無実の大坂正明さんを取り戻そう 6・13東京拘置所包囲デモへ
無実の大坂正明さんを取り戻そう
6・13東京拘置所包囲デモへ
大坂正明さん救援会は、東京労組交流センターと共に、6・13東京拘置所包囲デモを呼びかけています。無実の大坂正明さんの命と健康を守り、取り戻すために、星野文昭さん、奥深山幸男さんの闘いを引き継いで不屈に闘う大坂さんと固く団結し、6・13東拘包囲デモに決起しよう。
大坂さんは、1971年11・14沖縄闘争で「殺人罪」をデッチ上げられ、46年間にわたる指名手配攻撃と闘いぬき、2017年に逮捕・起訴されました。現在東京拘置所で4年間もの長期勾留と闘っています。
大坂さんは無実です。当時、千葉工業大学の学生だった大坂さんは、11・14沖縄闘争に、星野さん、奥深山さんらと共に人生をかけて決起しました。沖縄では、佐藤政権(当時)による沖縄「返還」が米軍基地の強化・固定化であることに反対し、島ぐるみの大闘争が闘いぬかれていました。1970年にはコザ暴動、1971年には2度にわたる全島ゼネストが全軍労を先頭に闘われました。この闘いに連帯し、本土の青年労働者・学生は武器を手に、集会・デモ禁止攻撃の下、全国動員された1万2千の機動隊の暴力弾圧体制をうちやぶり、沖縄返還協定批准阻止を東京・渋谷で闘いぬきました。
この闘いに、自ら打倒されかねない恐怖を感じた国家権力は、機動隊員1人が死亡した件で、大でっち上げ弾圧を強行したのです。
高崎経済大学の星野文昭さんがデモのリーダーであったことから、デモに参加した群馬の学生を無差別に逮捕し、毎日、長時間に及ぶ脅迫的な取り調べを強行し、「星野さんが実行犯」という供述を捏造(ねつぞう)しました。その中で大坂さんも、群馬の学生は面識がなかったにもかかわらず、「大坂さんが殴打した」という供述が捏造され、「実行犯」とされたのです。もとより物証はありません。
そもそも、今から50年も前のでっち上げ事件の裁判など、なりたちようがありません。検察官が狙っているのは、50年前に捏造した「供述調書」をそのまま「証拠」にすることです。「安保・沖縄闘争を闘って、国家の支配を揺るがした者は許さない」という国家意思を、問答無用で強制しようというのです。
時効停止する暴挙
さらに、50年も前の事件でなぜ起訴が時効にならずに強行できたのでしょうか。それは「共犯」とされた奥深山さんが、拘禁症状の発症で訴訟能力がないとされ、公判手続が長く停止されたにもかかわらず、裁判所が奥深山さんを免訴せず、亡くなるまで43年間も裁判にしばりつけたからです。弁護人が免訴を申し立て、主治医も免訴を強く求めたにもかかわらず、裁判所は奥深山さんを裁判から解放せず、病死させたのです。それは、「共犯者」の裁判が続いている間は時効が止まることを利用して、大坂さんの時効を完成させないためでした。労働者人民の人権や命よりも、支配体制の延命のために、憲法も法律も踏みにじる国家権力・裁判所の暴力的本質が明らかです。
星野さん、奥深山さん、大坂さんの半世紀にわたる国家権力との非妥協の闘いは、沖縄闘争の前進、階級的労働運動の発展と一体となって、日本階級闘争の歴史をつくってきました。資本主義が行き詰まり、戦争・改憲攻撃が激化している今こそ、労働者階級の力で11・14でっち上げ弾圧に決着をつけよう。
東拘は治療を行え
大坂さんは71歳。狭い独房に拘禁され、自由を奪われています。昨年には鼻にポリープができて鼻呼吸ができない状態になりました。東京拘置所に2度にわたって手術を要請しましたが認められず、一般的治療薬であるステロイド点鼻薬さえ認められていません。大坂さん救援会は、星野さんの救援会や杉並救援会の仲間と共に、東京拘置所への申し入れを継続して闘っています。治療を求める要望書が全国で集められ、2200通を超えました。
また大坂さんは接見禁止のために、友人と面会や文通ができず、分断と孤立が強制されています。まさに拷問です。
東京拘置所は人間的な医療を行え。人権無視の拷問的処遇を許さない。東拘包囲デモで、大坂さんと堅く団結し、大坂さんを守り抜き、絶対に奪還しよう。
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無実の大坂正明さんを取り戻そう
6・13東京拘置所包囲デモ
6月13日(日)午後1時
小菅万葉公園︵東京拘置所西隣、葛飾区小菅1―35)
主催 大坂正明さん救援会/東京労組交流センター