出獄した2同志の決意

週刊『前進』04頁(3182号04面02)(2021/02/15)


出獄した2同志の決意

(写真 出獄後の十亀同志【左】と板垣同志)


 迎賓館・横田爆取でっち上げ弾圧で下獄していた板垣宏同志が1月3日に、十亀弘史同志が1月13日に勝利者として出獄し、決意を寄せた。(編集局)

激励で獄中闘争に勝利
 板垣 宏同志

 1月3日、4年7カ月の獄中闘争に勝利して、前橋刑務所を出所し戦列に復帰しました。正月3日早朝、コロナ情勢の中にもかかわらず、40人もの大勢の皆さんによる大きな花束と温かな出迎えを受けました。
 獄中においては年賀はがき、暑中見舞い、四季折々の手紙など多くの方々から激励をいただき、余裕と自信に満ちた獄中闘争を送ることができました。
 ただ、卑劣にも前橋刑務所は獄中と獄外との交通を遮断し、受信した手紙類の3分の2近くを「出所時交付」として私に手交せず、妨害したため、残念ながら獄中では読むことができませんでした。このため、出所時に600通余りの手紙とはがき類の分厚い束を受け取ることになりました。
 出獄後、まとめて読ませていただきましたが、多くの皆さんが困難の中で闘いを継続し前進させてきた様子や、温かい励ましの言葉、そして獄中の私を激励し慰めるための花や風景(そしてもちろんデモ、集会などの)写真や絵画など多彩な内容が、獄中・獄外を結ぶ熱い連帯としてひしひしと伝わってきました。
 権力の不当な検閲によってリアルタイムで読めなかったことは本当に怒りです。しかし、いかなる弾圧も私たちの団結を阻むことはできません。逆にこの事実は、私の獄中闘争が皆さんとの共同の闘いであり連帯した闘いであったことを改めて教えてくれました。ありがとうございました。
 迎賓館・横田爆取でっち上げ弾圧との闘いは、1986年10月の不当弾圧以来、35年有余を経過しました。その間に未決勾留16年に加え、私には8年の実刑(未決通算4年7カ月)という凶暴な弾圧が加えられたわけですが、これを完全にはね返し、生還できたこと自体が巨大な勝利であることを皆さんと共に確認したいと思います。
 爆取でっち上げ弾圧は、時を同じくしてかけられた国鉄分割・民営化をはじめとする新自由主義攻撃と同根の攻撃であり、日本帝国主義の崩壊的危機に際して権力の全体重をかけた攻撃であって、その本質は階級的労働運動の根絶、革命党(革共同)の壊滅を狙ったものでした。
 今回、私に続いて十亀さんの出獄を勝ち取ったことは、私たちがこの死闘戦に完全に勝利したことを示しています。しかし、須賀武敏同志はいまだ5年余の刑期を残し、獄中で最悪なまでに悪化させられた持病の腰椎症などの治療を勝ち取ることに加え、コロナ禍の中での命を守る獄中医療の確保という二重の闘いのただ中にあります。
 私も、当面は超長期の裁判闘争で失われた健康と社会生活を取り戻す闘いに全力を挙げながら、須賀さんの健康を守り抜き、一日も早く私たちの元に奪還する闘いに全力を挙げるつもりでいます。
 「コロナ情勢を革命へ」共に闘い抜きましょう。

革命の時代に出獄して
 十亀弘史同志

 1月13日に、満期4年7カ月で水戸刑務所を出獄しました。86年から02年までの未決勾留と合わせれば約20年の獄中闘争となります。後半の水戸刑にも、たくさんの通信、激励や支援をいただきました。外の闘いの前進に確信を持つことができ、大変心強く、だからこそ一種淡々と獄中を闘い抜くことができました。ありがとうございます。
 権力による弾圧は、結局のところ闘いを放棄させるために仕掛けられます。そうであれば、闘いをやめさえしなければすでに勝利なのです。私たち迎賓館・横田の「再審原告団」は、その勝利を、さらに再審無罪の獲得へと深め、広げていきます。
 現在まだ5年を残す獄中にある須賀さんと共に、最後のいっそう大きな勝利を手にしようと決意しています。警察・検察によるでっち上げと、裁判所による立証を放棄した有罪確定判決を許すわけにいきません。そのために、04年の一審無罪判決の揺るぎない勝利を、もう一度闘いの核心に据え直します。
 獄中で革命と党について主に二つのことを考えていました。一つは革命には徹底した意識性が必要だということです。全ての闘争において、革命が意識され、革命が目指され、全ての闘争現場が革命の鎖に結ばれなければなりません。それは同時に、それぞれの運動や現場の特性を最大限尊重するということでもあります。真に革命的な原則は、最も柔軟で、最も豊かであり、そして最も現実的で大衆的なのです。
 二つは、党は常に労働者階級全体の利益を代表していなければならないということです。そのことこそが党の根本的な力となります。そのためには、〈この党こそが我々の党だ〉ということが多くの労働者に認められなければなりません。私たちの行動と言葉は、いつでも生きいきした具体的な獲得力と説得力を持たなければなりません。
 それら二つにおいて、この間の国鉄や医療現場、その他の職場や地域、キャンパスや法廷や議場などにおける様々な闘い、とりわけ青年による闘いが、苦闘の連続の中で、まだ小さくても、明るく鮮やかな、確かな勝利を重ねていることに、敬意を表します。
 情勢が革命的であることはあらためて言うまでもありません。資本主義では人類の未来が消されてしまいます。世界中の誰もがそのことを強く実感し始めています。まさしく革命の時代なのです。いい時に出獄してきたと言わなければなりません。
 原告団はまずできるだけ早く須賀さんをとり戻し、福嶋昌男さんを含む4人の無罪をしっかりと確定させます。それは、大坂正明さんと、無念にも亡くなられた星野文昭さん、そして星野暁子さんと共に進む道です。これからもよろしくお願いいたします。

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迎賓館・横田爆取でっち上げ弾圧とは

 1986年5月4日、東京サミットの歓迎式典が開かれた迎賓館に向けて飛翔(ひしょう)弾が飛んだ。同年4月15日には米軍横田基地に飛翔弾が撃ち込まれた。当時の米大統領レーガン、英首相サッチャー、日本の中曽根首相らによる新自由主義攻撃の本格化に対し、全人民の怒りの先頭で決起した中核派革命軍によるゲリラ戦闘だった。
 これに恐怖した日帝権力は「革共同の組織絶滅」を宣言。別件で不当逮捕され獄中にいた須賀武敏同志と十亀弘史同志、板垣宏同志の3人を翌87年10月に両事件の「共謀犯」としてでっち上げ逮捕し、福嶋昌男同志を同じくでっち上げ指名手配(95年逮捕)した。だが4同志は両事件に全く関与していない。権力は革共同つぶしを唯一最大の目的に、同志らの無実を百も承知で爆発物取締罰則1条(死刑・無期・10年以上)の重罪で起訴したのだ。
 88年に開始された3同志の公判はその冒頭から、同志と事件とを結びつける証拠など何もないことを暴露した。東京地裁は15年に及ぶ徹底審理の末に全員無罪の判決を下した。だが検察の控訴と権力中枢の圧力下で二審・三審での逆転有罪判決が強行され、須賀同志に懲役11年、十亀・板垣同志に懲役8年の重刑が確定した(福嶋同志は懲役12年の有罪判決)
 革共同は、この極悪の政治弾圧を実力で打ち破って今日まで闘いぬいてきた。

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