自衛隊配備と闘う宮古島 住民闘争の歴史受け継ぎ、基地建設と粘り強く対決 在本土沖縄労働者会議 宮里勝博

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週刊『前進』04頁(3215号03面02)(2021/10/18)


自衛隊配備と闘う宮古島
 住民闘争の歴史受け継ぎ、基地建設と粘り強く対決
 在本土沖縄労働者会議 宮里勝博


 今年の5・15闘争前に宮古島を訪問した。18歳までこの島に暮らしていたので帰省かもしれないが、宮古島の自衛隊基地建設状況の調査と反対運動との交流を目的とした訪問だった。
 宮古島への陸上自衛隊のミサイル配備に対して友人たちがそろって言うのは、「軍隊は住民を守らない」であり、いったん戦場になれば「住民には逃げ場がない」ことへの怒りだ。
 千代田カントリークラブ所有のゴルフ場への陸上自衛隊駐屯地建設を巡る収賄容疑で下地敏彦前市長が5月12日に逮捕された直後だけに、怒りが倍増していた。さらに国会審議中の「重要土地調査規制法案」が、沖縄の基地反対運動をつぶすためだという怒りも広がっていた。
 しかし、友人たちの話によると前回の市長選での革新候補分裂のしこりが残っていて「統一行動が取れてない」という。自衛隊の「宣撫(せんぶ)工作」が多岐にわたる一方、先島地方(宮古・八重山地方)への自衛隊基地建設に対する沖縄本島の運動団体の取り組みが弱いとも指摘していた。コロナ禍での「医療チーム派遣」要請などで「自衛隊が『軍隊』ではなく、県の医療体制の脆弱(ぜいじゃく)性を補う『災害等救援』として認識されている」と嘆いていた。
 だが、こうした中で「ミサイル基地はいらない宮古島住民連絡会」は毎週粘り強く地道な反対運動を展開している(写真)。

既成事実に負けず生きるために抵抗

 沖縄には既成事実に負けない住民闘争の歴史がある。宮古島には敗戦後、駐留米軍の通信傍受基地が置かれただけだった。その基地も旧日本軍基地跡地を使用したので沖縄本島のような反基地闘争がなかった。しかし「生きるための」闘争は頻繁にあった。
 1965年、アメリカ占領下で起きた宮古島農民暴動。発端はサトウキビ価格が暴落し製糖会社が経営不振に陥ったことだった。琉球政府は製糖業界の再編を琉球列島米国民政府から要請されていた。宮古列島では宮古製糖と伊良部製糖の2社合併が勧告された。この2社に宮多製糖を加えた3社合併を進めるため、宮古製糖の臨時株主総会が7月24日に予定された。反対派は前日23日から株主総会会場を包囲し座り込みに入った。沖縄本島の琉球警察本部が特設警邏(けいら)隊員30人を派遣、反対派と激突になった。反対派の投石に警察はカービン銃を威嚇(いかく)発砲。警察官34人が負傷、逮捕者26人。後に指導者8人も逮捕され宮古島農民暴動として「騒乱罪」が適用された。
 下地島空港建設反対運動も激しい闘いだった。ジェット旅客機大量輸送に対応するためのパイロット訓練飛行場の早期整備を目指した日本政府・運輸省は68年、米国統治下にあった沖縄の宮古・八重山列島を視察、下地島を候補地に挙げた。69年4月、住民は飛行場誘致に反対し宮古郡民大会を開催。将来、軍事施設に転用されることを懸念した反対派に対し、賛成派・暴力団が襲いかかる事態となった。空港は軍事転用しないとの主旨の屋良覚書が71年8月に琉球政府と日本政府との間で交わされ、72年4月に下地島訓練飛行場は着工された。

労働者階級の団結で戦争を止めよう

 いま陸上自衛隊約10万人を動員した大規模演習が強行され中国侵略戦争への策動が強まっている。「台湾有事」を焦点として宮古・八重山―先島地方での自衛隊基地強化の動きも一層激しくなっている。
 求められているのは戦争を必要とする資本主義・帝国主義を終わらせることだ。労働組合を破壊し労働者を「食うや食わず」の非正規職に突き落としてきた新自由主義を打倒しよう。
 労働者階級の団結と闘争こそ改憲・戦争を止める力だ。岸田政権と対決し自衛隊南西拠点化を許さず、中国侵略戦争を阻止しよう!

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