団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3186号04面02)(2021/03/15)


団結ひろば 投稿コーナー

飯舘村民が語る福島の10年
 NAZENにいがた 山口元子

 2月28日、新潟市中央区で、NAZENにいがたが呼びかける「原発事故から10年目のふくしま」の講演会を開催しました。当初、写真家の飛田晋秀さんのスライド上映とトークを予定していましたが、事情で来れなくなり、福島県飯舘村に住んでいる伊藤延由さんに来ていただきました。何と伊藤さんは新潟市出身で実家もあるとのことです。
 2回の講演に計70人が参加。新潟日報も取材に訪れ、「10年目のふくしま」に注目と関心が集まっています。伊藤さんは「原発事故は飯舘村に何をもたらしたか?」と題して、1時間の講演をしました。
 2009年から飯舘村に住み始め、翌年は農業研修を行いました。「この年は人生最高の時間」と伊藤さんは語ります。原発事故が起こって事態が一変します。土壌や農作物、大気中の放射線量を測り続けてきたデータが豊富に提示され、非常にわかりやすいお話でした。軽快で、説得的な話し方の中に、国と東電への根底的な怒りがにじみ出ています。情報隠しや「安全のスリコミ」、理由を告げずの避難指示。そして損害賠償の枠組み自体が加害者(東京電力)中心であることなど。いまだ多くの問題があることを知りました。
 新潟に避難している方も参加し、「福島の人は人がいい。もっと声を上げなければ」と訴えました。今回の企画に協力してくれた人たちも「福島の実態が聞けてよかった」「柏崎刈羽は他人事ではない、再稼働を絶対に止めなければ」と感想を語っていました。
 不祥事のオンパレード・柏崎刈羽原発。東電に原発を動かす資格はありません。福島と連帯し、絶対に柏崎刈羽原発再稼働を止めたいと決意をあらたにした集会でした。

反原発・福島連帯掲げデモ
 改憲・戦争阻止!大行進 神奈川S

 2月23日、神奈川県茅ケ崎市内で改憲・戦争阻止!大行進神奈川が呼びかけて「3・11福島原発事故から10年 避難・保養・医療の現状を問う」と題する集会と反原発・福島連帯を掲げたデモを行いました。
 「福島を再び繰り返すな!」という固い決意で新たに参加される方も多数いました。7台もの右翼街宣車がデモ隊にがなり続ける妨害をものともせず、街頭の圧倒的な注目の中で毅然(きぜん)とデモをやり抜きました。3・11原発事故への怒りを改めて確認し、3・11反原発福島行動に向けて決意を固める行動となりました。
 平塚市内で保養活動を行う小嶋倫子さんが紹介した福島のお母さんの言葉は、原発事故は決して終わっていないこと、そしてこの10年の重みを全参加者に訴えるものとなりました。
 集会では、さがみ生協病院の医師・牛山元美さんによる講演、「ふくかな(福島かながわ訴訟)」原告団長の村田弘さんと前述の小嶋さんによる特別報告がありました。
 牛山さんは、2019年、福島の県民健康調査検討委員会が委員半数の反対意見を無視して「被曝と甲状腺がんは関連がない」と発表したこと、国際がん研究機関(IARC)が「次の原発事故時に甲状腺エコー検診を勧めない」と被曝の隠ぺいを宣言したことを怒りをもって報告するとともに、コロナ禍とも重ねて生きることを大切にする社会の必要性を訴えました。
 村田さんは、津波対策をサボタージュした東京電力、規制責任を放棄した原子力規制委員会と一体となった司法が「棄民」政策の先兵となっている実態を暴きました。
 原発事故は何も終わっていません。3・11は新自由主義がもたらした社会崩壊の現実そのものです。そして私たち一人ひとりの生き方を問いました。この原点に立ち返り、3・11郡山に職場・地域から集まることを誓い合いました。

