パラリンピックも粉砕を 福祉解体し何が「共生」か!
週刊『前進』04頁(3204号02面03)(2021/07/26)
パラリンピックも粉砕を
福祉解体し何が「共生」か!
オリンピック・パラリンピックの開催強行は「平和の祭典」「共生・共助社会の実現」なるうたい文句が大ウソであることを暴き出している。この間、五輪開会式の楽曲担当だったミュージシャンの小山田圭吾が以前、障害のある生徒らに対して暴行・虐待を行っていたことが発覚した。大会組織委は本人の形式的な「謝罪」のみで問題を幕引きにしようとしたが、SNSなどで怒りが爆発し、小山田は辞任に追い込まれた。障害者家族の団体は抗議声明で、オリパラを「楽しめない気持ちになった障害のある人や家族、関係者が多数いる」と弾劾した。この件を見てもパラの本質は明らかだ。オリパラ粉砕、菅打倒へ攻め上ろう。
ルーツは第2次世界大戦
第一に、パラリンピックは帝国主義戦争の産物だ。1948年のロンドン五輪開会日、44年6月の連合軍ノルマンディー上陸作戦での負傷兵受け入れのために建設された英ストーク・マンデビル病院で、両下肢麻痺(まひ)者によるアーチェリー大会が行われた。車いすを用いたスポーツ治療は「残存能力」の維持に「効果的」だとして評価されたが、効果のなかった犠牲者の消息は一向に知られていない。その後、60年にローマで第1回パラリンピックが開催され、88年ソウル大会からは五輪と同施設での開催となった。
戦時下で障害者を抹殺
帝国主義戦争は多くの障害者を生み出し、第1次世界大戦以降、リハビリ治療や整形外科、形成外科(体表面の損傷治療)などの新たな医療技術が発展した。とりわけ敗者となったドイツは、「英雄」ではなく貧困・障害者プロレタリアートとしての傷痍(しょうい)軍人対策を進め、自立訓練・再就労のためのリハビリへと誘導した。
ドイツ革命の敗北によって政権をとったナチスが再びの世界大戦にかじを切るなかで、ナチスは当初「第一の市民」として戦争障害者の取り込みを図ったが、その後、「劣等分子の抹殺」を掲げた障害者大量殺戮(さつりく)計画である「T4作戦」により、39年から45年までの間に20万人以上をガス室で殺害した。国家総動員の戦争体制下、「国益」を掲げて排外主義をあおった先に障害者抹殺と約600万人ものユダヤ人虐殺があったのだ。
差別と分断あおる「祭典」
第二に、パラリンピックは差別と分断をあおる祭典だ。確かにスポーツは万人にとって余暇や生活の糧であり、障害者にとってもリハビリスポーツの意義はあるだろう。しかし、国家主義や勝利至上主義をあおるパラは車いす補装具などの「技術や資本力の五輪」にほかならず、五輪と同様のドーピングや「障害偽造」事件が後を絶たない。今大会でも、障害者からは「パラアスリートは遠い存在」「自分たちとは関係ない別世界の話」との声が上がっている。また、2012年ロンドン大会時の調査では、一般市民の81%がパラに「好感をもった」と評価したのに対し、障害者の59%が、健常者の態度に「変化がない」、22%が「悪化した」と答えた。ある障害者はメディアに「パラリンピックが来ても、みんなスポーツを見るだけで、障害者に助け舟を出してくれる人は少なくなっている」と語った。
福祉破壊したのは政府
そもそも、新自由主義のもとで政府と大資本は社会保障を徹底的に解体してきた。政府が06年に制定した障害者自立支援法は「障害者の尊厳と権利を保障する」という障害者権利条約の国連採択を口実とした福祉解体攻撃だった。民営化で障害者福祉は「サービス」=もうけの対象とされ「障害者の尊厳と権利」は激しく傷つけられた。また福祉労働者の多くが非正規職として低賃金を強いられている。16年の「津久井やまゆり園」事件は民営化の破綻が生み出したものだ。政府はさらに11年の障害者基本法改定で障害者委員を含む政策委員会を設け、「合理的配慮」のみに改革を制限した16年の差別解消法制定など国内法整備を急いだ。13年にはオリパラ東京開催が決定し、15年にはスポーツ庁を新設した。しかし、「共生」キャンペーンとは逆に、障害者に対する差別・分断攻撃は強化されてきた。
「元首」天皇が前面に登場
第三に、オリパラとの闘いは天皇制との闘いそのものだ。五輪憲章は「開催地の国の国家元首」が開会を宣言すると定められ、日本では対外的に天皇が「元首」とされる。また、国内での五輪開催時には天皇が毎回「名誉総裁」に就任してきた。今回ナルヒトは初めて五輪だけでなくパラも含めた名誉総裁となった。宮内庁長官が、ナルヒトが五輪によるコロナ感染拡大を懸念していると「拝察」した件も、狙いは「国民の不安に寄り添う天皇」像の演出と卑劣な責任逃れであり許しがたいものだ。
しかし、障害者はじめ労働者階級人民は一貫してこうした政府や資本、また天皇制への取り込みに立ち向かってきた。これは労働者階級としての団結を回復するための闘いでもあった。
パラの観戦動員阻もう
とりわけ今大会では、パラを利用した露骨な戦争動員攻撃がかけられている。東京都教育委員会は五輪の「学校連携観戦」中止を決定したが、パラについては判断を先送りした。都教委は16年から、全公立学校の児童・生徒ら100万人に「ボランティアマインド」「障害者理解」「スポーツ志向」「日本人としての自覚と誇り」「豊かな国際感覚」の「五つの資質」の育成、「共生・共助社会」の形成を掲げてオリパラ教育を行ってきた。
学校には道徳教科書並みの教材が配布され、都は盛んに「レガシー(遺産)を残そう」と叫ぶ。まさに「学徒動員」世代をつくりだそうというのだ。しかも「障害者理解」を掲げて無償労働・奉仕労働に駆り出し、自助努力を迫る、滅私奉公への道に引きずりこもうとしている。こうした「障害者理解」の先にナチスの障害者虐殺があったことは歴史の教訓だ。
コロナ下で医療崩壊が進む現在、障害者にはとりわけ多くの矛盾が集中している。こうしたなかで強行されるパラ自体が、障害者の生命を危険にさらす「命の選別」にほかならない。
これに対して障害者や家族自身が声を上げ、パラの虚構を暴き出している。津久井やまゆり園での採火式は遺族の反対で中止となり、東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」でのセレブレーションも中止されて無観客の点火セレモニーのみとなった。
国家主義・排外主義の温床オリパラを、労働者民衆の実力闘争で粉砕しよう。
(岩崎泰明)