沖縄―本土を貫き5・15闘争 戦争阻止・全基地撤去へ団結

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週刊『前進』04頁(3195号03面01)(2021/05/24)


沖縄―本土を貫き5・15闘争
 戦争阻止・全基地撤去へ団結

(写真 71年全島ゼネストへ上り詰めた沖縄の闘いを継承し、戦争も基地もない新たな時代を開く決意を固めた【5月15日 那覇市】)

 日米両政府が中国に対する戦争の準備を本格化させる中、日米安保体制の最大の実体をなす沖縄で、本土「復帰」から49年目の5・15闘争が青年労働者・学生を先頭にかちとられた。今年は、本土における70年安保・沖縄闘争の大高揚と一体で闘われた1971年沖縄全島ゼネスト(5・19、11・10)からちょうど50年となる節目の年。辺野古新基地工事の強行やますます激化する事故・騒音・米軍犯罪などの基地被害に対し、渦巻く怒りの声は今や71年をも超えつつある。この怒りの声と固く連帯し、5月15〜17日の沖縄現地行動と一体で改憲・戦争阻止!大行進神奈川の横浜集会・デモ、同三多摩の横田デモも闘われた。

71年ゼネスト超える怒り

 5月15日夕刻、那覇市内デモ(記事1面)を終えた参加者は沖縄青年会館に移動し、「『復帰』49年 沖縄全島ゼネスト50年 5・15沖縄集会」(主催/改憲・戦争阻止!大行進沖縄、共催/国鉄闘争全国運動・沖縄)に合流した。
 集会の司会を国鉄闘争全国運動・沖縄の金城幸男さんが務めた。最初に主催者を代表して改憲・戦争阻止!大行進沖縄呼びかけ人の宮城盛光さんが「辺野古への土砂投入や自衛隊の南西拠点化に対して民衆の阻止闘争が闘われています。共に闘いましょう」とあいさつ。続いて、星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議の星野暁子さん、とめよう戦争への道!百万人署名運動の川添順一さん、動労千葉の中村仁書記次長が連帯あいさつを行った。
 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん、「チーム緑ケ丘1207」の人々、元全駐労マリン支部副委員長の水島満久さんが並んで登壇し、講演を行った。
 沖縄戦の戦没者の遺骨を収集して遺族に返す活動を39年にわたり続けてきた具志堅さんは、「座ったまま落ち着いて話せる内容ではないので」と断り、マイクを持って起立しながら講演を始めた。具志堅さんは、今も多くの戦没者の遺骨が眠る沖縄本島南部の土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに使おうとする防衛省の計画に抗議し、多くの人々に問題を周知するため今年3月に沖縄県庁前でハンガーストライキに立ったことを報告。そして「世の中に間違いと断言できることはそう多くないが、国が今進めている計画は絶対に間違っています。本土でも多くの人に伝えてください」と力を込めて訴えた。
 続いて、普天間基地のある宜野湾市の緑ケ丘保育園に米軍ヘリの部品が落下した2017年12月7日の事故を受け、保護者らが真相究明と再発防止を求めて結成した「チーム緑ケ丘1207」のみなさんが講演。今も米軍機が飛行ルートも守らず、保育園や小学校の上空を平然と飛んでいることに「本当に憤りを感じています」と語り、子どもたちの命が脅かされている現状を切々と訴えた。緑ケ丘保育園の神谷武宏園長は、1959年に起きた宮森小学校米軍機墜落事故の遺族と話した時のことを紹介し、「お母さんの子に対する思いは60年前も今も変わりません。そして米兵の傲慢(ごうまん)さも60年前と変わらず、私たちの命を軽視した米軍機の飛行が続いています。これは沖縄の問題ではなく日本の問題です。そのことをみなさんと共有しながら、共に平和な空をかちとっていきたいと思います」と語った。
 講演の最後に、基地労働者として71年ゼネストを闘った水島さんがマイクを握った。69年2・4ゼネストの挫折を乗り越え、全沖縄軍労働組合(全軍労)の最初の青年部として牧港支部青年部(牧青)を70年2月4日に結成。70年12月のコザ暴動を経て、米軍基地付きのペテン的「沖縄返還」を打ち破る71年5・19、11・10の二度の全島ゼネストへ攻め上った過程を振り返り、「基地労働者が動く時、沖縄闘争が動く」と確信を込めて語った。
 質疑・応答を経て、沖縄大学学生自治会の赤嶺知晃委員長が5・15アピールを読み上げ、団結ガンバローで集会を締めくくった。

新基地を阻む辺野古闘争

(写真 機動隊と対峙し埋め立て土砂の搬入を弾劾【5月17日 米軍キャンプ・シュワブゲート前】)

(写真 抗議のカヌー隊を排除しようとする海上保安庁を、辺野古の浜からシュプレヒコールで弾劾)

 翌16日、全国から集まった労働者・学生は、沖縄戦に動員され多くの女学生が無惨な死を強制された「ひめゆり学徒隊」の悲劇を伝えるひめゆり平和祈念資料館(糸満市)を訪れたり、普天間基地や嘉手納基地を見学。また那覇市内で開催された星野集会や青年労働者交流集会に参加した。
 17日は、早朝から名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に駆けつけ、基地建設阻止の座り込みと抗議行動に参加した。本紙3192号でも報じた通り、現地では「1分1秒でも工事を遅らせる」闘いが続く。この日は、4月以降の全国的なコロナ感染拡大を受けて座り込みの参加人数を制限せざるを得なかったが、これに対して沖縄県警機動隊は感染対策などまったく配慮せず、密集して座り込み参加者を威圧し、体に接触するなどして暴力的な排除を行った。青年・学生を先頭にプラカードを掲げて工事の強行を弾劾し、全員が排除されるまで怒りのシュプレヒコールを続けた。その後は辺野古の浜に移動し、海上抗議行動を闘うカヌー隊にエールを送った。
 2018年12月以来2年5カ月で投入された土砂は、埋め立てを完了するのに必要な量の6%程度にとどまる。さらに大浦湾側に見つかった軟弱地盤(図)の改良には、砂杭7万1千本を海底に打ち込む過去に前例のない大規模工事が必要とされるが、こんな工事が成功する見込みはほとんどない。基地建設計画は完全に破綻している。それにもかかわらず、沖縄の反戦・反基地の意思と闘いを踏みにじり、中国との戦争を構えて日米安保の再編・強化と新基地建設を強行する日米両政府の暴挙に対し、今こそ本土―沖縄が一体となった階級的労働運動・学生運動を拡大すること、そして青年を先頭に実力闘争をよみがえらせることが求められている。多くの参加者がそのことを確信した3日間だった。

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