国賠訴訟 暁子さんの決意、法廷に響く 星野さん獄死の責任を追及

週刊『前進』04頁(3174号04面01)(2020/12/14)


国賠訴訟 暁子さんの決意、法廷に響く
 星野さん獄死の責任を追及

(写真 星野さん獄死の責任を追及する法務省包囲デモ【12月3日 東京・霞が関】)


 12月3日午前11時、東京地方裁判所民事第14部(伊藤正晴裁判長)で星野国家賠償請求訴訟の第3回裁判が開かれた。この裁判は、1971年沖縄闘争を闘い、無実で獄中44年を強いられた星野文昭さんの獄死に対する国の責任を追及する裁判であり、原告は連れ合いの星野暁子さん、兄・治男さん、弟・修三さんの3人だ。
 この日の闘いは、裁判所前での宣伝活動から始まった。「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」を先頭とした30人が、法務省・国家権力を徹底的に弾劾した。

違法行為は明白

 被告・国は、徳島刑務所と東日本成人矯正医療センターに責任は一切ないと全面的に居直る「準備書面(1)」を出してきた。これに対し弁護団は、被告の主張を全面的に打ち破る「原告第1準備書面」を提出し、併せて星野暁子さんの陳述書と治男さんの意見書を提出した。
 「第1準備書面」はまず第一に「総論」で、徳島刑務所と医療センターは自由を奪われた受刑者に対して「健康配慮義務」のあることを明確にした。
 第二に、徳島刑務所の違法行為だ。星野さんは2018年年初以来、体重が減少し、6月にはガンマGTPが基準値を超え、8月には強烈な腹痛に苦しんだ。一貫した食欲不振と体重減少が続く中、何度も腹部エコー検査を行うべき契機があったが、家族や弁護団の申し入れにもかかわらず徳島刑務所は、エコー検査等の精密検査を行わなかった。
 また、翌19年3月1日のエコー検査で肝臓に巨大な腫瘤(しゅりゅう)を見つけながら、47日間もこれを隠し、必要な治療を放棄したのである。
 徳島刑務所は、これらの違法行為でがんを巨大化させ、その切除手術が不可避な状況をもたらし、死に至らしめたのだ。
 第三に、医療センターの違法行為だ。医療センターは巨大肝細胞がん切除手術には不可欠な24時間看護体制がないままに手術を強行した。また、術前の検査で手術方針決定時より悪化した数値にもかかわらず、手術のリスク拡大に対する検討もせず、予定通りの手術を強行した。
 さらに術後、血圧が80〜60台で推移するなどショック状態に陥った星野さんに対し、一時的な昇圧剤の注射のみで適切な対処をせず、深夜4時間、医師も看護師も診ることなく放置した。この術後の対応が死亡の直接の原因だ。

「皆が原告団だ」

 暁子さんは法廷で、星野さんを奪われた怒りと喪失感の大きさを訴え、「国賠訴訟で責任の所在を明らかにすることで、次のステップを刻みたい」と述べた。(要旨別掲)
 裁判後、「星野国賠に勝利する全国運動」の呼びかけ人をはじめ、裁判の傍聴に集まった100人が日比谷公園霞門に集まり、弁護団から裁判報告を受けた。
 正午、法務省弾劾デモに打って出た。星野さんの遺影を先頭に進み、法務省前では一段と怒りのこもった大きな声で弾劾のシュプレヒコールを上げた。
 デモの解散地点で全国再審連絡会議共同代表の狩野満男さんは、「われわれ皆が原告だ。星野さんが獄中で貫いた戦争反対の闘いを私たちこそが闘おう」と訴えた。参加者は、命をないがしろにする新自由主義と断固闘い、国賠闘争に勝利する決意を打ち固めた。
 次回第4回裁判は、来年2月8日(月)午前10時30分、東京地裁第721号法廷で開かれる。星野国賠勝利へ闘いぬこう。

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意見陳述 (要旨)

なぜ殺されたかを明らかに
 原告 星野暁子さん

 星野文昭が殺されてから1年7カ月になります。文昭が殺されたことへの怒りは、日々強まるばかりです。何をやっても文昭は戻ってこない、時折襲われるそんな思いと闘いながら、国賠訴訟を進めてきました。
 文昭がよく言っていた「すべての人間が人間らしく生きられなければ、自分も人間らしく生きることはできない。すべての人間が人間らしく生きられるよう、自分の生を貫きたい」という言葉の意味と、どうすればそんな社会をつくることができるのかを改めて考えるようになりました。拘禁性ノイローゼから回復し、一人では生きられないことを思い知った文昭、人間の共同性ということを何よりも大切に考えていた文昭だから言える言葉だと思います。
 獄中44年、徳島刑務所に移監になってからも33年の歳月が流れています。文昭は獄中で絵を描き、その絵を毎月の面会で私に贈ってくれました。色彩豊かな200点に及ぶ絵画で、全国で絵画展を開催しています。「獄中にいてどうしてこんな穏やかなやさしい絵が描けるんですか」と聞かれて、文昭は「暁子を癒すために描いている。生きとし生きるものへの愛と賛歌だ」と語っていました。
 こんな文昭を奪われた私の喪失感は大きく、何をもっても埋め合わせることはできません。悲しみが癒えることはありませんが、国賠訴訟をやり、責任の所在を明らかにすることで、次のステップを刻みたいと思っています。
 そして、文昭がなぜ、どのように殺されたかを明らかにすることは、貧困な獄中医療を変革する力になっていくだろうと思っています。
 徳島刑務所の責任は重大です。昨年の4月18日、移送になった東日本成人矯正医療センターの責任も重大です。
 文昭の兄・星野治男から「司法の場においていわれなき罪をきせられ、拘束の場において人間としての扱いを受けられずに去っていった弟文昭の兄星野治男」という意見書が寄せられています。
 「民主主義を真っ先に唱えるべき司法界は、一色一岩(造語)であるというのが、わたしが弟文昭の件を通して考える所以(ゆえん)です。(中略)
 この度の弁護団ならびに妻暁子、兄治男そして弟修三の問いかけに対して、あなたがたの真摯(しんし)にしてかつ誠実かつ正直な対応を願うばかりです」
 私も義兄と同じ気持ちでいます。公正な判決をお願いいたします。

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