アフガン侵略戦争の破産 米帝危機―世界危機を促進 新自由主義終わらせる闘いを
アフガン侵略戦争の破産
米帝危機―世界危機を促進
新自由主義終わらせる闘いを
タリバンによるアフガニスタンの首都カブール制圧、親米かいらい政権の崩壊は、米帝を先頭とした20年に及ぶアフガニスタン・イラク侵略戦争の最後的破産を示した。「反テロ戦争」という名のこの戦争の正体は、帝国主義・新自由主義の延命のための中東・ムスリム地域への新たな侵略戦争の開始であり、国内支配の危機を排外主義的戦争動員で突破しようとした米国内における階級戦争の始まりでもあった。米帝の敗北が明白になった今、アフガニスタンで起きていることは、腐敗し存亡のふちに立つ帝国主義が断末魔の危機にのたうち回っている姿そのものである。新自由主義の歴史的破綻の中で、帝国主義はさらに凶暴な姿をあらわにしてくる。米帝の「アフガン失陥」によって米日帝国主義による中国侵略戦争情勢はますます加速する。労働者階級の改憲・戦争阻止、日帝打倒へ向けた闘いの前進がいよいよ求められている。
かいらい政権が劇的崩壊
8月15日、まだ米軍の撤退作戦が終了していない中、アフガニスタンの首都カブールはタリバンの進攻の前に一気に陥落。政府も政府軍もあっという間に崩壊した。ガニ大統領はカブール市内が大混乱に陥る中で、自分だけさっさと北部国境を越えて逃げ出した。
米帝バイデンが4月に、トランプの撤退計画を早めて8月中の米軍撤退完了という計画を打ち出したことを受けて、タリバンは、5月から全土制圧・首都進攻をめざして動き出していた。これに対して米軍には血を流して首都を防衛する意思はなく、米軍に代わって戦うはずの政府軍は完全に戦意を失っていた。
1975年の米帝のベトナム敗退・サイゴン失陥とそっくりの光景が、映像で全世界に流された。全世界が目にしたのは、最強の帝国主義が超近代的な軍事力にものを言わせて作り上げた虚構の権力が一気に崩れ去る姿である。あのタリバンによって帝国主義がたたき出されることなどありえないと、帝国主義世界が抱いていた勝手な願望は吹き飛んだ。
占領下で進んだ政府と軍の腐敗
みじめな敗北の責任を追及されたバイデンは、「戦う意志のないアフガニスタン政府軍のために米国の兵士の命を危険にさらして戦争を継続することはできない」と開き直っている。2001年に当時のブッシュ米大統領とともにタリバンせん滅のアフガン侵略戦争を決断したブレア元英首相は、「米軍の撤退は犯罪的な誤りだ」とバイデンをののしっているが、米帝と帝国主義全体が明確に、決定的に敗北したという事実は覆らない。
米帝は巨額の金と最先端の軍事技術を使ってアフガニスタンの政府と軍を支えてきたが、それは外国軍占領支配下での政府と軍の途方もない腐敗を生んだ。政権の退廃と社会の崩壊によって深刻化した民衆の貧困は、米軍による無差別爆撃と一体でアフガニスタン人民の苦しみをはてしなく増大させていた。
タリバンによるカブール制圧が何の抵抗も受けなかったのは、それ以前に米軍支配の完全な破綻と、かいらい政権の腐敗と自壊がすでに決定的に進行していたからだ。
米帝をはじめとする国際帝国主義は今、アフガン失陥のみじめな敗北を覆い隠そうと、96〜01年のタリバン政権時に行われた恐怖政治や女性への抑圧を引き合いに出し、戦争を仕掛けた目的は「民主主義」や「女性の権利の防衛」にあったとしている。だがこれはとんでもない大うそだ。
女性の解放を求めて70年代以来あらゆる政権と闘ってきたアフガニスタン女性革命協会(RAWA)は、米軍による占領は「流血、破壊、混乱をもたらしただけ」でなく、「彼らは私たちの国を、とくに女性にとって最も腐敗した、麻薬マフィアが支配する不安定で危険な場所に変えました」と弾劾している。アフガニスタン人民にとっては、米帝をはじめとする帝国主義の巨大な暴力支配と抑圧こそが諸悪の最大の根源である。タリバンも抑圧者であり人民の解放とは絶対に相いれない存在だが、帝国主義者はそれ以上に憎悪と打倒の対象でしかない。
