焦点 トリアージ 命の選別を正当化する戦場の論理

週刊『前進』04頁(3185号03面04)(2021/03/08)


焦点
 トリアージ
 命の選別を正当化する戦場の論理


 新型コロナウイルス感染症のパンデミックのもと、日常的に耳にするようになった「トリアージ」について共に考えたい。
 トリアージという言葉はフランス語の「選別する」という動詞に由来する。18世紀末のナポレオン戦争の際、戦力として前線に復帰できる負傷兵を優先的に治療することを目的とした戦時医療の概念として用いられるようになった。現在、災害救援や救急医療などの現場で行われるトリアージは、傷病者を①最優先治療群、②待機的治療群、③保留群、④無呼吸群・死亡群に振り分け、赤・黄・緑・黒のタグを付ける措置を指す。

「やむをえない」はウソ

 コロナ禍のなか、各国政府は人工呼吸器の不足などの事態を受けて、コロナ感染者に対してトリアージの考え方を適用するよう求めた。現場で何が起きているのか。
 イギリスでは、国立機関が「障害者のように身の回りのケアを他人に頼る人は優先順位が下がる」とする治療のガイドラインを作成した。イタリアの集中治療学会は「選別(基準)は残りの寿命。年齢や障害の有無で判断すべき」との提言を出した。そしてオランダでは福祉担当大臣がなんと「70歳以上の国民は社会の役に立たないから後回しに」と述べ、全人民の怒りの的となった。
 日本の医療現場でも、一定の年齢以上の患者に人工呼吸器を使用させないよう求める指導が行われているという。また多くの感染者が入院できずに自宅やホテルで死亡する一方、石原伸晃ら自民党議員の多くは即座に入院している。
 トリアージの本質がここに示されている。それは決して「できるだけ多くの人々に最善の治療を施すための、やむをえない措置」などではない。患者が「国家」や「社会」の「役に立つ」かどうかを基準に命を選別する行為に他ならないのだ。政府・資本が基準とするのは、「戦力」あるいは「労働力」としての価値だ。こうしたことはコロナ以前から行われてきた。ゆえに昨年4月には、複数の障害者団体がコロナ対策をめぐり「障害を理由とした命の選別を行わないこと」などを求める要望書を前首相・安倍に提出している。
 何より、「医療資源には限りがある」「全員を救うことはできない」という前提をこそ問わなければならない。新自由主義のもとで各国政府は医療費を削減し、医療機関を民営化してきた。新たな感染症のパンデミックが予見されていながら、「経営効率」を最優先して感染症病床や保健所を削減し続けてきた結果として現在の医療崩壊があるのだ。

労働者の団結が命守る

 社会保障としての医療を解体し金もうけの道具にしてきた政府が、「仕方のないこと」であるかのようにトリアージを語ること自体がふざけきっている。「現場の負担軽減」を語ってトリアージの基準策定を求める田中良杉並区長の発言は言語道断だ。コロナ禍のなかで命がけで働く医療労働者に対して「生かす命」と「切り捨てる命」との選別が強制されることなど、絶対に許してはならない。
 これは現場の医療労働者の誇りを踏みにじるだけではない。医療の性格を根本から転換させ、命に優劣をつける優生思想に直結する攻撃だ。いま必要なのはトリアージではなく、労働者民衆にとって「戦場」と化した社会を変革することだ。すべての人の命を守る医療を実現する力は、労働組合に団結して闘う労働者のなかにある。
このエントリーをはてなブックマークに追加