「労組なき社会」を許さず反撃を 労働運動再生かけ7・4国鉄集会へ
「労組なき社会」を許さず反撃を
労働運動再生かけ7・4国鉄集会へ
国鉄闘争全国運動が主催する7月3〜4日の集会は、国鉄闘争を軸に労働運動を再生させるために開かれる。菅政権と資本は労組破壊の攻撃をさらに激化させている。全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部への弾圧とJRの「労組なき社会」化の策動はその最先端にある。これは改憲・戦争のためのものでもある。攻撃の凶暴さは労働者の怒りを強め、労働運動復権への意欲を高めている。それを行動に転じる場が7月3〜4日の集会だ。
戦後最大の解雇撤回闘争
1987年の国鉄分割・民営化は、労働運動の破壊を目的に強行された。当時の首相の中曽根康弘は「総評を解体させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」と、その意図を後にあからさまに語っている。労働組合のナショナルセンターだった日本労働組合総評議会と、その中心にあった国鉄労働組合をつぶすため、日本国有鉄道という経営体そのものを解体したのだ。
87年4月、JRが発足した。JRに採用を拒否された国鉄労働者7628人は同日、国鉄清算事業団に送られた。清算事業団が行ったのは労働者への徹底的な侮辱だった。何の業務も与えず机の前に座らせて無為に時間を過ごさせながら、トイレに行くにもいちいち管理職の許可を取らせるなどの嫌がらせがなされた。
90年4月までに再就職先が決まらない清算事業団の労働者は、全員解雇されるとされていた。だが、多くの労働者が鉄道への復帰を求め、転職を拒んだ。解雇を覚悟してのこの決断は、並大抵のことではない。
だが、支配階級にとっても、千人規模の労働者が解雇撤回闘争に立ち上がることは、恐怖の的だった。だから、労働者をいったんJRが採用し、その日のうちに退職させるという和解案で事態を収拾させる動きもあった。国労本部はこれをのもうとしていた。
この策動を吹き飛ばしたのは、清算事業団による解雇に反対して90年3月に動労千葉が貫徹した84時間ストライキだった。現場組合員の怒りに押されて国労本部もストを指令せざるを得ず、和解策動は粉砕された。90年4月、清算事業団は1047名の労働者を解雇、ここから1047名解雇撤回闘争が始まった。
闘う労働運動の結集軸に
以来、この闘争は闘う労働運動の結集軸であり続けた。国家による労組つぶしを許したら、労働運動は成り立たない。その思いで自治体労働者や教育労働者など百万人規模の労働者が国鉄闘争を支えた。それは単なる支援ではなく、連合支配を覆して自分の所属する労組を戦闘的によみがえらせるための闘いだった。
98年5月、東京地裁は解雇撤回を否定する反動判決を出した。これへの怒りと危機感から、同年11月、動労千葉、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械労組港合同による労働者集会が開かれた。3労組共闘が始まった。
国鉄闘争は労働運動再生の火種だ。だから支配階級は、解雇撤回を認めないだけでなく、闘争主体を圧殺することに全力を挙げた。
2000年5、自公ら与党と社民党は「解雇についてJRに法的責任がないことを認める大会決議を上げろ」と国労本部に迫った。4党合意だ。国労本部はこれに応じ、解雇撤回のない金銭解決で闘争を終わらせようとした。被解雇者の国労闘争団はこれに激しく反発した。国労の臨時大会が何度も開かれたが、国労本部は機動隊を導入した異様な大会で4党合意受け入れの方針を押し通した。
闘争団はこれに従わず、旧国鉄を相手とする訴訟を独自に起こした。国労本部は闘争団を統制処分にかけ、これに抗議して大会でビラをまいた組合員を警察に売り渡した。02年5・27臨時大会闘争弾圧だ。
闘争は一直線には進まなかった。10年4月9日、国労本部と対立していた闘争団は、本部とともに政治解決案を受け入れた。解決案には「二度と解雇を争わない」と書かれていた。国鉄闘争は解雇撤回もなく終結を迎える危機にあった。
国鉄闘争全国運動はこれに抗し、同年6月、「国鉄闘争の火を消すな」を合言葉に結成された。断絶の危機を克服し、闘争は新たな陣形のもとに継続された。
不当労働行為認定させる
国鉄闘争全国運動が実現した大きな成果の一つに、動労千葉組合員のJR不採用を不当労働行為と最高裁に認定させた勝利がある。
JR不採用とされた動労千葉組合員12人の名前は、当初はJR採用候補者名簿に記載されていた。だが、「分割・民営化に反対する者は採用するな」というJR総連の反動的突き上げを受けて、停職処分にされた者は名簿から削除するという「不採用基準」が突如作られた。15年6月の最高裁決定は、その不当労働行為性を明確に認定した。最高裁への10万筆の署名が、この勝利の力になった。
さらに、動労千葉・動労総連合は、不採用基準はJR設立委員長の斎藤英四郎(当時、経団連会長)の指示で作られた事実をつかんだ。ならばJRには解雇を撤回する義務がある。
この事実に基づく動労総連合の申し立てに対し、労働委員会は審理も拒否してJRを擁護した。闘争が「勝利まであと一歩」のところにあるからこその反動だ。これと対決し、国鉄集会前日の7月2日には中労委反動命令の取り消しを求める裁判も行われる。
「労組なき社会」づくりの先頭に立つJRで、労組破壊の原点だった国鉄分割・民営化による解雇を撤回させれば、労働運動は全産別で急速によみがえる。7・3〜4集会は、その展望を開くための闘いだ。