団結ひろば 投稿コーナー
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「地域医療交流会」の発展へ
八尾北医療センター労働組合書記長 灰垣美佐子
コロナそしてワクチンを使った支配階級の側からのすさまじい階級戦争ともいえる攻撃の中で、労働組合を軸とした地域医療交流会の発展が勝ちとられています。4月21日、大阪府への申し入れが大成功し、3日後の尼崎闘争で発言した中身を紹介します。
「コロナ感染爆発をつくり出したのは菅や維新・吉村です。国鉄分割・民営化以来40年に及ぶ民営化・外注化、非正規化と差別分断によって医療・保健予防・感染症対策をすべて奪ってきたのです。4月21日、『遺伝子ワクチンではなく公的医療の拡充を!』と大阪府庁前に労組旗を林立させ、2年前に結成した『地域医療交流会』が公然と登場しました。戦後革命の息吹の中、1950~52年、京都市で、大阪・高槻市富田で、八尾市西郡で相次いで住民が立ち上がって診療所を建設しました。その三つの診療所の関係者と労働組合、共鳴する医療従事者で結成したのが地域医療交流会です。約2年間、新自由主義の医療破壊と対決する労働組合の重要さ、労組と住民の団結の大切さをとことん議論しました。
八尾市西郡では、トラコーマの治療、ハエの駆除、ごみ消毒、共同浴場、赤痢予防活動、60年代には労働組合、保健師との共同闘争で水道設置、ポリオワクチンなど、生きるために団結して闘いました。新自由主義40年を経て闘いは私たちに受け継がれ、コロナの検査と治療(につなげる)を行っています。この社会を変えたいと新たな団結と闘いが始まっています」
「ワクチンを打たなければ非国民」のような国家総動員体制が敷かれ、改憲・戦争のための超反動法が国会で成立するという情勢の中で地域医療交流会をますます発展させていきたいと思っています。
汚染水放出反対の大阪デモ
NAZEN関西事務局 遠坂裕夫
5月26日、すべての原発いますぐなくそう!全国会議(NAZEN)関西の仲間50人は、大阪市役所前に集まり、吉村大阪府知事と松井大阪市長が「要請があれば、福島第一原発の処理水を大阪湾に放出する用意がある」と宣言したことを弾劾して、街頭宣伝・集会・デモを行いました。集会では、村山晃代表が基調報告を行いました。
「福島の漁民は、福島第一原発事故で大量の放射能が海洋に流出し、漁が不可能となるなか、この10年必死で生き抜き、闘い抜いてきました。福島第一原発で増え続ける汚染水の責任は政府と東京電力にあります。トリチウムはどんなに薄めても捕食関係を通した生態濃縮によって必ず人間にはね返ります。菅政権の閣議決定と軌を一にして、安倍や稲田、甘利らが『脱炭素』を口実に原発の新増設、建て替えを推進する議員連盟を立ち上げました。これらは福島の闘いを踏みにじるものであり、改憲・戦争、核武装化に向けた攻撃です。菅政権と維新の会の吉村・松井を倒しましょう」
大阪市職の仲間が、松井市長による職員の「4人会食」への処分をちらつかせた調査への市に対する抗議行動を報告。たまたま行われていた松井市長の記者会見で弾劾。慌てる松井の様子に拍手喝采(かっさい)でした。NAZEN八尾の仲間は「コロナ・ワクチンをめぐり、八尾北医療センターの患者さんが『接種するのは不安』と話すと『接種しないの』とまわりから責め立てられた。まるで非国民扱い。福島の『風評被害』キャンペーンと全く同じ」と弾劾しました。
NAZENと労働組合ののぼりをなびかせ、御堂筋を梅田までデモしました。
コロナ解雇補償受け取れず
徳島合同労組 仙田哲也
5月9日のNHK日曜討論で西村経済再生担当大臣は、コロナ補償は「雇用調整助成金に3・4兆円つかい、さらに予算がある。休業補償6千億円、さらに......」と語っていました。いかにもたくさんの補償があるかのようです。
実際、コロナ解雇を受けた仲間と役所に行ってきました。結果、取れたコロナ補償金はゼロ。窓口のサポートを受けてもゼロなのです。持続化給付金は、法人、個人事業主はOKだが、みなし法人は資格なし。雇用調整助成金も事業主に支払われる。労働者申請もOK。だが、「雇用の継続」が前提で、解雇予告を受けた者は不可。やっと見つけたのは、市社会福祉協議会の20万円の緊急融資のみ。
窓口の方から「不正受給したら、こちらも裁判を起こしますから」と警告まがいの説明を受ける。団塊世代の70代の被解雇者にとって、今から就職口を見つけるのも困難だし、3年後の返済はさらに困難です。国から裁判を起こされるリスクを考えると、躊躇(ちゅうちょ)するしかありません。
結局、県庁舎を10階から5階へ、また10階へ、労基署、市役所、職安、また市役所、県社会福祉協議会から市社会福祉協議会へ。組合員3人がゾロゾロたらい回しされた。「これは、1人だったらとっくにあきらめてるな」と苦笑。そのぶん、怒りと団結は鍛えられました。たぶん、ここに革命の現実性があると思います。
住民と共に意見を言い闘う
安芸太田町議会議員 大江厚子
安芸太田町議会議員に当選して、はや2カ月が経ちます。選挙に出るのか、どう闘うのかを皆と考え、やれるすべてをやった選挙でした。私にとって今選挙は4年の議員活動を評価されるものであり、また、大坂正明さんでっち上げ事件に関して、私のでっち上げ詐欺事件を住民の皆さんがどう捉えているかにも関わる事でもありました。当選は、私の政治姿勢への支持であり、励ましであり、期待であると受け止め、一層の責任を感じています。
