資本主義打倒の立場で賃金闘争を闘う マルクスの階級的労働運動論 『賃金・価格・利潤』から学ぶ

週刊『前進』04頁(3181号04面01)(2021/02/08)


資本主義打倒の立場で賃金闘争を闘う
 マルクスの階級的労働運動論
 『賃金・価格・利潤』から学ぶ

(写真 1864年9月28日にロンドンで開催された国際労働者協会発足集会の様子を描いた絵)


カール・マルクス 1818〜1883。ドイツ出身の革命家。フリードリヒ・エンゲルスと共に『共産党宣言』で労働者階級の解放、共産主義革命を唱えた。国際労働者協会設立に参加、労働組合の役割を明確にした。『資本論』を著し資本主義の運動法則を解明、革命の可能根拠を提示した。写真は1875年。


 昨年11〜12月、党学校でカール・マルクス著『賃金・価格・利潤』について講義と討論が行われた。その核心を講師に明らかにしていただいた。(編集局)

労組の任務を正面から提起

 本紙新年号政治局アピールは、「資本主義終わらせる革命へ」を真っ向から打ち出し、それを実現するために今、緊急に取り組むべき課題は、「新自由主義を打倒する階級的労働運動」の構築であることを明らかにした。これは、革命的情勢を現実の革命に転化するために必須不可欠なものであるとともに、労働者階級人民が今この瞬間を生きぬくために絶対に必要な闘いでもある。そこへの挑戦はマルクス主義の実践そのものだ。ここに踏み込むにあたり、重要な観点を提起しているのが、マルクスの著書『賃金・価格・利潤』だ。
 『賃金・価格・利潤』をテキストにした党学校での講義から、労働者階級の基礎的団結体である労働組合の任務についてマルクスが正面から論じた部分を取り上げる。

第1インター中央評議会での講演録

 『賃金・価格・利潤』は、その冒頭で次のように述べている。
 「今や大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延(まんえん)している。この問題はわれわれの大会にもち出されるであろう。国際労働者協会の首脳部である諸君は、この重要問題について確固たる定見をもっているべきである」
 ここで言われている国際労働者協会とは、1864年9月にロンドンで結成されたいわゆる第1インターナショナルのことだ。その翌年、1865年6月にロンドンで行われた第1インターナショナル中央評議会でのマルクスの講演をまとめたものが『賃金・価格・利潤』だ。その直接のテーマは、第1インターが労働組合の賃金闘争(経済闘争)をどう考え、どのような立場で闘いぬくべきかということにあった。
 第1インターは労働者階級が歴史上、初めて生み出した国際組織だ。だが、それに伴う未熟性も避けられなかった。あらかじめ明確な綱領や路線があったわけではないし、全体がマルクス主義に獲得されていたともおよそ言えない。そのため、結成後に綱領や路線をめぐる論争が展開された。その一つが賃金闘争をめぐる議論だった。
 当時、イギリスを代表するウェストンという人物が、「賃金を上げることで労働者階級の社会的・物質的幸福は増大するか」「ある業種で賃上げが行われれば、他の産業に悪影響を及ぼすのではないか」という問題を、第1インター中央評議会で討議に付すことを求めた。ウェストンは、「労働者の賃金が上がれば、その分、物価が上昇するから、結局、労働者の実質賃金は変わらない」「賃上げ闘争はやっても無駄」と主張した。
 これに対し、マルクスは中央評議会の場で全面批判の論陣を張った。それをまとめたものが『賃金・価格・利潤』という書物になった。だからそれは、重大な対立をはらむ労組の執行委員会での代表討論と言うべきものだ。
 この討論がなされた1865年6月当時、『資本論』全3巻の草稿はほぼ完成し、第1巻は出版の準備段階にあった。マルクスはその全内容を踏まえて、中央評議会での議論に臨んだ。『賃金・価格・利潤』は簡潔なパンフレットではあるが、そこには『資本論』の核心部分が凝縮されていると言える。

