沖縄基地撤去!改憲・戦争阻め ゼネスト50年 青年・学生先頭に現地闘争
沖縄基地撤去!改憲・戦争阻め
ゼネスト50年 青年・学生先頭に現地闘争
1971年11・10全島ゼネストから50年目を迎えた沖縄で、11月10、11日の2日にわたり、青年・学生を先頭に現地闘争が闘われた。岸田政権が中国侵略戦争に向けて防衛費2倍化、敵基地攻撃能力の保有、南西諸島のミサイル基地化、辺野古新基地建設、そして改憲へと突き進もうとする中で、その矛盾の最大の集中点=沖縄から改憲・戦争阻止の新たな闘いの狼煙(のろし)が上がった。
那覇市内をデモ
10日午後4時、改憲・戦争阻止!大行進が呼びかける那覇市内デモが行われた。デモ出発に先立ちあいさつに立った全学連の赤嶺知晃委員長(沖縄大学)は、「米軍基地付きの『ペテン的返還』に反対し、返還協定批准阻止を掲げて爆発した11・10ゼネストから50年。私たちに必要なのは50年前を懐かしむことではなく、目の前で切迫する中国侵略戦争を阻止するために闘うことだ」と提起。続いて元全軍労(全沖縄軍労働組合)の宮城盛光さんが「23歳で闘ったゼネストから50年。年はとったがまだまだ元気バリバリです。改憲・戦争阻止、岸田政権打倒、辺野古新基地・南西諸島ミサイル基地化を許さない! 共に闘いましょう」と力強くアピールした。
青年・学生を先頭に国際通りデモに出発。沿道の市民や修学旅行生が一緒にこぶしを上げ、手を振って応援する中、デモ隊は意気高く行進した。地元紙にも写真付きで掲載されるほど大きな注目を集めた。デモ後、参加者は6時30分からのゼネスト50周年集会会場に向かった。(記事3面)
辺野古・勝連へ
11日は早朝から名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で、基地建設用土砂・資材の搬入を阻止する座り込み行動に参加。沖縄県警機動隊の暴力的な排除に対し、青年・学生を先頭に体を張って抗議し、大型ダンプカー50台以上が渋滞するまで闘い抜いた。
辺野古の浜に移動し、大浦湾を背に総括集会を行った。初めて沖縄闘争に参加した学生は、「71年ゼネストの映像では、労働組合や沖大生のデモ隊が機動隊と実力で闘っていた。ああいう闘いを今こそやりたい」と思いを語った。全員で基地建設現場に向けてシュプレヒコールを行い、あらためて辺野古基地建設阻止へ決意を新たにした。
最後に、陸上自衛隊地対艦ミサイル部隊の配備と同部隊連隊本部の設置が計画されている陸自勝連分屯地(うるま市)への抗議・申し入れ行動が行われた。駆け付けた地元うるま市の青年労働者は、「私たちの住む街にミサイル基地を造らせない。そのためにも職場から闘う労働組合をよみがえらせることが必要だ。本土と沖縄が一つになって共に闘いましょう」とアピール。2日間の闘争を締めくくる鮮烈な決意表明に、全員が思いを一つにした。