城戸通隆同志を追悼する 前進編集長として生涯貫き 反帝・反スタ世界革命に貢献 革命的共産主義者同盟全国委員会

週刊『前進』04頁(3213号04面03)(2021/10/04)


城戸通隆同志を追悼する
 前進編集長として生涯貫き
 反帝・反スタ世界革命に貢献
 革命的共産主義者同盟全国委員会


 前進編集長の城戸通隆(山本卓雄)同志が9月1日、肺がんのため逝去した。74歳だった。4日、遺族と友人同志に見守られて荼毘(だび)に付された。
 1965年以来56年間、その人生を反帝・反スターリン主義世界革命に捧げ、その大半を「前進」編集に投入した偉大な同志である。残されたわれわれは、痛恨の思いで追悼するとともに、同志が到達し得なかった革命の事業の完遂のために闘いぬくことを確認したい。
 城戸同志は1946年広島県に生まれ、65年広島大学に進学、学生運動に参加した。68年1月米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港に反対する全学連の闘いの先頭に立ち、逮捕・起訴され佐世保被告団の一員として闘う。68年広島大学自治会総連合委員長となり、69年1月東大安田講堂死守戦では、広島大学の数十人の学生を率いてその先頭に立つ。その後も広島大学全学共闘会議議長として、数々の闘いを担った。
 71年、前進編集局に入る。70年安保・沖縄決戦に対する武装反革命としてのカクマルの襲撃を迎え撃ち、困難をはねのけて機関紙発行体制を死守した。70年代後半、三里塚闘争と動労千葉の取材・報道の中心を担った。三里塚では戸村一作委員長を始め反対同盟の農民と深く交流しその声に耳を傾けた。動労千葉では、79年の動労本部松崎一派による津田沼支部武装襲撃の現場で取材した。「車の両輪」と言われた動労千葉と三里塚反対同盟の闘いの双方に肉薄してその神髄を深くつかみとった。
 80年代前半には、70年闘争弾圧での下獄を経験した。86年に『中曽根の国家改造計画批判』、87年に『鉄道労連打倒宣言』(鉄道労連はJR総連の前身)を前進社から上梓(じょうし)した。94年、前進社ビルが江戸川区に引っ越すのと時を同じくして前進編集長に就任。
 2006年「党の革命」では、編集長として闘いを牽引(けんいん)し、前進編集局が真っ先に「党の革命」を支持する決議を上げた。同年秋の22全総(第22回全国委員会総会)で政治局員に選出された。2016年末、肺がんを発病し、闘病生活に入った。
 前進編集局での同志の50年の歴史は、革命党の機関紙はどうあるべきかを実践的に追求する苦闘の連続だったが、その先頭に立つ同志は、後に続く者への模範だった。
 帝国主義論、中国スターリン主義論、ロシア革命論、共産主義論などで健筆をふるい、城戸通隆のほか、柴垣謙、加波山実などの筆名で重要な論文を発表、革共同の反帝・反スターリン主義革命論を豊富化し、深化する闘いに貢献した。70年闘争後の50年間、革命勝利へ絶えずまっしぐらに突き進んできた存在であった。生涯を通じて革命勝利に全身全霊を捧げ、人生をまっとうした。
 頼りになる革命家だった。編集局ではそのリーダーシップと包容力を発揮して困難に立ち向かった。同志を知る人は、みなその真摯(しんし)さ、ひたむきさに打たれ、限りない信頼を寄せた。
 今日、わが革共同は、27全総の路線のもと、階級的労働運動の組織化をもって新自由主義を打倒し米日帝国主義の中国侵略戦争を阻止する闘いに総決起している。城戸同志の遺志を継ぎ、必ず勝利することを誓う。
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