団結ひろば 投稿コーナー
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オスプレイ反対で県民行動
新潟 牧絵孝栄
12月5日早朝、「オスプレイはNO!」の真っ赤なボードを掲げて、日米共同訓練反対の380人の声が自衛隊高田駐屯地(新潟県上越市)を包みました。
全国で日米共同訓練、自衛隊の演習が激化する中で、12月7〜18日、妙高・関山演習場で沖縄県・米軍普天間基地のMV22オスプレイが参加し、自衛隊400人、米海兵隊500人の共同訓練が強行されます。しかも今回の訓練は、群馬の相馬原(そうまがはら)演習場から妙高・関山演習場にオスプレイを使って兵員を輸送するもので、「島嶼(とうしょ)奪還」作戦であることが公表されています。菅政権による日米安保を利用した改憲・戦争攻撃そのものです。
この行動を提起した主催者は地元の平和団体と政党で、この日に開催した「オスプレイは来るな!日米共同訓練反対県民集会」では、コロナ禍で大変な状況が続いているのに今回の訓練がエスカレートしていることへの危機感が示され、強く抗議しようとアピールされました。
私たちも、「改憲・戦争とめよう!にいがた大行進」の旗を先頭に参加し、共に抗議の声を上げました。
種苗法の改悪に各地で抗議
全国農民会議 山口敏昭
12月2日、種苗法改悪法が成立した。日本学術会議の任命拒否問題があり、菅政権は簡単に種苗法の国会審議はできないだろうと思っていたが違った。衆参あわせて審議時間は10時間余り。参院本会議では賛成・反対の討論もなく、5本の法案が15分で成立した。本当に許せない。農民だけでなく、労働者民衆の食の安全にかかわる問題でもあるからだ。
全国農民会議は国会前行動と連帯し、急きょ各地での街頭宣伝を呼びかけた。新潟市と岡山市で参議院採決にあわせ街頭宣伝を行ない、アピールした(写真は岡山市、12月4日)。
今回の改悪は農民の自家採種・自家増殖禁止が最大の狙いであり、2年前に施行された種子法廃止と一体で「農民は企業から種を買って農業をやれ」という農業支配の攻撃だ。今後「種子事業の民営化」=「種の私物化」が大きく進む。
私が一番許せないと思うのは、優良品種の海外流出阻止を口実に「農家の自家採種禁止」にしたが、あたかも農家が海外流出の犯人であるかのようにされたことだ。国会審議で農水省は、農家の自家採種と海外流出の因果関係を証明していない。日本で開発された新品種を海外の国で登録することが、海外流出を防ぐ有効な手段であることも自ら認めている。にもかかわらず「農家の自家採種」に責任転嫁した。
全国農民会議は、新自由主義農政を急展開した安倍農政に全力で反対してきた。菅も新自由主義農政を突っ走ろうとしているが、全国農民の怒りの先頭に立っていきたい。
猶井さんをしのぶ会に参加
東京 S
6月26日、三里塚闘争に連帯し動労ジェット闘争を支援する東京実行委員会などで活動された猶井誠さんが亡くなった。ご冥福をお祈りする。
「猶井誠さんをしのぶ会」が11月8日、大崎の会場で開催され参加した。猶井さんの妹さんをはじめ40人近い方が集まり、三多摩反戦時代からの同志、沖縄、三里塚、動労千葉、星野、杉並などで共に闘った方々が猶井さんの闘いの足跡を語った。また仲間を励まし支えてきたいくつもの逸話が語られ、人と人との関わりを大事にする猶井さんの人柄を改めて思い起こした。
猶井さん一家は東京大空襲で焼け出され、猶井さんは高校生の時に父親を亡くしている。高校卒業と同時に日本電気に就職して家族の生活を支えてきた。1964年に新設の府中工場に移転。反戦派として組合青年部の活動家として闘った。70年闘争の頃、組合の役員選挙で右翼的執行部を支持する3900票に対して反戦派の批判票が1900票に迫ったというから反戦派の勢いが分かる。生産現場の闘いと同時に職場労働者が横須賀原潜反対闘争にバス1台で参加するなど大衆的な決起を勝ち取っている。あいさつの中で「職場生産点と地域の反戦青年委員会が一体となって大衆的に闘われた日電府中の闘いを継承しよう」と訴えられていたのが強く響いた。
猶井さんのお母さんはとても反戦意識の強い方で、焼け野原になった東京の街の風景を「絶対忘れてはいけないよ」と子どもたちに諭したそうだ。日電府中で立ち上がった労働者たちは戦争と貧困に憤った若者たちであっただろう。猶井さんの闘いを現代の若い人たちに引き継ぐために出来ることをやりたい。
故杉山さんの闘い受け継ぐ
なんぶユニオン O
11月29日、杉山実さんの「偲(しの)ぶ会」が行われた。コロナ禍の中、集まった多くの人の胸の中に杉山さんが生き生きと甦(よみがえ)り、闘う者を鼓舞激励する、戦闘的な「偲ぶ会」となった。
みんなの発言は、どんな集会・デモの先頭にも「なんぶユニオン」の旗を持つ杉山さんがいたことに集中した。「前進」の写真を意識して「ナイスポジション」を確保する努力をしていたという裏話も出た。
また多くの人は、テレビを見て泣いていた杉山さんを見ている。「家庭崩壊」「子どもの命が奪われている」などの報道に、杉山さんは涙を流す。最も虐げられたり、無抵抗に置かれている人たちの視点から、感情がこみ上げて止められない人柄なのだ。この激情、怒りこそ杉山さんの階級的確信の源泉だ。「杉山さんの労働者性」あふれる生き方を語り合い共感した。
杉山さんの生活ぶりそのものが「革命人生」であったことに話が弾んだ。その象徴的な活動が、闘いの拠点であるなんぶユニオン事務所に365日通い詰めたことだ。仕事で遅くなってビラを取りに行く時に、事務所の明かりを確認して、ドアを開けると杉山さんが居た。それは「全生活を労働者解放・革命」に注いだ杉山さんの人生そのものだった。できそうでできないこの闘いを貫いた。
杉山さんの闘いは、みんなの胸に甦り、闘う者に受け継がれた。「偲ぶ会」の最後に杉山さんのお姉さんが、「実が、みんなに愛されたことがわかりました、ありがとうございます」と発言された。お姉さん、ありがとうございます。東京南部地区委員会、なんぶユニオンは、団結固めて、2021年決戦に立ち上がります。