動労西日本、春闘行動に立つ
 動労西日本近畿支部書記 遠坂裕夫

 3月3日、動労西日本はJR西日本本社(大阪市北区)前に登場して、「21春闘勝利! 3・13ダイヤ改悪反対! 雇用破壊と地方切り捨てを許すな!」と訴えました。
 昼休みのオフィス街には労働者が行き交い、通行人の多くが組合のアピールに注目していました。満を持して12時に本社前に組合員・支援の仲間25人が布陣。慌てた会社は、玄関ゲートを閉めて警備員まで配置してきました。
 その中で、大江照己委員長をはじめ組合員が、本社の社屋や周辺にいるJRグループの労働者に向けて「ともに闘おう!」と熱烈に訴えました。
 また、支援の関西地区生コン支部や関西合同労組の仲間も激励の連帯アピールを寄せてくれました。
 午後3時からは大阪府庁記者クラブで、JR西日本メンテックで高槻駅構内の車両清掃に従事し過労死させられた組合員への不当労働行為に関して、記者会見を行いました。
 会見では、2月16日に大阪府労働委員会に不当労働行為の申し立てを行ったことを訴えました。新聞社とTV局が合わせて7社出席し、熱心な質問が続きました。過労死への怒りが社会に広がっていることを改めて実感しました。

友人の解雇阻止へ80歳奔走
 合同労組 S

 Aさんはめでたく80歳。家庭菜園で甘い白菜づくりに精を出していた。ところが、70代の友人が「コロナ打撃を理由に3月末に、1年更新の非正規の仕事を雇い止めになる。年金だけでは生活できない。70代で次に雇ってくれるところもありそうにない」と言うのを聞いて、今奔走している。マグロ船団で鍛えた体で、職安に市役所に乗り込んでいく。
 使用者側は、「経済がだんだん悪くなってきていたところにコロナで打撃を受けた。この売り上げでは金が無い」の一点ばりだ。
 2020年4月、5月に「前進」が暴露した「安倍と電通、パソナの持続化給付金の再委託の問題」が、1年後の今、労働者の生活を直撃する。
 持続化給付金は、法人登記をしていない零細の「みなし法人」は受け付けさえ拒否される。
 高齢者雇用継続の助成金も就業規則が無ければアウト。たらいまわしで半日潰れた。問い合わせコールセンターの若い男性は「こちらは委託で、判断権限はありません」との対応だった。
 Aさんいわく。「団体交渉して初めて分かった。総理はコロナ対策のためというが、このセーフティーネットは困っている人ほどひっかからないように作られている。戦後直後の混乱とソックリだ。法は資本家のためにある。わしら労働者が生活できるようになったら、資本家なんて要らんようになるからなぁ(笑)」
 労働者階級の時代認識がここにあった。そして、ここから労働者の「生きぬくための反撃」が始まる。

鈴コンの善さんを偲び集う
 東京西部ユニオン 北島邦彦

 2月23日、東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会3代目分会長・鈴木善弘さん(善さん)を偲(しの)ぶ会が、善さんが働いてきた職場に近いホールで開かれました。ご遺族をはじめ50人の仲間が集まり、全国から多くのメッセージが寄せられました。
 善さんの職場からは組合員だけでなく、かつて組合からは袂(たもと)を分かった仲間も参加しました。善さんがいかに職場の労働者から信頼されていたことか! 近所の立ち飲み屋で知り合った友人も出席しており、善さんの人懐っこい人柄がにじみ出ています。組合員からは、職場における新たな団結形成の始まりが、善さんの遺影に報告されました。
 生前の善さんの姿をまとめた15分ほどのビデオが映写され、常にユーモアと明るさを忘れず、どんな逆境にあっても力強い善さんの姿に、「労働者魂ここにあり!」と感動を覚えます。闘いの支援要請にとどまらず、階級的労働運動を前進させる闘いの最先頭に立ち続けた姿が鮮明です。
 支援・連帯共闘会議の呼びかけ人からも、世田谷地区労顧問・花輪不二男さん、スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合副委員長・山川博康さんのメッセージ。そして、国鉄千葉動力車労働組合OB会会長・永田雅章さんからは、「善さんの闘いをみずからの闘いとして引き継いでいくことだ」と、善さんを偲ぶことの核心が語られました。
 ご遺族からのお礼をもって会を締め、しめやかな中にも力強く元気づけられる偲ぶ会となりました。