「反テロ」を掲げて大虐殺
米帝と全帝国主義によるアフガニスタン侵略戦争は2001年10月、同年9・11のイスラム武装勢力アルカイダによる反米ゲリラ戦への「報復」として始まった。それは、歴史的にも類例をみない、帝国主義の総力をあげた残虐な侵略戦争であった。米帝と帝国主義全体が、アフガニスタンという国家としての体をもなしていない「国」に襲いかかったのである。
アフガニスタン人民はそれ以前にも70年代から90年代までの20年間、ソ連スターリン主義の侵攻とそれに対する周辺諸国をも巻き込んだムジャヒディン(イスラム民兵組織)の反乱、これに対する帝国主義の介入という形で展望なき泥沼の戦争に引き込まれ、甚大な被害を強制された。そこでの武装勢力と一般人民の犠牲は合わせて200万人を超え、難民は600万人を上回る。
そして01年9・11を契機に、今度は米帝を先頭に全帝国主義が力を結集する形で直接、全面的な侵略戦争を開始し、第二の20年戦争を強制した。それは91年ソ連崩壊後の帝国主義による世界支配秩序の再確立をかけた戦争という性格をもっていた。
そもそも70年代に帝国主義はベトナムと同時に中東支配において大破綻したが、それは第2次大戦後の戦後世界体制が修復不可能の解体的危機に陥ったことを告げるものであった。中東における破綻は、79年のイラン革命と80〜88年のイラン・イラク戦争、79〜89年のアフガニスタンへのソ連軍侵攻とその泥沼化から、さらにイスラム圏全体における反ソ・反共産主義と反帝国主義・反西欧が合体した絶望的反乱=ジハード(聖戦)を生み出した。
これらの全体は、ソ連スターリン主義の崩壊過程を促進するとともに、最末期帝国主義の絶望的延命形態である新自由主義の暴力的展開の一環だった。それは資本主義をグローバルに、そして各国的にももう一度立て直すという衝動にかられた激しさをもっていた。これに対するムスリム人民の怒りが「自爆テロ」という極限的形態をとって爆発し、帝国主義の侵略戦争が「反テロ戦争」として展開されたのはこのような脈絡でのことである。
「反テロ」を掲げたアフガニスタンへの侵略戦争は03年にはフセイン政権転覆のイラク侵略戦争へと拡大し、さらにレバノン、シリアなど中東全域へと拡大した。それは、それ以前をもはるかに上回る破壊と大虐殺の残虐きわまりない戦争となった。9・11後のこの侵略戦争に米帝が費やした戦費は20年間で計6兆4千億㌦(約700兆円)に上る。この反革命戦争に動員された米国内の労働者階級人民の犠牲もすさまじいものとなった。米帝と全帝国主義は、このような「20年戦争」についに敗北したのである。
米帝が育成したタリバンが反旗
タリバンの核になる部分は1994年、ソ連崩壊後の混迷の中、アフガニスタンが混乱の極に陥っている中で、アフガニスタン南部のカンダハルで生まれた。それまでのイスラム武装勢力の無力性や中途半端さ、あるいはその腐敗を激しく断罪したことに特徴がある。タリバンは、パキスタン、サウジアラビア、そして米帝から支援を受けることによって力をつけ、「イスラムの真の復興」を掲げて96年、アフガニスタンで権力を握る勢力となった。
だが、ビンラディンらのアルカイダ勢力が98年アフリカのケニアとタンザニアで米大使館爆破事件を引き起こしたとき、タリバン政権はビンラディン引き渡し要求を拒否して米帝との対立に入った。
米帝の側からいえば、反共と帝国主義の中東支配の維持のために自ら育成した組織が、逆に「イスラムの大義」の名において米帝に敵対する側に回ったのである。
このタリバンが、今や最先端の兵器で武装した強大な帝国主義国家に屈辱的な敗戦を強制するような結果に至ったのだ。この衝撃はきわめて大きい。
中国侵略戦争情勢が加速
アフガニスタンは、中東から中央アジア、中国、またロシアからインドへと広がるユーラシアの中心部にある。イラン、中央アジア、パキスタン、そして中国まで、国境をまたがって住んでいる民族がいくつもある。アフガニスタンの激動は世界を揺るがす。
