ベルリン 「少女像」撤去を阻止 菅政権の介入はね返す

週刊『前進』04頁(3170号03面02)(2020/11/16)


ベルリン
 「少女像」撤去を阻止
 菅政権の介入はね返す

(写真 少女像の撤去に反対してベルリンで行われた集会。像の隣でドイツ人の支援者が発言に立っている【10月13日 ベルリン市ミッテ区】)

 9月28日、ドイツのベルリン市ミッテ区で、日本軍軍隊慰安婦被害者たちを記憶するための「平和の少女像」除幕式が行われた。
 ドイツで公共の場に「少女像」が建てられたのは今回が初めてだ。これまでのケースでは、日本政府が介入して碑文や本体を撤去させてきた。それでも韓国人団体やベルリンに住む日本人女性団体などが粘り強く運動を続け、首都中心部への建立を実現したのだ。

就任間もない菅が直ちに撤去を要求

 しかし許せないことに、首相就任直後の菅は直ちに像の撤去を求めて動いた。9月29日には官房長官・加藤勝信が記者会見で「極めて残念」「撤去に向けて様々な関係者にアプローチ」すると述べ、10月1日には外相・茂木敏充がドイツ外相に撤去を要求した。
 10月17日には、軍隊慰安婦制度づくりに手を染めた戦争犯罪人・中曽根康弘の「国葬」が1億円近い公費を使って行われた。日本帝国主義は、一方では戦争犯罪を居直りながら他方では歴史をゆがめ、事実を抹殺しようともくろんでいる。
 ミッテ区は日本政府の圧力に屈し、像の建立を主導した「コリア協議会」に撤去を要求したが、同会は行政裁判所に撤去命令効力執行停止を申請。署名運動やデモがドイツや韓国をはじめ各地で取り組まれ、現在まで撤去を阻んでいる。

政府・自民党の意受けた極右が暗躍

 日本政府はこの間、世界各地で進む少女像建設運動への憎悪をむき出しにしてきた。2013年に少女像が建立されたアメリカ・カリフォルニア州グレンデール市では、像の撤去を求めて同市を訴えた現地の日系極右団体に加担する意見書を提出(原告が敗訴し像は守りぬかれた)。19年にはロサンゼルス総領事が同市の市議らに「慰安婦像の撤去が唯一の任務」と語ったことが暴露され、抗議デモが巻き起こった。
 韓国・ソウルでは、正面に設置された少女像から逃れて日本大使館を移転した。16年に釜山(プサン)の日本総領事館前に少女像が設置されると、日本政府は「領事機関の安寧を妨害し、威厳を侵害する」などとして強く撤去を求めるとともに、駐韓大使と釜山総領事の一時帰国、経済協議の延期などを強行した。
 これに呼応して11年以来、とりわけ安倍政権下で政府と自民党の意を受けた極右団体が暗躍してきた。「日本国内外の反日活動阻止」を掲げる「なでしこアクション」は在特会の別動隊だ。同団体はベルリンへの少女像建立を受け「外務省と大使館は像の即刻完全撤去を実現すべき」と叫んでいる。粉砕あるのみだ。

歴史の抹殺許さず改憲・戦争阻もう

 ベルリンへの少女像の建立を支援した日本人女性は、「最初は日本軍慰安婦がいたという事実を認めるのが最もつらかった。ドイツでは具体的にナチスについて教え、多くの映像と戦争遺産で歴史を想起させる……日本にいたときはこう考える機会さえ持てなかったことに怒りを覚える」と語っている(9月30日付ハンギョレ新聞電子版)。
 日本軍軍隊慰安婦問題は「外交問題」ではない。深い傷を負いながらも人生をかけて闘ってきた被害者たちと連帯し、この歴史を二度と繰り返させないために、われわれ日本人こそが真正面から受け止めるべき日帝の戦争犯罪だ。事実をあいまいにしたり、なかったことにしたりすることは許されない。その先にあるのは再びの侵略と戦争だ。
 ドイツの労働者民衆は戦後、ナチスによるユダヤ人虐殺の歴史を直視し、記憶するために闘ってきた。ベルリン都心には虐殺被害者を追悼する広大な空間がつくられ、街を歩けば各所の石畳に、命を奪われたユダヤ人の名前などを刻んだプレート「つまずきの石」が埋め込まれている。
 そのベルリンで少女像の撤去を求めることは、歴史の真実を消し去ろうと狙う極右勢力を後押しすることであり、ドイツの労働者民衆に対する攻撃でもある。だからこそ今回、撤去を阻んでいることは大きな勝利だ。韓国・ドイツの労働者民衆と連帯し、改憲・戦争を狙う菅政権を倒そう。
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