元郵政労働者は語る① 郵政民営化で組合を破壊 職場が最悪の環境に一変

週刊『前進』04頁(3155号03面04)(2020/08/17)


元郵政労働者は語る①
 郵政民営化で組合を破壊
 職場が最悪の環境に一変


 長年勤めた郵政職場を今春、退職した元労働者の思い----民営化された職場の「無法地帯」のような現実への怒りと、その中でこそ闘う労働組合を求める熱い胸中を3回にわたり紹介します。(編集局)

入局当時は仲間がしっかり団結

 長い年月務めた郵便局を退職した。在職中、本当にいろんなことがあった。入局した頃は組合が頑張っていて働きやすく、この職場に就職できて本当に良かったと思った。だが、今はこんなひどい職場でよく働けたと思う。これまで何度も「団結ひろば」に投稿したが、そこで書かなかったことも含め書きたいと思う。
 私が入局したころは、まだ郵政に全逓(ぜんてい)という労働組合があり、職場に根付いてしっかり活動していた。その頃はよく昼休み集会が行われており、月に平均2、3回やっていた。組合員も平均で百人位集まり、支部の役員が職場の状況などを報告した。また、仕事の問題や当局の人権侵害問題などに対しても真摯(しんし)に骨を折って取り組み、職場の改善も当局と闘い・交渉し、実現してくれた。本当に安心して仕事ができたのである。また、組合の飲み会があると、すべての課から組合員が集まり、150人くらいが集まった。これを見て、本当に団結を感じた。
 郵便物の集配をしている仲間が交通事故を起こした時にはこういうことがあった。管理者が本人に対して、局内で謝罪放送をさせたのである。本当に許せなかった。だがこの時、組合が素早く対応した。当局への抗議文を掲示板に張り出し、さらに機関紙で抗議したのである。その機関紙は近隣の局にも送られた。これらの組合の行動をみて私はホッと安心した。
 しかし、郵政の民営化に向けて、組合破壊攻撃が始まった。1997年、当局が全逓の支部役員を他局に強制配転するという不当労働行為を行った。職場の仲間はみんな震撼(しんかん)した。全逓の影響力をなくすためにやったのである。配転は、配達区域を熟知している人を替えることで住民にとってものすごく不利益になる。また本人にとっては、新たな配達区を再度いちから覚えなくてはならないということで大変な負担となる。にもかかわらず配転を強行するのは、労働組合を破壊するため以外の何物でもない。
 同じ頃、全逓が平日に毎日発行していた機関紙の発行回数を制限した。これらのことですぐ職場がおかしくなったのではないが、その後も強制配転など当局の攻撃が続き、時間が経つにつれて徐々にひどい職場になっていった。

分断を打ち破り闘う労働組合を

 全逓つぶしによって職場環境が本当に悪化した。はっきり言って「無法地帯」だ。上司にこびを売るだけが取りえの人物が管理職に抜擢(ばってき)され、労働者へのパワハラや人権侵害がまかり通っているのである。
 こんなこともあった。全逓つぶしをやった後、管理者が真夏の暑い盛りに「勤務時間中に水を飲むな。飲んだら処分だ」と言ったのだ。そして、それを守った同僚が脱水症状で倒れたのである。当然にも、医者はその管理者を厳重に注意した。これほど人の命を無視した危険行為が行われるのは、全逓がつぶされたことで、職場でモノが言えなくなったためである。
 全逓が解散しJP労組になってからは、昼集会もやらない。全国大会に向けた支部の説明会にも10人くらいしか集まらないし、支部の総会にも集まらない。飲み会にも人が集まらない。ベースアップ・ゼロを容認するようなJP労組本部は誰も期待していないからだと思う。
 私も職場で怒り、仲間と語り、できるだけ頑張ってきたが、こんなJP労組本部は打倒し、労働者がモノを言える職場、分断を打ち破ってみんなが団結でき、労働者が働きやすい職場をつくっていくことが大切だと思う。現場の労働者が中心になった、闘う労働組合をつくっていくことが本当に必要だと思う。
(元郵政労働者・森内一郎)

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▼全逓(全逓信労働組合) 郵政労働者の労働組合。1945年8月の敗戦後、労働運動が大高揚する中の46年に結成。全国の郵便局で年賀郵便など大量の郵便物の配達を止めた78年11月中旬〜翌年1月下旬の「ブツ溜めスト」など、全逓労働者は労働運動の中心部隊として闘いを展開。その後、本部は当局への屈服を進め、2004年にJPU(日本郵政公社労働組合)と改称。07年の郵政民営化に伴い、当局側の全郵政(全日本郵政労働組合)と統合し、現在のJP労組(日本郵政グループ労働組合)となった。

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