団結ひろば 投稿コーナー
団結ひろば 投稿コーナー
5・15沖縄闘争に参加して
「空から降るのは雨だけに」
首都圏・学生 大矢ちか
5月14~17日、沖縄現地闘争へ初参加しました。初日は沖縄大学集会と県庁前学費減免街宣、2日目は改憲・戦争阻止!大行進沖縄などの呼びかけるデモと集会へ、3日目はひめゆり平和祈念資料館をはじめ沖縄県内各地の戦跡や基地を巡り、4日目は辺野古のキャンプ・シュワブゲート前にて基地建設阻止の座り込みに参加しました。いずれも貴重な経験でした。
中でも印象的だったのが、2日目のデモ前に訪れ、集会でも伺った緑ケ丘保育園のお話です。緑ケ丘保育園は世界一危険といわれる普天間基地から約300㍍の位置にあり、2017年12月に米軍機が部品落下事故を起こしています。米軍機は沖縄各地で事故を繰り返しており、「空から降るのは雨だけに」という、ただ安心して暮らしたいという県民の思いは踏みにじられ続けています。「米軍は私たちのことを犬かサルだと思っている」「アメリカでは保護のためコウモリの生息地の上で訓練してはいけないことになっている。私たちはアメリカのコウモリ以下です」という園長さんの言葉が強く印象に残っています。
日帝は沖縄に犠牲を強い続け、日本の国土面積の約0・6%しかない沖縄に米軍施設の7割が押し付けられています。国会議事堂や皇居の横につくれないものを沖縄の保育園や小学校の横につくることを絶対に許してはいけません。戦争もその後の土地のやり取りも結局は国同士、ブルジョワジー同士の利害でしかなくて、そこに実際に生きている人々は常に軽視されるのだということを実感しました。だからこそ支配階級にお願いするのではなく労働者階級全体の実力で現実を変えていくしかありません。私は今回沖縄で学び経験したことを本土で伝え、沖縄闘争への連帯の輪を広げていこうと決意しました。
知り広げなければならない
首都圏・学生 川牧衣澄
初参加でした。沖縄で起こっていることは、日本を「戦争のできる国」へつくりかえるとともにその拠点に沖縄を据える、という一貫した方針の元にあることを強く感じた闘争でした。
最も印象的だったのは、15日の集会での登壇者の方々による「本土の人にも沖縄の問題を知ってほしい」という言葉でした。その言葉の通り、我々本土の人間には沖縄の現状について、一般的なメディアからはほとんど情報がありません。そしてそれは本土だけでなく沖縄の若者も同じなのではと思います。
最近、沖縄の若者を対象にした論文の中で「反・反基地」の感覚を持つ若者が一定数存在するという記述を見ました。反戦の意識が現場ですら薄れていることに危機感を抱くとともに、それを意図的に行う政府に強い怒りを覚えました。沖縄の現状を運動を通して伝えていかねばなりません。
もうひとつ印象的だったことは、「なぜ沖縄が我慢しなければならないのか」という言葉でした。全くその通りです。「平和のため」などという正しいかわからないイデオロギーのために、民衆が犠牲になっていいはずがないのです。民衆と基地は共在し得ない。常に民衆の立場に立脚し、反戦・反基地を貫徹せねばならない。民衆を悲惨な現場に晒(さら)す戦争を絶対に繰り返してはならない。そしてそれを多くの人々に事例をもって伝えていかねばならない。
沖縄闘争で得たこれらの指針を胸に、反戦・改憲阻止を貫徹するとともに、来年はさらに多くの人と沖縄に行きたいと思います。
処分撤回!沖大集会が成功
沖縄大学学生自治会委員長 赤嶺知晃
5月14日の昼休み、私たちはキャンパス中央の中庭で沖大処分撤回集会を行いました。沖大学生自治会委員長である私を先頭に、全国学生が不当処分撤回や学費減免、戦争と基地建設に反対して声を上げ、集会は大成功し、キャンパス中央に処分撤回の声が響き渡りました!
