3・11反原発福島行動 原発なくせ闘いこれから 全国から600人「終わったことにさせない」
3・11反原発福島行動
原発なくせ闘いこれから
全国から600人「終わったことにさせない」
福島第一原発事故から10年となる3月11日、3・11反原発福島行動21が実行委員会の主催で開催され、郡山市・開成山野外音楽堂には全国から600人が駆けつけた。集会ではJR常磐線を全線開通させて帰還を強制する菅政権に怒りが沸き立ち、「原発事故を『終わったこと』にさせない!」「被曝強制を許さず、さらに闘おう!」「被曝労働拒否で闘う!」の声が福島の空にとどろいた。集会に先立ち、近くで飛田晋秀(しんしゅう)さんの「福島のすがた写真展」と吉沢正巳さんの「希望の牧場・ふくしま写真展」も開催され、多くの人が訪れた。
続く被曝 健康異変も
午後1時、実行委員長で動労福島委員長の橋本光一さんの主催者あいさつで集会が始まった。
まず「10年目の福島 被曝の現実は変わらない」というテーマのトークセッション。冒頭、コーディネーターを務める福島診療所建設委員会代表の佐藤幸子さんが「子どもたちの健康を守るため、これからの10年間活動していきます」と抱負を語った。
元いいたてふぁーむ管理人で、飯舘村の伊藤延由(のぶよし)さんが最初にマイクを握り、「原発事故で放出された放射性物質から出る放射線は避けようがありません。とくに子どもたちは放射線に対する感受性が高いので、守ってあげるのが大人の役目だと思います」と訴えた。さらに、「壊れた福島第一原発構内では1㌔グラム当たり100ベクレル以上に汚染された作業着などの物は危険物として管理されています。でも福島原発から外に出た放射性物質は、8千ベクレル以下は危険物として扱われません」と住民を被曝にさらしている現状を厳しく弾劾した。
そして飯舘村の現状報告に移った。「飯舘村の汚染は大半がセシウム137で、半減期は30年です。飯舘村の平均は4万ベクレルくらいで、元の状態に戻るのに300年かかります」「放射性物質は土壌に沈着して自然の循環サイクルに入りました。取り出すことはできません。キノコは依然として数万ベクレルです。これが原発事故の被害の実態です」と詳細に語り、最後に「10年で原発事故が終わったなどということは決してありません」と語気を強めた。
続いて、写真家で三春町の飛田晋秀さんが報告した。飛田さんは「私は報道カメラマンではなく、職人を撮ってきました。それで被災地を撮ってどうなるのかと悩みました」と切り出し、被災地取材に入る決断の契機を語った。「12年1月に初めて避難区域に入りましたが、最初はシャッターが切れませんでした。そして12年8月に、小学校2年生の女児が私のそばに来て『私、大きくなったらお嫁さんに行けますか?』と聞かれました。『ごめんね』としか言えず、車に戻って号泣しました。その時に『自分に何ができるか、どうしたらいいか』と問いかけ、ライフワークを変えて自分がカメラを持てるうちは被災地、避難者の撮影に行くことにしました」。
さらに被災地の現状をつぶさに伝えた後、「今、帰還困難区域の除染が行われています。警備員がマスクを着けていないので『どうしてですか?』と聞いたところ、『国が、大丈夫だからマスクをしなくていい、と言っている』との答えでした。周りで働いている人もマスクをしていません。『俺らは国・県の言うことを聞いて仕事をやるしかない。俺だけがマスクしたら首になっちゃう』という答えです。これが現実なんです」と怒りをあらわにした。終わりに「10年を境に『原発事故はなかった』とされることを危惧(きぐ)しています。ですから写真と講演で福島の現状を伝えていくつもりです。全国どこでも行きます。声をかけてください」と一段と大きな声で呼びかけた。
最後に、予定されていた小高赤坂病院院長で南相馬市の渡辺瑞也さんが体調不良で参加できないため、ふくしま共同診療所院長の布施幸彦さんが原稿を代読した。渡辺さんは「今、福島で大きな問題は被災者の健康問題です。小児甲状腺がんの多発は明らかですし、事故後に福島では流産、乳児死亡率、周産期死亡率は明らかに増加しているという調査結果が明らかになっています」とし、健康異変についてのさまざまな報告を紹介。そして「ヒロシマ・ナガサキから今年で76年です。昨年、広島地裁は内部被曝を認める判決を出しました。福島は10年です。まだまだこれからです。真実は必ず勝利することを信じて、頑張っていきましょう」と力強く訴えた。
菅政権倒す福島の決意
福島からの胸を打つ発言を受け、参加者の心に福島を終わったことにしようと狙う菅政権への怒りと闘う決意が一層みなぎった。
