五輪利用した闘争圧殺許さずアイヌ民族との階級的連帯を
週刊『前進』04頁(3202号04面03)(2021/07/12)
五輪利用した闘争圧殺許さずアイヌ民族との階級的連帯を
「改憲・戦争阻止!大行進」が呼びかける7・23五輪開会式粉砕・菅打倒の闘いに東京・渋谷―全国で総決起し、騒然たる情勢をつくりだそう!
国威発揚のための五輪。この中で日帝・菅はアイヌ民族の取り込みと闘争圧殺の攻撃を強めている。その象徴が7月12日に開業1年を迎える「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(白老町)だ。
ウポポイは菅の肝いりでつくられた。菅は安倍政権の官房長官時代、アイヌ政策推進本部長としてアイヌ民族抑圧の先頭に立った。同時に沖縄・辺野古新基地建設強行の指揮を執った。 しかし、アイヌ民族は先住権の保障を求めて立ち上がっている。アイヌ民族解放は日帝打倒・プロレタリア革命の第一級の課題だ。 民族抑圧は労働者階級を分断し賃金奴隷制を強化する。したがって労働者階級は自らの解放のためにも民族抑圧と闘わなければならない。労働者階級は、あらゆる差別・抑圧と闘うことによって〈労働者階級の特殊的解放を通した全人間の普遍的解放〉という自らの歴史的使命を自覚し、その力を何倍にもするのだ。
五輪とウポポイは一体
昨年7月、北海道新聞は「政府には東京五輪をにらみ、独自の文化を持つアイヌ民族に関する施策が、多様な価値観を尊重する姿勢を国内外にアピールできるとの読みがある」と報じた。つまりウポポイは東京五輪と一体なのだ。菅は「多民族共生」「アイヌ文化の素晴らしさを国内外に発信していきたい」と語るが、その実態はどうか。ウポポイを管轄する萩生田光一文科相は昨年7月10日、「原住民(ママ)と開拓する人の間で価値観の違いがきっとあったと思うが、それを差別という言葉でひとくくりにすることがアイヌ文化の伝承のためにいいかどうか」と言い放った。このように日帝支配階級は和人(=ヤマト民族)による侵略と差別・抑圧の歴史を意図的に抹消する。ウポポイ内の展示も、旧土人保護法(1899年制定)に基づいて北海道開拓使(北海道庁の前身)がシカ猟やサケ漁などを禁止し、狩猟採集民であるアイヌ民族に農業を強制した歴史に触れていない。
多様性を装うためにアイヌ民族を利用し、結局切り捨てる。ここに菅の帝国主義者としての本質が表れている。
アイヌ民族抹殺を図る
1980年代、日帝は新自由主義政策の一環としてアイヌ民族差別を強め助長したが、逆に民族自決を求める闘いが高揚した。特に86年の中曽根康弘首相の「単一民族」発言は、アイヌの人々の怒りと反撃にあい、97年の旧土人保護法廃止とアイヌ文化振興法制定に至った。しかし日帝はなお、領土問題や五輪を使って排外主義を鼓吹し、国威発揚、階級融和、天皇のもとへの国民統合を図っている。「北方領土」(クリル諸島南部)の先住権を主張するアイヌ民族は日帝にとって存在してはならないのだ。
しかし今、アイヌ民族自身が新たな闘いを開始している。
一つは、全国の大学に保管されているアイヌ民族の遺骨の返還運動である。もう一つは、法律の枠組みを越えた一種の実力闘争としてのサケ漁だ。サケ・マスは近世以前のアイヌ民族の主要な食糧であり交易品でもあった。その捕獲権は1878年、明治政府によって強奪された。
一昨年5月施行のアイヌ施策推進法は、アイヌ民族を先住民族と認定したが、資源を含めた先住権は認めていない。この法に基づく交付金は「アイヌの人々の自発的意思の尊重」という基本理念に反し、アイヌ文化の継承者を育てる事業さえ対象から外れる一方で、和人による観光色の濃い事業が認められるなど問題だらけだ。
日帝150年覆す闘い
これに対し、「日帝150年」の侵略と抑圧の歴史をすべて覆すような闘いが開始されている。アイヌ民族解放闘争のこれ以上の発展を恐れる菅は昨年1月、当初予定されていた五輪開会式でのアイヌ民族の伝統舞踊を不採用とした。明治政府によって言語・生活・文化を奪われたアイヌ民族は進学・就職・結婚などの差別にさらされ、貧困を強いられた。それは新自由主義の下でさらに強まっている。これはプロレタリアートの立場から言えば、青年をはじめとする非正規職化と貧困の圧倒的な拡大の中で、アイヌ民族との階級的連帯の可能性がこれまで以上に広がっているということだ。
だからこそ「踏みにじられた万人の解放を目的とする」労働組合が歴史の最前線に登場することが求められている。北海道庁は現在もサケ漁を禁圧する側に道職員を立たせている。教育労働運動の位置も決定的だ。自衛隊にも多数のアイヌ民族がいて、イラクへも派兵された。
東京五輪粉砕、アイヌ民族差別反対、菅打倒を掲げ7・23闘争に立とう。
〔革共同北海道地方委員会〕