3・11福島を闘おう 三里塚・星野さんと共に歩んだこの10年

週刊『前進』04頁(3185号04面02)(2021/03/08)


3・11福島を闘おう
 三里塚・星野さんと共に歩んだこの10年


 2月13日深夜、福島・宮城を震度6強の地震が襲った。激しい揺れが長く続き、物が落ちるだけでなく建物の被害もあり、誰もが10年前の大地震を思い出した。
 福島県内では16日までに負傷者93人、建物被害2034棟に上り、東北新幹線も止まり常磐道も土砂崩れにあった。隣の宮城県でも大きな被害が出ている。「原発は大丈夫か?」。皆このことがよぎったという。「今のところ大丈夫」という政府も信用ならない。実際、あとになって「実は汚染水タンクの水が漏れている」と報道されている。
 この10年の日々を振り返った時、私には三里塚芝山連合空港反対同盟と星野文昭さんと共に闘ってきたことと、その存在はきわめて大きいと断言できる。
 あの2011年3・11原発事故直後、私たちの生活や環境が激変し、被曝の恐怖にさらされていた4月初めには、三里塚の萩原進さんが反対同盟からの野菜と多額のカンパをもって駆け付け励ましてくれた。
 それから反対同盟と全国の闘う農民たちが福島に集まり、全国農民会議を結成。2012年3月11日に郡山市開成山球場で開催された反原発大集会にも反対同盟先頭に全国の農民たちが参加し、デモを闘った。その後も毎年、三里塚反対同盟は市東さん、萩原さんをはじめ3・11集会に参加し、全国の仲間と共に闘っている。市東さんの農地取り上げを全国の力で阻止しよう。
 また、星野文昭さんは原発事故直後、特別発信の許可を取って福島・星野文昭さんを取り戻す会会員を通じて私たち福島の人々に激励のメッセージだけでなく、更に自らの作業報奨金からカンパまで寄せてくれた。その後も星野さんは福島の人々に心を寄せ、その風景や子どもたちを描き、全国の絵画展では福島から各地に避難された方々がその絵に感激し勇気づけられたと聞いている。私たちも星野さんの釈放を願って徳島や高松での集会・デモに駆け付けた。その星野さんが徳島刑務所と東日本成人矯正医療センターによって殺された。こんなことは絶対に許せない。何としても国賠裁判に勝利し、国の責任を徹底的に追及しよう。
 今、全世界で労働者人民の闘いが爆発している。コロナ禍で「生きさせろ」の闘いは日本でも間違いなく爆発するだろう! すでに私たちの進むべき道は三里塚と星野さんの闘いが指し示している。共に10年目の3・11を闘いましょう。
(福島・農民 柳沢幹男)
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