2019年の集会では、沖大当局が集会中に警察を呼んで中庭から学生を排除しましたが、今年は集会に何も手出しをできませんでした。大学当局の弾圧を打ち破れたのは、沖大生の怒りがあったからです。
集会には沖大生からメッセージが寄せられました。「学費を安く! 頑張ってください」「学生としてとてもありがたい取り組みです」などです。
大学を変えたいと声を上げる沖大生の存在が沖大当局に集会を弾圧させない力関係をつくったのです。今回の集会が示したように、大学の圧倒的多数であり主人公である学生が団結して声を上げれば大学は変えられます。集会の成功をバネに処分撤回へ闘います。
そして、本土「復帰」から49年目の5月沖縄闘争が15〜17日の3日間行われました。今年は、1971年の沖縄全島ゼネストから50年目の節目の年でした。
沖縄の労働者民衆が全基地即時撤去を掲げて全島ゼネスト(全社会的なストライキ)を闘ったにも関わらず、日米政府は基地を残したままペテン的な「復帰」を強行しました。沖縄闘争は、この「復帰」に抗議し、全基地撤去、改憲・戦争阻止を求めて毎年闘われてきました。
今年は、学生・青年労働者を先頭に、国際通りデモや集会、戦跡・基地巡りを行い、3日目には辺野古現地で座り込みに参加しました。座り込みの現場に立ち会うことで、全員が実力闘争で基地建設は止められると確信することができました。沖大集会を含め充実した4日間となりました。
「復帰」のペテン改めて痛感
首都圏・学生 柴田一真
沖縄闘争に初めて参加しました。沖縄の戦後史を改めて見つめ直す機会となりました。
私は5・14沖大処分撤回集会にも参加しました。昨年2月に「無許可集会」を理由として処分された沖大学生自治会委員長・赤嶺知晃君の処分撤回を求める集会です。この処分は改悪された集会禁止規則に基づいて下されました。今回の集会で新たな処分を受けるかもしれない。全国から集まった学生が排除されるかもしれない。緊張感を持って集会に臨みました。しかし沖大当局は「集会場の目の前にバスをとめる」「集会場で草刈りを始める」といった妨害(?)しかできず、集会を最後まで打ち抜くことができました。学生の団結で大学当局との力関係を変えたのです。
5月15日からの3日間もまた、圧倒的な勝利感を持って闘い抜きました。直前の街宣でも約200枚のビラがまけました。デモは機動隊と右翼に囲まれながらも、沿道から好意的な反応が多かったのが印象的です。集会、フィールドワークと辺野古座り込みはどれも「復帰」の欺瞞(ぎまん)性を改めて痛感するものでした。沖縄本島の15%の面積を米軍施設が占め、その負担を住民に押し付ける「復帰」はやはり間違っています。
集会で沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」とチーム緑ケ丘の皆さんが「本土の人たちに沖縄の現実を知ってほしい」と語っておられました。百聞は一見にしかずです。本土在住の前進読者の皆さん、ぜひ沖縄現地に足を運んでください。沖縄の怒りと結合して全基地撤去まで闘おう!
米軍依存の沖縄経済に憤り
首都圏・学生 多田颯太
沖縄について、私も含め本土の人は知らなすぎると思います。もっと関心を持ち、心を寄せるためには情報が必要ですが、新聞やテレビでの報道があまりにも少なすぎるのではないでしょうか? 現状が知らされてないこと、また知る努力を怠ってることもある意味差別なのではと思います。
沖縄の経済は米軍の存在に支えられています。そのことが本質的な部分での解決を妨げているのではないでしょうか。言い換えれば、沖縄において(いや日本全体かもしれませんが)ある一定レベルでの貧困状況が維持されていることで、沖縄の基地問題の本質的な解決を妨げる状況がつくり出されていると推察します。政府としては好都合な状況ですが、やはり大きな憤りと怒りを感じます。
辺野古で団結の精神を実感
首都圏・学生 赤井 優
今回の沖縄闘争では、県庁前のデモ、辺野古の米軍ゲート前の座り込みによって基地建設反対、戦争反対の声をあげました。15日に集まった人たちは(おそらく街宣車からヤジを飛ばしてきた右翼も含めて)本土から駆けつけてきた人が多かったため、歴史的な支配―被支配の関係を引き継いでしまうような本土中心の運動のあり方で良いのかと正直不安になりました。
17日は現地の運動を応援する形で座り込みの阻止闘争を行うことができて、連帯=団結の精神で、非常にパワフルな正義への呼びかけがされたと思います。移動中、バスの中で見た基地問題についてのドキュメンタリーの中で、座り込みをしていた住民の方が機動隊から〝ごぼう抜き〟されているシーンがありました。デモは、沖縄の人の生活は使い捨てにできるものではないと自らの身体性を持って訴えるものです。一人ひとりの可傷的な身体が機動隊の前で晒(さら)される中、強制的に、群れ(もしくは数)として人間を引き抜いていく機動隊の暴力は、改めて許しがたいと思いました。
基地建設とめる労働者の力
首都圏・学生 小森 響
今回、沖縄闘争に参加して、様々な体験・学習をさせてもらいました。その中で全体的に感じたことは、本土に復帰して49年が経ちましたが、沖縄はいまだに自治を獲得できてないということです。沖縄の方々の民意が無視される形で、新しく沖縄に基地が造られるということは、本当に米軍や日本帝国主義の横暴だと改めて思いました。
