「尖閣は日本の領土」は大うそ 排外主義で侵略戦争に動員
週刊『前進』04頁(3192号03面03)(2021/04/26)
「尖閣は日本の領土」は大うそ
排外主義で侵略戦争に動員
日本帝国主義・菅政権は釣魚島(日本名「尖閣諸島」)の領有権を主張して中国との軍事衝突の危機を高めている。アメリカ帝国主義・バイデン政権は中国との対決に日帝を動員するため「尖閣諸島は日米安保の適用範囲」と語り、日米安保強化を狙う。実際に石垣島や宮古島のミサイル基地化、沖縄本島の出撃基地化が進行し、中国との軍事的緊張が高まっている。
領土問題は、昔から帝国主義が自国の労働者人民を不正義の侵略戦争に動員する武器として使われてきた。「大事な領土が敵国に奪われていいのか! 国土を守れ!」と排外主義をあおり、国民を戦争体制下に屈服させ動員するのである。そのためなら支配階級は歴史の偽造も虚偽宣伝も平気で行う。これと徹底的に対決しなければならない。
「尖閣諸島は日本の領土」という日本政府の主張には一片の正当性もない。釣魚島は地理的にも歴史的にも中国領土だ。
日清戦争の渦中で中国から略奪
日帝はそれを19世紀末の日清戦争の渦中で、軍事力を背景に略奪したのだ。政府は、「尖閣諸島が無人島であるのみならず、他国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895年1月に閣議決定を行って沖縄県に編入した」と主張する。だがこの閣議決定はまさに、朝鮮・中国に対する日帝の侵略戦争の真っただ中で行われたのだ。
遅れて帝国主義の仲間入りをした天皇制明治国家は初めから凶暴な軍事国家、戦争国家として世界史に登場した。1874年の台湾出兵、75年の朝鮮出兵(江華島事件)、72〜79年の琉球処分(琉球王国を廃止し強制的に日本に統合)。そして94年、朝鮮半島の支配権を狙って清の陸海軍を奇襲攻撃し日清戦争に突入。95年4月の下関条約で清から台湾・澎湖諸島・遼東半島を割譲させた。
この日清戦争末期に行われた釣魚島の日本領土への編入決定は、日帝による他国領土の略奪の本格的開始以外の何ものでもない。そしてその後、日帝は「尖閣諸島」を台湾制圧の拠点とし、朝鮮・中国・アジア全域への侵略戦争と植民地支配に突き進んだ。
72年沖縄返還を機に領有権主張
日本政府が「尖閣は日本領土」と声高に叫び始めたのは、1972年の沖縄返還協定締結の過程だ。68年の国連調査団報告で釣魚島周辺の大陸棚に膨大な海底石油資源の存在が確認されたことが、直接の引き金だった。日帝はここで突如、当時米帝・米軍の支配下にあった沖縄の施政権返還の対象には「尖閣諸島」も含まれると言い出した。これには当然、国際的な抗議が起きた。最も怒ったのは台湾の漁民だ。台湾漁民はこの海域を昔からの漁場として生活し、釣魚島を水の補給や休息、海が荒れた時の避難場所として利用していた(沖縄の漁民は潮流や風の向きが逆になるため漁には来ない)。日本の一方的な領有宣言は彼らの生活の場を暴力的に奪うものだ。台湾民衆は「かつての侵略者・日本帝国主義による再度の略奪を許すな」と叫んで激しい実力抗議闘争に立ち上がった。
この「尖閣諸島」領有宣言と一体で、72年の「返還」に伴い日本政府が真っ先に行ったのが、沖縄への自衛隊配備である。第2次大戦末期の沖縄戦で沖縄の民衆を守らないばかりか、「集団自決」という名の虐殺を行った「天皇の軍隊」が再び沖縄に登場することは、全県民の憤激と抵抗を呼び起こした。それを踏みにじって強行された自衛隊配備は、日米軍事同盟の決定的エスカレーションであると同時に、自衛隊の帝国主義侵略軍隊化への本格的な第一歩だった。日米安保をテコにして日帝自身の軍事大国化、戦争国家化、改憲への道をこじあけようと狙ったのである。
「尖閣諸島の防衛」を国家的課題と言いなす、今日に至る排外主義の大キャンペーンは、まさにここから始まったのである。
全政党の屈服を弾劾して闘おう
今日、米バイデン政権が中国への戦争政策を強める中、日帝・菅政権はマスメディアを総動員して「尖閣防衛」の大宣伝に拍車をかけている。全政党が日帝の領有権主張に丸ごと屈服し加担している。とりわけ日本共産党は恥知らずにも、「日本の領有は歴史的にも正当。日本政府は堂々とその大義を主張すべき」と宣伝し、中国への排外主義をあおる先頭に立っている。日帝による新たな侵略戦争への突進を正当化し、その手先に転落するものだ。断じて許すことはできない。「尖閣諸島」問題を使った米日帝の対中戦争政策と真っ向から対決し、沖縄の最前線出撃基地化、辺野古基地建設を絶対に阻止しよう。戦争に突き進む菅政権打倒、日帝打倒へ闘おう。