都立病院独法化阻止を 2・21集会&デモに熱い共感
都立病院独法化阻止を
2・21集会&デモに熱い共感
「ほら、上を見て」という声に、都立墨東病院近くの幹線道路に立つマンションを見上げると、「都立病院をつぶすな」ノボリを林立させたデモ隊に大きく手を振る人たちがあちこちにいました。こんなことは3・11直後のフクシマ行動以来。沿道を行く誰もが「都立病院の独立行政法人化反対!」と意思表示をしているのです。都に提出した7814筆の反対署名の約半数がこの地域から集まった。地域の力です。胸が熱くなりました。
デモに先立ち、錦糸町駅前の「都立病院なくすな集会」会場には、コロナで多くの集会が「自粛」するなか、200人の定員を上回る勢いで多くの参加者が詰めかけました。
山田真医師は「世界に有名なほどベッドが多い日本で、どうして医療崩壊が起こるのか。それは日本の医療の体系がゆがんでいるから。そこを根本的に変えないとコロナ感染と同じようなことが何度でも起こる」と切り出し、小児科医として都立小児病院つぶし反対の地域運動を闘ってきた経験を語られた。美濃部都政時代に都立病院が建て直された背景には東大医学部などでの闘争があったという歴史も語られ、医療・自治体労働者と住民の力で都立病院独法化を止める共同の決意の基となりました。
昨年2波のストライキを打ち抜いて反響を呼んだ病院労組の委員長は「民間病院の私たちが『医療は社会保障だ』を掲げてこれだけの反響があった。都立病院の労働者が『公的医療を守れ』と闘ったら、社会を変えることができる」と発言。書記長は「看護師の日雇い派遣」を厚労省が認めたことを弾劾し、医療を金もうけの道具に変えてはならないと強く訴えました。
基調報告で根岸病院の看護師・徳永健生さんは「署名運動が東京都を揺さぶっている。22年度中の独法化を阻止しよう」と訴えました。保健所の職員は極限的な労働強化に対し職場有志で要請書を出したことを報告し、都営地下鉄の労働者は「東京の公務員組合=都労連の解体を許してはならない」と、小池都知事による都立病院独法化の狙いの核心を突き出しました。
生き生きとした発言のすべてがコロナと闘う現場労働者からのものでした。この集会が、呼びかけ人を中心に「都立病院つぶしは自分たちの問題だ」との共同意思から産別や公立・私立の違いを越えて実現したことを示すものです。その核心に、動労千葉、港合同、関西生コン支部を共同代表とする労組交流センターの発展をかけて、東京労組交流センター自治体労働者部会と医療福祉労働者部会が都立病院闘争を全都をあげた闘いとすべく議論を重ねてきたことがあります。
コロナ感染拡大の中での、小池都知事による都立・公社14病院の独法化方針決定から約1年。コロナ禍で公立病院を解体し新自由主義医療を進めることへの怒りが噴出しています。この集会とデモは、複数の市民メディアが全編動画配信してくれました。
独立行政法人化とは企業にお金が流れる仕組みです。3月都議会で都立病院の独法化移行のため39億円もの予算を通すことなど絶対に許せません。3月、毎週の都庁前署名に取り組み、1万を超す署名と大衆行動の力で都立病院独法化を阻止しましょう。(2・21都立病院なくすな集会呼びかけ人 佐藤賢一)
基調
医療で金もうけするな
多摩連帯ユニオン根岸病院分会 徳永健生さん
今から1年前、日本に新型コロナウイルスが上陸しました。医療現場や保健所で始まったトリアージ、高齢者施設でのクラスター、救える命が救えないことへの悔しさなどなど、医療・介護・福祉労働者は壮絶な現場に直面しています。
そのような中、昨年3月31日に小池都知事が都立病院・公社病院を「22年度をめどに」独立行政法人化=民営化すると表明しました。私たちは東京で闘う医療・福祉労働者を先頭に昨年6月から「都立病院をつぶすな」署名運動を開始し、計7814筆の反対署名を提出してきました。
2月9日の第3回署名提出では、都立病院独法化のために22億円もの予算が組まれていることを追及し、そんな予算があるなら今ある都立病院の機能を充実させるべきと訴えました。申し入れが影響したのか、今都議会では「定款」の採択は見送られました。あわせて、森会長の女性差別暴言に抗議し、東京五輪中止を求める申し入れ書も提出しました。私たち医療・福祉労働者は五輪への動員を断固拒否します。
都立病院が独法化されたら「経営」の概念が導入され、もうかる医療とそうでない医療が分断され、もうからない医療・患者が切り捨てられます。独法化はまた、都立病院で働く5千人もの労働組合の団結を破壊しようとするものです。
都立病院労働組合の仲間たちと共に、医療福祉や保健所など自治体労働者をはじめ、すべての労働者民衆の闘いで都立病院独法化を阻止しましょう!
小児病院つぶしに反対
小児科医 山田真さん
都立病院は、1967年からの美濃部都知事による建て直しを経て今のような形になりました。また、私たちが東大医学部で60日間のストライキをしたのもこの年です。東大闘争を担った私たちは、今まで派遣されていた大病院ではなく地方の病院や都立病院に就職しました。墨東病院をはじめ各都立病院が特色を持ち、いざという時に備える体制がつくられました。
私が強調しなければならないのは、都立小児病院がつぶされたことです。2010年に突然、四つの都立小児病院のうち三つを廃止し府中にまとめることになりました。障害児の保護者たちが廃止に反対する会のようなものをつくり、私が関わるようになりました。これが現在の都立病院全体の独法化につながる最初の動きだったと思います。
都立病院の必要性をもう一度皆で考えるとともに、新自由主義体制が医療や福祉に及ぼす影響を再認識する必要があると思います。