司会から、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部共同議長のアレックス・ローゼンさんやゴアレーベン核廃棄物処分場建設反対同盟委員長のマーティン・ドナートさんなどからメッセージが寄せられていることが報告され、ローゼンさんのメッセージが読み上げられた。
映画「棘(とげ)」の監督を務めた杉浦弘子さんの紹介でミニコンサートが行われ、美しい歌声と演奏が会場を包んだ。
連帯アピールでは、三里塚空港反対同盟の伊藤信晴さんと宮本麻子さんが登壇し、伊藤さんが市東孝雄さんの「国策に負けず粘り強く闘い続けている皆様に心から敬意を表します。勝利までともに闘いましょう」というメッセージを代読。星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議の星野暁子さんは「原発事故を『なかったこと』にする攻撃に福島の皆さんが『闘いはこれからだ。絶望ではなく希望を組織したい』と言っておられることに共感します。福島を切り捨てオリンピックを強行しようとする菅政権を倒そう」と訴えた。
3月1日に不当判決が出た子ども脱被ばく裁判の原告が特別報告に立ち、「10年過ぎたからといって原発事故は終わっていません。今も続いているんです。何の罪もない子どもたちに、今も無用な被曝をさせているんです」と怒りをほとばしらせ、「本日、仙台高裁への控訴を表明しました」と報告、仙台と全国での強い支援を訴えた。
3・11の巨大地震が発生した2時46分、NAZENふくしま代表の椎名千恵子さんが呼びかけ、地震と大津波、原発事故によって命を奪われた多くの犠牲者に黙とうをささげた。
稲葉隆一さんのサックス演奏に続いて特別報告に戻り、NAZENヒロシマの保科衣羽さんが「黒い雨訴訟」について報告し、「これからも原告団を支援していく」と決意を語った。動労水戸委員長の木村郁夫さんは「組合員の団結をさらに固め、被曝労働拒否の闘いを続けていきます」とアピールした。
「ふくしまの決意」を、希望の牧場・ふくしま代表の吉沢正巳さんと、布施幸彦さんが行い、最後に司会が「集会宣言」を読み上げ、郡山駅前までのデモ行進に力強く出発した。
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3・11集会発言(要旨)
原点に立ち返って国・東電と闘おう
集会実行委員長 橋本光一さん
今日の集会は本来、郡山市総合体育館でやる予定でしたが、2月13日の地震で使用できなくなり、急遽(きゅうきょ)、野外音楽堂に変更した次第です。
今回の地震は震度6という大きな地震でした。今回に限らず、地震のたびに襲われる恐怖感。私たちは、いつまでこんな思いをしなければならないのでしょうか。10年前、東日本全体が壊滅してしまうというぎりぎりの事態。原発2号機の原子炉そのものが爆発寸前のところまでいっていました。今もこの厳しい状況に変わりはありません。
今日の行動を準備する議論の中で「原点に戻ろう」という提起がありました。原発事故への怒り、東電や国に対する怒りをみんなが持っていたはずです。
10年前の原点に立ち返り、福島県の様々な人たち、全国の様々な人たちとつながり、原発のない社会をつくりましょう。
実力行動で原発の時代のりこえよう
希望の牧場・ふくしま代表 吉沢正巳さん
私は10年にわたり、被曝して売れなくなった300頭の牛たちを原発の時代を乗り越えるシンボルとして、国に対する抗議、抵抗、反体制、反権力、反自民のシンボルとして最後まで生かす。この決意で頑張ってきました。
牛たちは長生きします。およそ15年といわれる寿命。牧場のような放牧の環境で飼えば、20年は生きるかもしれません。この牛たちとともに、牛の寿命が尽きるまでに何としても原発の時代を乗り越える。
そのためには何が必要なのか。国民の実力だ。実力がなければ話にならない。長い闘い、決してわれわれは疲れたとか、負けたとか、弱音を吐かない。胸に刻もうじゃないか。私は原発の時代を乗り越えることを生涯のテーマとして、それを胸に刻みながら、その決意でこれからも元気よく闘っていきたいと思います。国民の中に広く深い連帯をつくる。実力をつくる。われわれの決意・行動・力で原発のない未来社会をつくろう。
福島と日本の闘い世界の人々が期待
ふくしま共同診療所院長 布施幸彦さん
この前の月曜日に国際会議に出ました。韓国の国会議員の主催で、日本とロンドンと韓国を結ぶ国際会議です。そこで感じたのは、世界は福島の闘いに期待しているということです。
本当に全世界の心ある人は、福島が、日本が原発をなくす先頭に立ってくれるよう期待しています。そして福島の人々、日本の人々を本当に心配しています。それに応えるのはわれわれの責務です。さっき吉沢さんが言われたように、われわれがやるしか世界から原発をなくす道はないんです。そのために頑張っていきたいと思います。