安芸太田町は広島県北の人口6千人の小さな町ですが、まさに国の縮図、あらゆる問題が起きています。河井金権政治、黒い雨訴訟、大規模風力発電計画、水道事業の県広域化、自治体DX(デジタルトランスフォーメーション)推進施策、米軍戦闘機の低空飛行訓練、人口減少と高齢化、空き家対策、そして何より厳しい財政状況。全ては、地方を切り捨てながら中央が、資本が生き延びるため、この何十年の国の政策がもたらした結果です。
憲法で保障されている地方自治の基本理念(住民自治の原則、国と地方自治体は対等)は置き去りにされています。しかし、地方を荒廃させ、消滅させることは許さないと住民は立ち上がりつつあります。例えば、なぜ、東京の大企業風力発電事業者が、災害の危険性があってもこの町の山に風力発電機を建てるのかと住民が怒り、学習会を持ち、議会や行政に反対の申し入れを行っています。黒い雨訴訟の原告は長い闘いを経て、今控訴審判決を待っています。最近の米軍機による尋常ではない騒音に、いら立ちの声が上がっています。住民の皆さんと共に町行政に意見を言い、そして国の政策に抗(あらが)っていきます。
沖縄闘争に参加して
子ども守る行動に力を感じ
京都大学 麻田 紬
5月14日に沖縄大学で行われた処分撤回集会に参加しました。この日に大音量で芝刈りを行うなど、沖大当局の弾圧の中で約1時間の集会を貫徹しました。集会はキャンパスの中庭で、昼休みに行われましたが、多くの学生が発言に耳を傾けました。夕方には県庁前で街宣を行い、学費無償化を訴えました。
15日には、普天間飛行場の近くにある緑ケ丘保育園を訪問しました。この保育園は4年前に米軍ヘリの部品落下事故に遭い、園長と保護者の方々で事故の真相究明と再発防止を求める嘆願書を出しています。この日は園長先生から事故についてお話をしていただきました。部品は明らかに米軍ヘリのものであるにもかかわらず、米軍はこの部品が米軍機の飛行中に落下したものであることを認めていないことを知り、基地の近くに住む人々はどこまでも切り捨てられていくことを実感しました。同日行われた集会で、事故当時この保育園に子どもを通わせていた保護者の方のお話を聞きました。子どもを守りたいという一心で嘆願書や署名、政府への申し入れ行動を行ってきた保護者の方々の力を感じると同時に、安心して子どもを育てるということが、基地があることでこれほど難しくなるのだと分かりました。部品落下事故については全国紙でも大きく取り上げられていましたが、そのあとの動きについてはほとんど知らなかったので、貴重なお話が聞けてよかったです。
右翼圧倒した那覇市内デモ 神奈川・青年 紙本友樹
5月15~17日の沖縄闘争に参加しました。今回は、15日の那覇市内デモが一番おもしろかった。沖縄の仲間を先頭に県庁前からデモに出発すると、右翼が「日の丸」を持って歩道からヤジを飛ばし、街宣車も大音量で妨害してきました。例年よりも激しい!
しかし、デモ隊も勢いがありました。学生が次々に先頭に出てきて、「戦争反対!基地撤去!」とシュプレヒコール。それを全体で支え団結を固めながら進みました。僕は、沿道でデモを見ている人にビラをまきました。ビラはどんどん受け取られます。それを見た右翼の勢いが下がっていくのもおもしろかった。
右翼の激しさには、4月16日の日米首脳会談から、菅政権が改憲と戦争へ突き進むと転換したことがよく表れていたと思います。
翌日は戦跡めぐりで、ひめゆり平和祈念資料館へ。4月にリニューアルされ、写真では残っていない当時の様子が表現された絵がありました。解散命令後に道に人が倒れている中を南へ逃げて行った絵は印象的でした。ただ、沖縄県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦で、少年・少女を戦争に動員したのも、45年6月18日の解散命令で戦場に放り出して多くの死者を出したのも、日本軍・天皇にこそ責任があるということが印象に残りにくかった。
戦争をさせないということは、自分の国の政府・軍隊と闘うことであると決意をしなおしました。
基地撤去は社会変革の闘い
首都圏・学生 木島悠真
初めて沖縄に行きました。5日間を通じて実感したことは、「基地撤去」の闘いが社会の根底的変革をかけた闘いだということです。基地を必然的に強制する資本主義社会と日本帝国主義を倒す闘いとして、沖縄の反基地闘争が闘われていることが分かりました。
緑ケ丘保育園を訪問し園長さんの講演を聞き、基地が1972年の「返還」以降むしろ強化されていること、基地被害が年々悪化していることを知りました。緑ケ丘で闘っている園児の母親のみなさんも、「返還」後に生まれた世代です。反戦闘争・反基地闘争が今の問題として常に若い世代を担い手としてきたことを実感できました。
デモでは、沖縄の人々の「基地はなくなってほしい」という思いを先頭で表現し、沿道から多くの支持を得ました。
沖縄大学自治会の集会では、「4人に1人が大学をやめる現状変えよう」と訴え続けて不当に処分された自治会の学生に連帯して、全国から学生が集まりました。多くの沖大生が集会の発言に耳を傾けていました。非正規職と貧困を押し付けられた沖縄の怒りはずっとあり、その矛先は基地と日米安保に向かう、と実感できました。
キャンプ・シュワブのゲート前座り込みにも参加。約50人の労働者・学生が土砂搬入のトラックに対する阻止・抗議を行いました。全国の労働者・学生が辺野古の闘いを自分の闘いとして地元で語り、全国に反戦の陣形を拡大しましょう。