杉井医師の講演会が大成功
 山梨 織田三郎

 放射能から福島の子どもたちを守る山梨の会、とめよう戦争への道!百万人署名運動・山梨連絡会、同・郡内地区連絡会、山梨合同労働組合の4団体は2月28日、甲府市内でふくしま共同診療所医師・杉井吉彦さんの講演会を開催した。視聴覚室をほぼ満員にする30人ほどが集まり、大成功した。
 杉井さんは「原発事故から10年ではなく、原発事故は10年間ずっと続いている」と強調した。特に福島で深刻になっている小児甲状腺がんの多発について、政府が「原発事故の影響ではない」とするために様々な言い訳を用意し、それが事実によってことごとく粉砕されると、今度は「数字が出ないようにするために、検査をやめてしまえ」と言い出して、実行し始めていることを弾劾した。
 そして最後に、「私たちは何かやらなければならないから診療所を建設したが、この小さな診療所でやれることはたかが知れている」と語り、「本当は国の責任で福島の子どもたちの命を守らなければならない」と訴えて講演を締めくくった。
 参加者から、「保養活動を再開したいが、コロナとの関係でどのように考えたらいいのか」など、積極的な質問が出た。福島第一原発事故への市民の関心が依然として高いことを確信させる講演会だった。

千葉刑に受刑者釈放を要求
 迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会事務局 内藤雄二

 2月4日の横浜刑務所に続いて、24日、千葉刑務所に対する申し入れを行いました。救援連絡センターのよびかけに各救援団体が応え、15人が集まりました。
 今、日本の刑事施設、入管収容所などで、新型コロナウイルス感染が広がり、被収容者の命が危険にさらされています。横浜刑務所では106人が感染する大クラスターが発生しましたが、千葉刑務所でも、それに次ぐ93人の大クラスターが発生しています。
 今回の連続行動の直接の契機は獄中の須賀武敏さんからのコロナクラスター状況下での処遇実態のリアルな告発です。菅政権・法務省・収容施設当局が被収容者の命と人権をないがしろにし危険にさらしている現状への怒りをもって千葉刑務所を追及しました。
 千葉刑務所はすべての門を閉鎖し、重警備態勢を敷いていましたが、対応した庶務課長・姫田某は終始平身低頭で、いかに法務省・刑務所当局が社会的に追い詰められているかを如実に示しました。この間の新聞報道にも戦々恐々としていたのではないでしょうか。 申し入れ前には、敷地内での撮影は禁止だの、ウロウロするのはやめろだの高飛車な態度だった警備官らが、力関係が変わった最後頃にはシュプレヒコールや写真撮影に何も言えず、うつむくばかりでした。闘えば変えられるのです。
 私たちの核心的要求は「すべての受刑者の釈放を」です。当局はクラスターの責任を取り、在所するすべての人のPCR検査を実施し、感染していない人を釈放すべきです。また私たちは▼こんなコロナ情勢下、オリンピックどころではない▼感染受刑者のためにオリンピック選手村を開放せよ▼関連予算のすべてを労働者民衆の休業補償、生活保障、コロナ感染対策に回せと要求しています。さらに追撃しましょう!

訪問重ねた友人が絵画展に
 東北・労働者 KY

 この間、知り合いを集会や絵画展に誘っています。先日の星野絵画展には5人もの方が見に来てくれました。仕事をやっていた時の同僚や営業でお世話になった方々です。
 「絵がきれいで、来てよかった」「思いがけないものを見せてもらった。星野さんは苦労した人なんだね」「病気で気がめいっていたが、いい気分転換になった」と好意的でした。
 私は数年前に仕事を引退しました。その後、家族を亡くしたり、体調を崩し入院したりと、あまり順調な生活ではありません。活動といっても、特にこのテーマを中心にやるということもありませんでした。何かやらなければという思いがあっても、何からやるべきか悩んでいました。
 昔からの知り合いを訪ねようと思い立ったのは、昨年の夏以降です。自分の体調と相談しながら、少しずつ訪問を続けていきました。
 お茶飲み話をし、署名をお願いしたりしてきました。1月は大雪で「わざわざ来てくれたの?」と驚かれ、感動されました。
 1回にたくさんの話ができるわけではありません。でも、そうした積み重ねが先日の絵画展への参加につながったと思います。
 私は70年闘争から活動していますが、そういえば昔も「1人の人をオルグするのに1、2年掛けていた」ことを思い出しました。政治的関心があまりない人に対しても意識して働きかけていく、それが活動の基本だとつくづく思います。

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