賃金制度の廃止をめざして

 『賃金・価格・利潤』は、その結論部分で次のように言う。
 「労働者階級は資本の侵略に対する抗争を断念し、その時々の機会を彼らの状態の一時的改善のために利用しようとする企てを放棄すべきだ、ということになるだろうか。そんなことをすれば、彼らは、救済のしようもない敗残者の群に落ちてしまうだろう」「もし彼ら(労働者階級)が、資本との日常闘争において卑怯(ひきょう)にも退却するならば、彼らは、そもそももっと大きな運動を起こすための能力を失うであろう」
 「労働組合は、資本の侵害に対する抵抗の中心として大いに役立つ。労働組合は、その力を正しく使わなければ部分的に失敗する。労働組合は、現在の制度の結果に対するゲリラ戦的抵抗だけに自己を限定して、それと同時に現在の制度そのものを変える努力をせず、その組織された力を労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使わないならば、全面的に失敗する」
 ここで言う「資本の侵略に対する抗争」「現在の制度の結果に対するゲリラ的抵抗」とは、賃下げや労働時間延長など資本の攻撃に対し、日常的・持続的に展開される労働者階級の抵抗闘争のことだ。また、「賃金制度の最終的廃止」とは、まさに資本主義を廃絶するということだ。
 注目してほしいのは、こうした闘いを展開する主体が「労働組合」とされていることだ。賃金制度の廃止を目指して闘わなければ、労働組合の闘いは「全面的に失敗する」とマルクスは言う。そこには、「労働組合はもっぱら賃金闘争を行う組織。革命運動は革命党がやること」という労働組合観はみじんもない。
 他方で、労働組合は観念的に「革命」を唱えていればいいという空論も、厳しく退けられている。労働組合は、資本との日常的攻防戦を全力で闘うことによって階級的団結を培っていく。その基盤がなければ「賃金制度の最終的廃止」「労働者階級の究極的解放」のための「大きな運動」は問題にもならない。
 マルクスは、①賃金闘争を始めとした資本との日常的攻防戦の不断の貫徹、②賃金制度の最終的廃止―労働者階級の究極的解放に向けた闘いを、二つにして一つのものとして闘いぬくことが労働組合の任務だと、結論付けている。この資本との日常的攻防戦をマルクスは「ゲリラ戦」と言う。資本との敵対関係を強烈に意識しているからだ。

資本の支配を廃止する組織された力

 1865年6月の第1インターナショナル中央評議会でなされたマルクスのこうした提起は、翌1866年の第1インターナショナル第1回大会で採択された決議「労働組合、その過去・現在・未来」の中で、より明確な表現をとって定式化された。マルクスの実践的で獲得的な「党派闘争」は実を結んだ。その中でマルクスは次のように言う。
 「労働組合はもともと、労働者の生活を少なくともまったくの奴隷状態以上に引き上げるような契約をかちとるために、労働者間の競争をなくそうとして、またはできる限り制限しようとして自然発生的に生まれた。したがって、労働組合の直接の目的は、日常の諸要求、資本の絶えざる侵害からの防衛の手段、一言で言って、賃金と労働時間の問題に限られていた。労働組合のこのような活動は正当なだけでなく、必要なものである。これは、現在の生産制度が続く限り、やめるわけにはいかない活動である」
 「他方で、労働組合は、自分たちでは自覚することなしに、労働者階級の組織の中心となった。それは中世の都市や自治体がブルジョア階級にとって組織の中心であったのと同じことである。労働組合は資本と労働の間のゲリラ戦のために必要なのであるが、賃金制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力として一層重要である」
 「労働組合は、もともとの目的は別として、今や労働者階級の組織的中心として、労働者階級の完全な解放という大きな利益を目指して活動することを学ばなければならない。労働組合はこの方向を目指すあらゆる社会的、政治的な運動を支持・支援しなければならない。労働組合が労働者階級全体の前衛、代表としての自覚をもって行動すれば、未加盟の労働者を隊列に獲得することに必ずや成功するであろう。......労働組合は、労働組合の活動が狭く利己的なものでなく、踏みにじられている幾百万の人民の解放を目指しているのだということを、全世界に納得させなければならない」
 ここでは、①資本主義のもとでは不可欠な賃金や労働時間をめぐる闘いを全力で行い、②労働者階級全体の利益の観点から路線・方針を打ち立て、③資本の支配を廃止するために闘うことが、労働組合の任務とされている。これを一言で言えば、階級的労働運動だ。「労働組合、その過去・現在・未来」は、階級的労働運動とは何かを平明な言葉で説き明かしている。労働者階級は、国際的な団結を形成し始めたときから、当然のこととして階級的労働運動を志向した。

資本家とは絶対的敵対関係

 既成の労働運動は「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」を意図的に切り離し、「あくまで資本主義の枠内で労働者の生活向上をめざす」ものとして「賃金闘争」を構想してきた。だがそれでは、労働者の根本的な怒りを組織することも、労働者の階級的な団結を打ち固めることもできない。
 こうしたあり方を打破することは、今ますます重要な課題になっている。資本主義の最後の延命策としての新自由主義は全面的に破綻した。しかし資本は、新自由主義にすがりつく以外に生き延びる道がない。追い詰められた資本が必死に繰り出してくる攻撃に対抗するためには、労働者の側に資本主義そのものを倒す構えがなければならない。
 動労千葉の反合理化・運転保安闘争は、資本と非和解的な対立点を意識的に設定して闘われている。
 「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」を一つのものとして闘うべきだというマルクスの提起は、別個の課題を無理やり一つに結び付けたようなものでは断じてない。
 賃金は、資本家と労働者の階級関係そのものを表している。賃金こそ、資本家と労働者とが絶対的な敵対関係にあることを最も鋭く指し示す。「資本との日常的攻防戦」の中には、「賃金制度の廃止に向けた闘い」が本質的に含まれている。
 賃金が上がれば利潤は減り、利潤が上がれば賃金は減る。資本家と労働者は、互いの取り分を仲良く分け合うのではなく、互いの取り分をめぐって抗争する敵対関係にある。しかも資本家は常に、労働者の生存がままならないレベルにまで賃金を引き下げようとする。これに抵抗しなければ労働者は生きていけない。
 『賃金・価格・利潤』はこの関係を、次のような搾取の構造を明らかにすることによって基礎づけた。
 そもそも、資本家が手にする利潤は、労働者が生産した価値から奪い取ったものだ。何の費用もかけずに奪い取った価値を蓄積して資本家はますます力を得るが、労働者が手にする賃金は、労働力として再び自分(と次世代)を資本に差し出せるように自身を修復するための費用を超えない。
 この関係から、資本家は資本家として再生産され、労働者は労働者として再生産される。この階級関係こそが、賃金を絶えず引き下げようとする資本家の行動を必然的にもたらすのだ。だから、〈賃金制度の廃止=資本主義の打倒〉なしに労働者が解放されることはない。

