「黒い雨」二審も全面勝利 内部被曝を正面から認定

週刊『前進』04頁(3204号03面01)(2021/07/26)


「黒い雨」二審も全面勝利
 内部被曝を正面から認定


 「黒い雨」を巡る控訴審判決が7月14日、広島高裁であり、一審に続き原告側が全面勝訴をかちとりました。広島現地からの報告を掲載します。(編集局)
 原爆投下後に放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた住民ら84人が被爆者と認めるよう求めた訴訟で、広島高裁は7月14日、原告全員に被爆者健康手帳交付を命じた1年前の広島地裁判決を支持、強化し、広島市・県の控訴を棄却しました。判決後に行われた報告会は熱気に包まれ、弁護団、原告団らが喜びを、そして矢ケ崎克馬さん(琉球大名誉教授)、大瀧慈(めぐ)さん(広島大名誉教授)らが今後の被爆補償についての意気込みを語りました。原告84人中14人がすでに亡くなるという長い闘いの先に、ようやく差し込んだ光を見る思いがしました。
 今判決の特に重要な点は、原告はもとより、雨域に関わらず「原爆の放射能による健康被害が起こることが否定できない」人は被爆者であると認め、「科学的な合理性」が必要だとする控訴人の主張を退けた点です。つまり、放射性物質を含んだ空気、水、食物などからの「内部被曝」により健康被害を受けた可能性があれば、国が補償せよ、ということです。しかも一審判決が認定要件としたがんや白血病など11疾病の発症にもとらわれず、「黒い雨」に遭った人を被爆者としました。
 もう一点は、「最新の科学的知見は被害者を救済する方向にこそ活用すべき」とした点です。
 遅きに失したとはいえ、国は交付すべき人に交付してこなかった事実を真摯(しんし)に受け止め、早急に救済範囲を拡大すべきです。現在、国は「黒い雨」雨域拡大の再検討をしていますが、その調査・検討・結果を待っている暇はありません。また昨年、広島市の松井市長は「国の手足になって動かなければならない」と大とぼけで控訴しましたが、法定受託事務とはいえ、行政行為の主体は自治体にあります。民衆の大きな声で何としても上告を断念させましょう。この勝訴は小さな一歩かもしれませんが、長崎「被爆体験者」、原発事故被災者はもちろん世界中の核被害に遭っている方々と共に闘っていきたいと思います。
 今年の8・6ヒロシマ大行動は「私たち99%の未来をつくる反戦・反核・反被ばく」のサブスローガンを掲げています。また、8月5日には「被爆者・堀江壮さん講演会」、「大瀧慈さん講演会」、福島・飛田晋秀さん写真展示などを企画しています。全国からの賛同・ご参加をお待ちしています。(NAZENヒロシマ運営委員・渡子健)

地元の原告らと共に 安芸太田町議会議員 大江厚子さん

 「黒い雨」援護区域拡大を求める運動は、1976年、国が大雨地域のみを「健康診断特例区域」に指定したのに対し、住民が異議の声を上げたのが始まりでした。2年後には各関係地域・自治体で集会や地域拡大を求める国への陳情が行われ、その後、「黒い雨・自宅介護」原爆被害者の会連絡協議会、各地域での黒い雨の会が結成されていきました。それから紆余(うよ)曲折を経て、2015年、集団で原爆健康手帳の申請、却下処分、それを受けて同年、集団訴訟が起こされました。
 昨年、広島地裁は原告84人を被爆者と認定、しかし広島県・市は控訴、そして今年7月14日控訴審判決で、広島高裁は一審判決を維持強化する判決を下し、控訴を棄却、手帳交付を命じました。
 私は、運動が始まった時期にそばにいて、40年近くの時を経て、原告27人が在住する町の議員として運動と再会しました。この間、一般質問で何度も取り上げ、議会だよりで報告していくなかで、住民の方から「自分も黒い雨に遭った。手帳の交付申請をしたい。当時は差別が怖かった」などの話をいただくようになりました。この度の判決は、原爆手帳を諦めていた人への希望となり、原爆の悲惨さを話すきっかけにもなっています。
 高齢となった原告団の皆さんが、弁護団や支援者に支えられながら見事に闘いぬいている姿は、証言をうそだとされたことへの憤りと、真実を明らかにし被爆者援護施策の公平性を求める意思にあふれています。この闘い取った成果を、核廃絶運動、他の被ばく者の医療の権利へつなげることが私たちの責任です。

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黒い雨
 原爆投下後に降った放射性物質を含んだ雨。すすなどを含み黒かったため「黒い雨」と呼ばれている。国は「大雨地域」のみを援護対象区域としているが、高裁は降雨地域はより広いと認定。「黒い雨に遭った人は、被爆者にあたる」とした。

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