8・9長崎闘争 被爆地フィールドワーク 私はここにいた 城臺さんの思い引き継ぐ
週刊『前進』04頁(3155号03面02)(2020/08/17)
8・9長崎闘争 被爆地フィールドワーク
私はここにいた
城臺さんの思い引き継ぐ
8月8日午後の炎天下、城臺美彌子さんが学生と労働者を長崎市内のフィールドワークに案内してくれた。
原爆資料館の見学の後、原爆が投下される前と後の長崎市内を撮影した写真の前で、城臺さんが爆心地や自身が当日いた位置などを説明。長崎市には大きな兵器工場だけでなく、部品工場が林立し、労働者の家も並んでいた。それらが壊滅的に破壊された。
原爆資料館と爆心地公園の間にある像の前(写真上)で、「長崎は『祈りの長崎』と言われることが多いが、これは怒りを表現している珍しいもの」と紹介され、作品に圧倒された。
爆心地公園へ移動し、米軍が原爆投下後に土を2㍍かぶせたことを知って驚いた。その後の公園の工事の際、民家の台所の跡と、母親と幼児の遺骨が見つかり、その一部が保存されている場所にも案内してもらった。
平和祈念式典が行われる平和公園を通り、移動する途中、城臺さんがほかの被爆者から聞いた話も紹介された。この川(写真下)では、原爆投下当時に川に飛び込んで遊んでいた子どもがいたが、川の中にいた子どもたちは奇跡的に助かり、道路に残っていた子どもたちは全員亡くなった。
最後に原爆で破壊されたが、再建された浦上天主堂へ。転げ落ちた鐘楼や、被爆した聖像を見て回った。
城臺さんの話を聞き核廃絶へ決意を新たにした。
(本紙 矢野透)