階級の力実感できる闘いを

 だが、労働者の究極的解放のためにも、資本との日常的攻防戦としての賃金闘争を今こそよみがえらせなければならない。新年号アピールは「労働運動が世界の中でも『特別に』大きく後退し、力を失っているのが、現在の日本の主体的情勢の特徴」だと指摘した。これは深刻な問題だ。
 国鉄分割・民営化以来、三十数年にわたって新自由主義の攻撃が加えられ、これに既成の労働組合幹部が総屈服したことによって、膨大な数の労働者が労働運動に接したことのない状態に追いやられてきた。労働組合の闘いが見えなければ、労働者は「賃金も雇用も、運命のように受け入れるほかはないもの」と思わされてしまう。
 さらに、新自由主義が労働者に押し付けた「自己責任」論のもとで、「賃金は労働者が会社にもたらすことのできる利益の大きさによって決まる」かのような言い分が、当然のことのように垂れ流されている。こうしたイデオロギーが二重にも三重にも労働者を縛り付けている現実が確かにある。
 しかし、極端な低賃金や格差賃金を、労働者が「公正な評価」によるものだと納得して受け入れているはずがない。労働基準法も守らない会社によって自分の賃金は得手勝手に決められているという疑念や不満は、労働者の中に渦巻いているはずだ。問題は、そうした思いや怒りを行動へ、闘いへと組織することだ。
 生きていけないような低賃金は、労働者自身が団結して資本と闘うことによってしか打破できない。資本によって強いられた諦めを超えて、闘いに踏み出すこと。職場の仲間をそのために奮い立たせること。これはいつの時代でも労働運動の普遍的なテーマだ。それが今ほどクローズアップされている時はない。
 『賃金・価格・利潤』は、どのように賃金と利潤の大きさが決まるのかという問いに答えて次のように言う。「利潤率が現実にどの程度に確定されるかは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ決まる。資本家は常に賃金をその生理的最小限に引き下げ、労働日(1日の労働時間)を生理的最大限に拡大しようとしているし、労働者はそれを反対方向に押し返そうとしている。事態は闘争者たちのそれぞれの力の問題に帰着する」
 「賃金は労働者と資本家との力関係によって決まる」という単純な真理を、労働者の実感として取り戻さなければならない。このことを労働者が身をもって実感できるような闘いが積み上げられてこそ、資本主義の打倒は労働者階級の現実の課題になる。
 〈コロナ×大恐慌〉の中で、賃金闘争の多くは「賃下げ阻止」という防衛的な形をとるかもしれない。とはいえ、労働者が労働組合に結集して立ち上がった途端、資本は賃上げを認めざるを得なくなったという事例も、少なからず存在する。資本はこれまで、労働者の抵抗を想定せずにとことん賃金を切り下げてきた。反撃に直面すれば資本が弱さをさらけ出すことも、十分にありえる。
 こうした経験を経る中で、労働者は資本家との絶対的な敵対関係を自覚し、階級的に団結することを学び、資本主義を打倒する闘いの主体へと自らを鍛えあげていく。その闘いを意識的に組織することが必要だ。
 昨年11月1日の全国労働者総決起集会/改憲阻止!1万人行進は、動労千葉、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械労組港合同の3労組の呼びかけで行われ、「闘う労働組合の全国ネットワーク」を今こそつくり出そうと訴えた。これに応えて、〈コロナ×大恐慌〉がもたらした苦難や、それに便乗した資本の攻撃と根底的に対決する闘いが始まっている。「労働組合で闘おう」が急速に労働者の意識の前面に押し出されている。労働運動をその原点からよみがえらせるうねりが巻き起ころうとしている。
 その先頭に、あらゆる矛盾が集中する医療現場の労働者が立っている。闘いの指針として、新自由主義の攻撃が開始された三十数年前から国家権力に不屈に立ち向かってきた国鉄闘争が存在する。
 階級的労働運動を復権させることによって、すべての展望は開ける。それができる情勢は今ここにある。
〔岩谷芳之〕

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