広島 今こそ核・原発の廃絶へ 被爆者の闘い引き継ぎ

週刊『前進』04頁(3188号02面04)(2021/03/29)


広島
 今こそ核・原発の廃絶へ
 被爆者の闘い引き継ぎ

(写真 昨年8月6日朝、広島の原爆ドーム前で開かれた反戦・反核集会。全国各地から350人の学生・青年労働者が結集しデモした)

 広島では、第2次大戦末期の1945年8月6日、アメリカ軍が投下した原爆によって同年末までに約14万人が命を奪われました。家族や友人を失いながら生き残った被爆者たちは、この惨禍を二度と繰り返してはならないとの思いで核廃絶を訴え続けました。この訴えが世界中の人々の共感を呼び、今年1月にはついに核兵器禁止条約が発効するに至りました。被爆者の闘いと願いを引き継ぎ、核廃絶へ共に行動しましょう!
 広島・長崎の被爆者は、戦後しばらくはGHQ(連合国軍総司令部)によるプレス・コードと呼ばれる報道規制で、原爆症について証言したり報道したりすることを禁圧されました。被爆者はこうした規制と闘い、被爆の実相を一つひとつ明らかにしてきました。
 原爆の放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴びたために長い間原爆症に苦しみながら、国によって被爆者と認められてこなかった人も大勢います。その人たちが起こした裁判で昨年7月、ようやく原告全員に被爆者健康手帳の交付を命じる判決が出されました。「黒い雨」訴訟では、爆心地からの距離にかかわらず、放射性物質を体内に吸収したことによる内部被曝がどれほどの健康被害をもたらすかを明らかにしました。
 それは生きるための闘いであるとともに、国の戦争責任を問う闘いであり、核と戦争を二度と許さない闘いそのものです。今年で10年を迎えた3・11福島原発事故もまた、被曝の影響が国によって意図的に過小評価されてきました。子どもの甲状腺がんが200人以上も発生するという重大な命の問題であるにもかかわらず、国や電力会社は原発事故の責任が問われることから逃げ回り、被害を隠そうとしているのです。核戦争を二度と許さず、すべての核・原発を廃絶するために、私たちの世代が立ち上がることが求められています。共に「命を返せ」(原爆詩人・峠三吉)の声をあげましょう!
(マル学同中核派・広島大学支部)
このエントリーをはてなブックマークに追加