団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3170号04面03)(2020/11/16)


団結ひろば 投稿コーナー

労働者の団結の力を実感!
 学生 宮沢 梓

 11月労働者集会に参加するために日比谷野音を訪れたのは、今年で2回目です。前回は何もわからないままあの場に座っていたのですが、今年は学生として労働者の闘いに学ぼう!という気持ちで挑みました。
 特に印象的だったのは、船橋二和病院労組の皆さんの話です。命を扱う医療現場でストライキを打つことは、本当に勇気が必要だったと思います。その中で、職場の理不尽に立ち向かうことを決断した皆さんの熱い思いに心を動かされました。労働者の権利を勝ち取るためには労働者自身が闘う以外に道はないし、一人一人が集まって団結すれば、理不尽を圧倒できるくらいの大きな力になるのだと学びました。
 学生の私も、大学の理不尽に負けないような自治会を再建したいです。そして、二和病院労組の皆さんのように、「やってよかった」と思える運動がしたいです。
 集会後のデモは普段とは違ったスタイルで行われ、学生の活力的な雰囲気に満ちあふれていました。沿道の人々に対するアピールになったことはもちろん、参加者自身が楽しみながら声を上げられたことがすばらしかったです。学生の仲間との距離が縮まったように感じます。
 集会とデモを通して、団結の力をより一層確認できた一日でした。来年はまた、皆で肩を組んでインターナショナルを歌えたらいいなと思います。

労組は働く学生の希望の光
 学生 N

 今回は全学連の仲間と集会・デモに参加しました。前もって仲間と集会の歴史や意義について討論した上で参加したことで、学生が労働者の集会に連帯する必要性をより深く理解できました。学生のデモ隊列では「学生も今や労働者!」のコールが響きました。まさにその通りです。
 多くの学生が学費・生活のためにアルバイトとして労働に従事しています。コロナ情勢で学生が限界ギリギリの生活を余儀なくされていることも明らかになりました。
 更に、学生は就職活動を通じて資本に自分の労働力がまさに「商品」として買いたたかれる現実を目の当たりにしています。自分の周りでも「働きたくない」「こんな社会に出たくない」と嘆く学生がいます。
 実際に労働運動の現場で闘っている労働組合の皆さんの力強い報告は、そんな学生にとって希望の光です。
 自分は今、学生や青年労働者の仲間と労働問題についての学習会を企画しています。この集会で実感できた闘う労働運動の必要性を、より多くの学生に広めていきたいです。

新自由主義うち破る突破口
 埼玉 A

 私は今年で2度目の労働者集会への参加。さいたまユニオンの待ち合わせ場所には、すでに委員長をはじめ数人が集まっていた。中にはコンゴやペルーからの外国人労働者もいる。コロナ下でも祖国に帰らない、帰れない人たちはどんな思いで日本で生活し、このような集会に参加するのだろうかと思った。
 集会は、昨年よりも熱気があるように感じた。実際にコロナと闘っている医療労働者は特に熱く圧倒された。医療が金儲(もう)けに使われているのは本末転倒だ。本来、医療(医療労働)とはそうあってはならないのだと強く思った。
 いまだ終わらない国鉄闘争も、そもそも公的な交通機関が金儲けのために存在するということ自身が本質的におかしい。鉄道を毎日動かしていることそのものに誇りを持てる社会でなくてはならない。
 また、成田闘争も市東さんの不屈の闘いが、成田空港と航空産業全体の危機の中、大量解雇攻撃にさらされる空港関係労働者も獲得しようとしている。
 集会で出されたどの闘いも政府、官僚、大資本の思惑に翻弄(ほんろう)されながらも抵抗闘争を続け、新自由主義を打ち破る突破口を切り開いていると思った。
 デモを攻撃してきた右翼の若者たちも労働者だ。ある意味、彼らのためにも闘争は続け、「こっちに来い!」と呼びかけたい。
 集会を受け、職場や地域での闘いを進めたい。何よりも敵は自分の中にある。「怠慢」という名の敵である。日々、闘わなければ気がつくと劣化して保守的になってしまう。以前の私はそうだった。そうならないためにも日々、前進だ!

布施医師の発言に共感した
 茨城・医療福祉労働者 庄司知香子

 今年の労働者集会に参加することは、医療福祉労働者として感染の面からためらいがありました。しかし、菅政権の発足で私自身の怒りが収まらず、皆さんと共有したいと強く思い参加しました。
 集会では、ふくしま共同診療所の布施幸彦医師の発言が共感できました。小児甲状腺がんが疑いを含めると265人になっているにもかかわらず、国や県は原発事故との関連を否定し学校検査の縮小、廃止まで言及し、オリンピックを機に全て終わったことにしようとしている。一部を除染し、高線量地帯に戻るように強制しているのも絶対に許せない。全てを無くして、避難生活を余儀なくされた大変さは筆舌に尽くし難い。布施医師は福島の闘いの継続を訴えていました。
 私は、福島の親子保養に関わって来ましたが、10年を迎えても、保養を希望する親子は減っていません。仲間たちは、「福島を忘れない!」という思いで取り組んでいます。私は今年、宿泊施設の清掃や食料品の買い物などの準備を手伝いました。コロナ下で、参加希望の親子の半分しか受け入れられませんでしたが、保養のスタッフと保養の意義を再確認し、実施して良かったと思っています。
 集会の発言で一番感動したのは学生の発言です。コロナで校内に入れず、学生間のコミュニケーションも取れない中、「学費を値下げしろ!」、自治会の再建を求めて、関西生コンや動労千葉を先頭とする労働者と連帯して闘っていくと発言しました。その勇姿に感動したのは私だけでなかったらしく、会場からカンパが差し入れられました。
 迷ったけれども参加して、すばらしい感動を共有できました。

