってきた。この寄稿は「日本の関与は、国軍との軍事協力において圧倒的な存在感をもってきた中国への対抗力となるだろう」と結んでいる。ミャンマー国軍と日本の政府、軍需産業の思惑は一致しているのだ。

日帝打倒こそ最大の連帯

 以上から明らかなように、日帝が望んでいるのは、日本企業が延命するための市場、また中国侵略戦争に向けた重要な拠点としてのミャンマーを、国軍が「安定的に」支配することだ。命がけで「最後の闘い」に立ち上がるミャンマー人民との連帯にかけ、日帝打倒へ全力で闘おう。
 何より、クーデターの2日後に直ちに立ち上がり、職場から市民不服従運動やゼネストを組織して闘いを切り開いてきたのは医療労組をはじめとするミャンマーの労働組合だ。日本で階級的労働運動を復権することこそ、ミャンマー国軍と日帝を打ち倒す道だ。
 そして、この闘いは必ず韓国や香港、台湾をはじめアジア全域で始まった労働者階級の決起と結びつき、アジア革命の突破口を開くものとなる。これは同時に米日帝国主義による中国侵略戦争を阻む力でもある。
 クーデター1周年弾劾の1・29ミャンマー連帯集会、2・1連帯行動をはじめ、街頭・職場で闘いを組織しよう。(佐々木舜)

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関連年表(2021年1~11月)
1~2月 日本ミャンマー協会会長・渡邉秀央がミャンマーを訪問、国軍総司令官ミンアウンフラインと会談
2月1日 国軍がクーデター
  3日 市民不服従運動開始
  5日 国民民主連盟(NLD)の議員らが連邦議会代表委員会(CRPH)結成
3月27日 国軍記念日。国軍がデモ弾圧で100人超虐殺。少数民族地域への空爆開始
4月16日 CRPHが国民統一政府(NUG)を樹立
5月   NUGが国民防衛隊(PDF)の結成を発表
     日本政府が軍政の任命した外交官5人を受け入れ
5~6月 渡邉がミャンマー訪問、ミンアウンフラインと2度会談
8月   ミンアウンフラインが暫定首相就任を宣言
9月   渡邉がミャンマー訪問
9月7日 NUGが蜂起を呼びかけ
11月   笹川陽平日本財団会長がミャンマー訪問、ミンアウンフラインと2度会談

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国軍擁護する日本ミャンマー協会
 日本ミャンマー協会は2011年12月に設立された一般社団法人で、日本政府と財界が一体となってミャンマーへの経済侵略を進めるための機関。内閣副総理・財務相の麻生太郎をはじめとする政治家や元ミャンマー大使らが役員を務め、21年3月時点で日本を代表する大企業137社が加入していた(その後数社が脱退)。
 会長・理事長を務める渡邉秀央は中曽根康弘内閣で内閣官房副長官、宮澤喜一内閣で郵政相を歴任した。中曽根から日本とミャンマーの関係強化を命じられ、1990年から定期的にミャンマーを訪問。以来30年以上にわたり政府や国軍と緊密な関係を築いてきた。国軍総司令官ミンアウンフラインとも直接やりとりする間柄で、面談はこれまでに50回を超える。2人は昨年のクーデター2週間前にも首都ネピドーで会談し、自衛隊と国軍の「協力促進」について話し合ったという。
 クーデター後もミャンマーを2度訪問した渡邉は一貫して「デモは『内乱的騒乱』」とする国軍と同じ立場に立ち、「今回の事態はクーデターではない」「非常事態宣言は憲法に基づいたもの」と主張。日本ミャンマー協会も昨年6月、これに基づく21年度の事業計画・方針案を採択した。在日ミャンマー人たちは繰り返し協会への抗議行動を行っている。

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