アフガニスタンにおける帝国主義とりわけ米帝の敗北に対して、中国スターリン主義はタリバンとの関係を深めようとしている。だが中国がアフガニスタンを思い通りにすることは不可能だ。むしろ中国はウイグル問題への波及を恐れ、タリバンにウイグルの武装勢力を支援しないことを約束させようと必死である。
直接に最大の影響を受けるのはパキスタンだ。パキスタンには、タリバンの民族基盤をなすパシュトゥン族が多数住んでいる。パキスタンの激動は、インドにも影響を及ぼす。
ロシアもタリバンとの関係形成を狙っているが、うまくいく見込みはほとんどない。西側で国境を接するイランへの影響も大きい。イラン国境をこえてトルコまでアフガニスタン難民が移動してくることが避けられないとして、イランもトルコも緊張している。
EU諸国とG7は、タリバン政権を早急に承認しないという確認を行い、なんとかしてコントロール下に置こうと必死である。だがアフガニスタンの帝国主義的な再制圧を目指す動きはすべて破綻するであろう。帝国主義はアフガニスタンの経済社会を安定化させる方法をもっていないし、タリバンにそうした政策をとらせることも不可能だ。
帝国主義と中国スターリン主義そしてロシア、またイランやトルコ、サウジなどの中東の地域大国は、根底から揺さぶられ続けることになる。それは、米日帝国主義の中国侵略戦争への踏み込みを引き金として決定的に激化しているグローバルな対立構造をさらに促進する。帝国主義も中国スターリン主義も自分自身の基盤が土台から揺らいでいる以上、米中対決はさらに激烈になる。台湾をめぐる対立や朝鮮半島問題もより激烈な展開となっていく。米帝・米軍は巻き返しの一切をかけて、対中国を軸とする東アジアでの侵略戦争突入への衝動をますますつのらせている。
改憲・戦争へ走る菅政権を倒そう
アフガニスタン危機は、コロナパンデミックや世界大恐慌情勢の進展と重なって、世界に革命情勢をもたらしていく震源地となる。何よりもそれは、現在の世界はもはやこのままでは存続しえないことを突き付けている。
国際帝国主義の中で最も脆弱(ぜいじゃく)な日帝の体制的危機がより激烈に進行することは不可避だ。菅政権はすでに武装した自衛隊機をカブール空港に派遣するなど、改憲・戦争への凶暴な突進を一層強めている。問われているのは日本の階級闘争、日本の労働者階級の闘いだ。
階級的労働運動の発展と反帝・反スターリン主義=革命的共産主義の党が切実に求められている。われわれは、昨年来の必死の闘いの中で、その条件をつかみつつある。確信をもって前進しよう。
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アフガニスタン関連年表
1973年7月 ザヒール・シャー王に対する王政廃止のクーデター。共和制移行
1975年4月 米軍のベトナムからの敗走
1978年8月 PDPA=アフガニスタン人民民主主義党(スターリン主義)タラキ政権樹立
1979年1月 イラン革命
1979年7月 米カーター大統領、反PDPA政府の武装組織への秘密援助供与
9月 タラキ暗殺
1979年12月 ソ連軍、アフガニスタン侵攻
1980年9月 イラン・イラク戦争開始
1981年1月 レーガン政権登場
1988年5月 ソ連軍、アフガン撤退開始
1989年11月 ベルリンの壁崩壊・東欧崩壊
1991年1月 湾岸戦争
12月 ソ連崩壊
1996年9月 タリバン、カブール制圧
1998年8月 クリントン政権、タンザニア等の米大使館襲撃を受け、アフガニスタン攻撃
2001年9月 9・11反米一斉ゲリラ爆発
10月 米軍がアフガニスタン侵略戦争開始
12月 タリバン政権崩壊
2003年3月 イラク侵略戦争開始
2008年9月 リーマンショック(世界金融大恐慌)
2020年2月 トランプ政権とタリバンが米軍撤退で合意
2021年4月 バイデン政権が8月末までの米軍完全撤退表明
8月 タリバンの大攻勢、カブール陥落