コロナに立ち向かう団結を 労働組合の団結と闘いこそ感染対策を実現させる力だ
コロナに立ち向かう団結を
労働組合の団結と闘いこそ感染対策を実現させる力だ
日本帝国主義・菅による五輪の破滅的強行は、コロナ感染爆発と医療崩壊を破局的段階に突入させた。全国で膨大な数のコロナ感染者―労働者階級が治療を放棄され、「自宅療養」と称する菅=小池の人民見殺し政策によって重症化と死を強制されている。医療崩壊を放置し続け、オリパラを強行し、自ら破局をつくり出しながら「救える命が救えない状況が生まれている」「災害級」「東京人流5割減を」などと、いったいどの口が言うのか!
新自由主義の攻撃がここまで感染を拡大
現在、第5波と呼ばれる新型コロナウイルス感染症の感染爆発によって日本の医療体制は完全に崩壊し、多くの労働者民衆の命が奪われている。これは、帝国主義の戦争政策によって準備され意識的につくられた人災だ。
関西では5月初めから6月中旬まで「インドを超える世界最悪の死亡率」と呼ばれる感染爆発が起きた。神戸市では介護老人保健施設「サニーヒル」の入所者97人が感染し23人が施設で死亡、門真市の介護施設では40人が感染し13人が死亡した。マスコミでは遺体袋が連日納入される壮絶な職場の現実が暴露されており、現場労働者からは「何もできなかった」という悲痛な声が聞かれた。
こうした「戦時下」のような事態の中で見えてきたのは、コロナ禍は徹頭徹尾、新自由主義攻撃として貫徹されているということだ。
これは抽象的な話ではない。まず何よりも、保健所や公的医療機関の民営化による検査・医療体制の崩壊だ。関西では、PCR検査をしても結果が出るまでに5日かかるという脆弱(ぜいじゃく)な検査体制と、10人に9人は入院できないという絶望的な医療破壊のもと、入院施設・介護施設で感染爆発が相次いで発生した。
また保健所が極限的に減らされてきた結果、休憩時間の時間差取得や口腔(こうこう)内ケア時の感染防護といった基礎的な感染症対策が教訓化されてこなかった。そのため現場には、「これでは感染拡大するのは当たり前」というリアルな感覚があった。
一切を職場の団結と自覚的決起にかける
また、この過程を通して、コロナ対応では労働者の日常的団結がどれほど重要かを痛感した。
検査数の異様な少なさを見ても明らかなように、現在の日帝のコロナ対策の根幹は隠蔽(いんぺい)だ。介護施設でのクラスターは「個人情報」をたてに公表されず、教訓化にとって最も大切な情報共有が極めて困難だった。同じ職場であっても、施設が違えばクラスターが起きていることすら伝わらない。労働組合の団結がなければ、実態の把握すらできないのだ。
こうした中で高槻市では、高槻医療福祉労組がコロナ対応のたびに改善点を総括してきた。そして、コロナ疑いの労働者は直ちに休業させ100%の休業補償を確保すること、コロナ対応をしている職員の宿泊施設として民間ホテルを準備すること、介護施設において1週間に1度の抗原検査を行うこと、コロナ発生時には職場全体を対象に広範な検査を行うことなど、多くの改善を勝ち取っている。医療福祉現場では、多くの現場の声によって定期的な検査を勝ち取っている職場も少なくない。
しかし、注目すべきは「政策」ではなく職場の団結だ。労働者階級の自覚的決起と団結がない限り、いかなる「政策」も意味をなさない。事実、多くの医療福祉現場が極限的な人員不足に直面する中で「検査をして自宅待機になったら困る」と、現場労働者の側から定期検査を拒否するということが起きているのだ。
感染拡大中の医療福祉現場は壮絶だ。団結を奪ってきた新自由主義政策に対して、執行部が烈火のように怒り、現場で抑えつけられている怒りを解放しない限り、「認知症患者の拘束」「ワクチンの強制接種」「トリアージ」といった戦争政治にすらすがりたくなる現実が繰り返される。労働組合が真正面から帝国主義との対決を見据えない限り、即座に「社会防衛論」に転落してしまいかねないのだ。
地区党と産別委員会で目的意識的な議論
だからこそ、全ては党の団結にかかっている。
医療福祉産別ではコロナ危機の中で、地区党で総力を挙げて時代認識を軸とした路線議論をするように転換してきた。あえて言えば、没階級的な「コロナ禍の中で患者をどう守るか」という戦術的思考を捨て、もう一度、職場に階級的団結をつくり出し、全ての悔しさを帝国主義打倒に向かって組織しようということだ。
何よりも重要なのが時代認識だ。新自由主義とは団結破壊攻撃であり、労働組合の団結が一切の焦点であって、労働組合の団結があれば地域医療をよみがえらせコロナ危機に立ち向かうことが可能だとつかんでいった。
中でも、八尾北医療センターの民営化を阻止し、労働組合の自主管理によっていち早く地域でコロナ検査を行い、早期発見・早期治療を始めた実践は決定的に重要だった。関西では、八尾市によるプレハブ建設不許可との攻防を地方委員会の総力を挙げて闘いぬくことで、コロナ危機の本質をつかんでいった。
コロナ禍の中での攻撃を「無能な政治家のおかしな政策」とみるのか、「帝国主義の崩壊局面としての改憲・戦争情勢」とみるのかで方針は全く変わる。感染爆発の中で極限的な現場では、こうしたとらえ方一つが「戦争か革命か」の分岐点とすらなる。そのシビアさを党が自覚し、反撃することが一切の出発点だ。
医療福祉の産別から労働者の総決起を!
コロナ禍の中で、我慢に我慢を重ねてきた医療・福祉労働者が決起を開始している。現在の新自由主義医療に対する根底的な決起である。11・7労働者集会に向けて医療・福祉労働者の総決起をつくりだそう。この秋の「戦争か革命か」をかけた歴史的決戦に攻め上ろう!
(関西 医療福祉労働者・小宮岳人)