三里塚 55年続く「反戦の砦」 農地を武器に国家と対決

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週刊『前進』04頁(3188号02面05)(2021/03/29)


三里塚
 55年続く「反戦の砦」
 農地を武器に国家と対決

(写真 この農地取られてなるか! 市東孝雄さん【左から2人目】ら反対同盟を先頭に空港周辺をデモ。全学連もともに闘う【1月】)

 皆さんは、成田空港がいまだ完成していないことをご存じでしょうか。
 1966年に成田空港の建設が閣議決定された際、千葉県成田市三里塚の農民の土地を空港用地として取り上げることが国によって一方的に通告されました。当時はベトナム戦争の真っただ中で、羽田空港が米軍のチャーター機で手狭になったことから、新たな空港建設が計画されたのです。
 しかもそれは当初から軍事利用を目的としたものでした。地元住民は「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成して地域ぐるみの運動を展開、ここにベトナム反戦闘争や安保闘争を闘う全国の労働者・学生が合流し三里塚は「反戦の砦(とりで)」となりました。以来55年、今もなお空港完成を阻み続けているのです。
 三里塚闘争は、「世の中を変えるのはどんな闘いか」を全国・全世界に示してきました。弾圧や暴力、嫌がらせ、買収工作などに対し、反対同盟は「農地死守・実力闘争・一切の話し合い拒否」の原則を確立して立ち向かいました。そして全学連やさまざまな支援団体との共闘関係、とりわけ同じ千葉県で戦闘的な労働運動を展開する動労千葉と「労農同盟」を確立し、今日まで不屈に闘い抜いてきたのです。
 現在、成田空港は2本の滑走路で運用されていますが、コロナで航空需要が消失した今、空港自体が存亡の危機に立たされています。それでも政府が成田空港を手放さず、農民から土地を取り上げてまで空港拡張を図ろうとしているのは、4千㍍滑走路を持つ成田空港を米軍や自衛隊の兵站(へいたん)基地にしようとしているからです。
 反対同盟員の市東孝雄さんの農地を奪おうとする政府とNAA(成田空港会社)の攻撃は、農民の権利を踏みにじって軍用空港の完成を狙うものであり、絶対に許せません。全国の新入生、学生の皆さんに、三里塚現地に結集し共に闘うことを呼びかけます!
(全学連三里塚現地行動隊)
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