妨害の右翼も圧倒するデモ
 群馬 アニオタ涼子

 参加できない仲間たちの見送りを受けて、団交で闘って勝利したバス会社の観光バスで群馬合同労組の仲間と会場に向かった。
 コロナ渦中ではあるが、熱気あふれる集会だった。病院、コンビニの闘いなど、ストライキで闘う労働者を直近に感じ元気がもりもりわいてくる。学生の発言も大きな希望を抱かせるものだった。
 デモは最高だった。沿道からの反応も良い。迫力あるコールが響き渡る。
 金もうけ最優先の「生産性」などでは計ることのできない大事な仕事が世の中にはたくさんある。仕事の誇りは奪えない。「生産性」では人の命も救えない。そんな思いのたけをぶつけるコールに力を得て、あっという間にデモ解散点。妨害右翼も圧倒するデモだった。
 どんなに厳しい状況下でも数々の闘いがあり、それにより社会のゆがみが次々とあばかれていく。数々の闘いが自分たちの闘いとつながって社会が変わっていく。
 分断を許さず団結して闘っていくことこそが我々の希望だと感じた集会とデモだった。心を燃やせ!

東電被曝聞き取り本を推薦
 NAZENいけぶくろ 櫛渕秀人

 3・11福島第一原発事故から10年目がやってきます。お薦めしたい本が小笠原和彦著、風媒社刊『東電被曝二〇二〇・黙示録』です。東葛地域、福島県の飯舘村、大熊町、浪江町、福島市、郡山市などの居住者への聞き取りです。
 まず東葛地域で3・11から5年で3人の小児甲状腺がんが発見されたというところから始まります。検査総数は1832人。福島の県民健康調査のようにやればもっと多くの発症が確認されるのではないかと言われています。
 また南相馬市立総合病院の2010〜17年の患者数の推移の一覧表が掲載されていますが、甲状腺がんの患者数は29倍、白血病は10・8倍など驚くべき実相が明らかになっています。
 心筋梗塞(こうそく)や肺がんなど他の疾患も軒並み4倍等々。今一つ、稽留(けいりゅう)流産について書かれています。いわゆる奇形児に関わることです。その検査の結果で奇形児と判明した場合、流産のような形で対処。医師はカルテには記録しないそうです。証拠が残るからです。これはかなりの数にのぼるようです。また県立医大病院の退職看護師の話として検査でもわからず出産して奇形がみられる場合、これも闇に葬る、そして箝口(かんこう)令がしかれるとの話も載っています。
 他にもメディアが全く報道しないことがたくさん明らかになっています。この本は聞き書き方式のためデータに基づいて展開されているものは少ない。その限りで悔しい思いもしますが、皆さん、是非読んでクチコミで周りの人たちに伝えて欲しいと思います。来る3・11福島に向かって怒りも新たに進みましょう。

核のゴミ処分適地などない
 茨城 細川政史

 北海道の寿都(すっつ)町に続き神恵内(かもえない)村も核のゴミ最終処分場の文献調査受け入れに名乗り出た。大きな理由は両者とも、財政難と自治体存続の危機である。文献調査に応じれば、最大20億円の協力金が支払われるという。政府は、一方の手で社会崩壊、生活破壊をつくり出し、他方の手であたかも救いの手を差し伸べるごとくに巨額の金をちらつかせる。こんなやり方は、あまりにも国民を愚弄(ぐろう)していないか。地方の町や村に、人口減少、地場産業衰退、税収減という負のスパイラルをつくり出したのは歴代の自民党政府である。
 政府は、日本地図を色分けして最終処分場適地マップなるものを作り上げた。何を根拠に適地と判断したのか。住民の意見も聞かず合意も得てはいないのに。勝手に適地などと決めつけないでほしい。地下何百㍍もの深部に10万年間という想像を絶する長期間、安全管理する場所など世界中のどこにもありはしない。アメリカもフランスもドイツも最終処分場は決定できていない。まして地震大国の日本に最終処分の適地などあろうはずがない。
 神恵内村は、人口約800人、泊原発の10㌔圏内に位置し、法に基づいて電源立地交付金を長期間受け続けている。しかし、その交付金は、村に住む住民の継続的な営みをつくり出す力にはならなかった。10億円だろうが20億円だろうが金は使えばなくなる。そしてまた、金を求める。最後に残るのは高レベル廃棄物(核のゴミ)だけ。こんな理不尽を住民に押しつけているのが新自由主義だ。

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