この闘争の中で一番印象に残っているのは、15日に行われたデモです。このデモは、右翼の妨害もあり大変騒がしいデモにはなりましたが、その中でも、特に印象に残っているのは、2階から僕らに向けて手を振ってくれた高齢のおばあさんの姿です。その姿から戦争は繰り返してはいけないという思いが伝わってきました。その様子を見て、僕らの活動には意味があり、沖縄が今強いられている不条理に対し、闘うことこそが未来の沖縄の子どもたちに平和な沖縄を受け渡すために必要なことだと確信を持つことができました。
そして、もう一つ今回の闘争で感じたことは、労働者には力があるということです。それは辺野古のゲート前で座り込みの抗議活動をした時に特に感じました。基地に土砂を運ぶトラックの運転手も労働者であり、団結し、ストライキを起こせば、基地建設は止められるとわかったのです。
来年は本土復帰50年の節目ですので、来年もぜひとも沖縄闘争に参加したいと思います。
決して沖縄を孤立させない
広島大学 小宮山海斗
初の沖縄闘争参加者です。加えて、実は初めての沖縄訪問です。沖縄が戦後、基地と非常に密接な関係にあることを強いられてきたということは知識の上では知っていたのですが、実際に訪問して非常に広大な土地を占拠している基地を見て、改めてその実感がわきました。
計3日間にわたる沖縄闘争を通して、さまざまな問題と闘い続けている多くの人の話を聞き、その闘争に参加させていただくことができました。最も印象に残ったのは、ほとんどすべての人が「自分の場所でこの問題を知らせてくれ」と私たちに訴えていたことでした。
そこで私が考えたのは、「沖縄に連帯する」というのは、単純に沖縄に行って一緒に闘ったり学習会をしたりするこの3日間のことだけを言っているのではない、むしろ、自分の場所に帰ってそこでどれだけ沖縄の問題を訴えられるか、ということの方が真に重要なのではないか、ということです。
沖縄の問題は沖縄の問題、と限局して語るのではなく、それが今の世界情勢、資本主義社会の中で起こっている一つの、しかし最前線の問題であるということを捉えきり、決して沖縄を孤立させない情勢を切り開いていくことこそ本土の人間として目指すべきなのではないか、と考えました。いずれにせよ、本当に多くのことを学んだ3日間でした。
深まった全国学生との団結
広島大学 太田蒼真
5月14~17日の4日間、二度目の沖縄現地闘争に参加しました。14日には沖縄大学で学内集会を行い、大学当局が監視の動員のみならず、芝刈りや企業説明会をバッティングさせ、中庭にバスを横付けし、警察までをも学内に呼び入れるという極悪な妨害を行うなか、集会を貫徹しました。
コロナ禍において学費が学生に満額請求されるという「全国共通」の問題は、基地と貧困が強制されている沖縄ではことさら厳しい問題です。そのなかで全国から学生が集まり昼休憩が終わるまで学費減免を訴えきったのは重要です。例年弾圧によって解散させられていた沖大集会ですが、今年は圧倒的に登場した全国学生に沖大当局は指一本触れることができませんでした。
15日には学生・青年が中心となって元気にデモを打ち抜き、沖縄集会に合流しました。16、17日の現地調査、座り込みも暑さに負けることない熱量で闘いぬきました。なにより全国の学生と交流し、団結を深めることができたのが楽しかったです。
沖縄闘争の階級的な位置づけがますます高まっていることを感じた4日間でした。
コロナ禍によってさらなる貧困・非正規職化が進められているだけではなく、改憲・戦争に突き進む日本帝国主義・菅政権の、生き残りをかけた攻撃の焦点でもあります。自粛を求める一方で基地建設は急ぎ、低空飛行訓練(敵のレーダーをかいくぐるための侵略戦争にむけた訓練!)を増加させているのは、それだけ日米両政府が沖縄に「太平洋の要石」としての役割を求めているということの表れです。
労働者・学生の団結で反戦反核・全基地撤去を闘い取りましょう!
陸自駐屯地に申し入れ行動
岡山 久志本左以志
5月23日、改憲・戦争阻止!大行進岡山は「三軒屋弾薬庫撤去! 日米帝による中国・アジア侵略戦争阻止!」を掲げて集会とデモ行進、三軒屋駐屯地(岡山市)に対する申し入れを行いました。
集会では冒頭、イスラエルによるパレスチナ・ガザ空爆を弾劾し、断固抗議することが確認されました。現時点では「停戦合意」がなされてはいるが、米帝・バイデンはイスラエルの爆撃を容認し、日帝・菅政権も防衛副大臣がイスラエル支持を表明しました。米帝は、イスラエルを中東支配の楔(くさび)として位置づけているのです。
5月11~17日、日米豪仏の共同演習が行われました。洋上演習では自衛隊の護衛艦のほか、各国の輸送艦・ミサイル艦・輸送揚陸艦・強襲揚陸艦が参加、敵地上陸をも視野に演習が行われました。15日からは本格化し、霧島演習場で上陸演習が行われました。
これは、バイデン政権と菅政権の日米共同声明で表明した「自由で開かれたインド・太平洋」の名のもとに、植民地支配・民族抑圧を居直り、アジア、とりわけ中国への侵略戦争に着手したものと見なければなりません。三軒屋駐屯地に対する申し入れでは、沖縄の人々と連帯して闘うことを明らかにしました。
「三軒屋から侵略の武器や軍隊を送り出すな! 兵士は侵略の銃をとるな! 自衛隊は労働者人民に銃を向けるな!」と高らかにシュプレヒコールをあげ、行動を終えました。